PHOTO MEMO by FES

写真についての個人的メモ

essence

写真についての個人的なメモです!

エッセンス 再来5 「essence」を求めて

 「viewーsceneーessence」を考えて来ましたが、重要なのは、視覚的に「見ること」以上に、撮影者それぞれが風景についての様々な解釈や独自の解釈を持つことだと思います。
 私がこれまで色々と調べてきたこともそうですし、考えたこともその解釈の仕方を深めたり、広げたりするためです。とにかく、文章にすれば記録に残って、振り返ることで、改めて分かったり、やはり分からないことが分かってくる、ということができるからです。


 端的に「美」としても、自分にとって、あえてなぜ美しいのかを問い直すことや、どんな要素で美しいのかを分析してみるのです。また、どんな事象に自分が惹かれるのか、それはどのように説明できるのか、にもなるかもしれません。この意味では自己理解です。

 また、プロがよく言うのはいい写真や絵画を見なさいということです。これも「見る」なんですが、実は「読み解く」=どう「解釈」するかということです。
 写真だとしたら当然に焦点距離とか構図など技術的なものもあるのでしょうが、どう感じるのか、それはなぜか、撮影者(作者)は何を感じて撮影し、どう表現しているのか。タイトルがあるとすれば、それは何を見せよう感じさせよう、考えさせようとしているのかを解釈することです。この意味で他者の作品についての理解を自分なりに深めることです。(この「読み解き」も少しは説明できればと思います)

 それらは、多くフィールドへ出て写真を撮って考えることでもあります。「量から質」とは言いますが、1枚1枚が試行錯誤・思考でなければ、質への転換はないと思います。さらに、フィールドへの時間をかけられない週末カメラマンにとっては、貴重な撮影時間です。固定したアングルや設定を少しでも自由にして撮影し、現像時に思い起こしながら、自分の写真を解釈しながら見つめ直すことが大切ではないかと思うのです。そして、次回に、それを生かすような撮影に没頭することです。これが日々鍛錬、日々修行の意味だと思います。「何を撮る」ではなくて、「何がどう撮れるか」です。

 「感覚的にシャッターを切るセンスもない」「写真の才能(?)もない」ような凡人が、唯一鍛えられるのはこうした知的作業(意識改革)を通してのみです。凡人の感覚的にも捉えた「scene」が、一際輝く「essence」になるのを願いながら、その感覚と知的作業を楽しむような撮影スタイルを身につけたいものです。

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 タイトルは、『稜線を駆け、いざ頂上へ』にでもしましょう。
 湧き立つような意欲をもち続ける。私みたいに休止しても、さらに燃やし続けるものを見出そうとすれば、「essence」へとたどり着けるのではないかと…。

エッセンス 再来1 「view」と「scene」

 以前に下図をのせました。まだ、当時は曖昧だったように思いますが、なかなかいい観点だったと振り返っています。当時はまだテーマは眼中にはなかった感じです。かなり長くなり全数話となります。

 最高の写真を「essence」として目指すための、撮影のあり方や写真の考え方などが、自分流にまとめられたらと思っていて、概念化を進めています。

 要点としては、意図的に広い撮影フィールドを「view」して、「essence」の下準備ができる「scene」を選択(抽出)して撮影することを繰り返して、「essence」の写真を目指す。という訳のわからないことになります。

 「写真は感性」とは言いますが、その「感性」が何かはとても感覚的であり、多くの経験や学習のなから身に付けてきたものだと主ますが、それを説明したものも見当たりません。しかし、「感性を磨く」ということでは、学習などが不可欠とも考えます。
 撮影や現像等の経験や写真の考え方などの学習と実践という訓練によって、感覚的にも反応できるようになると考えます。プロのように毎日数千枚の写真を撮るということができない中で、少しでも貴重な撮影や現像時間を生かすためにも、思考による感性の覚醒が必要かと思うのです。

 

 今回もメモになります。以前にあげた図です。
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 「view」と「scene」

 どちらも視界、景色、光景、眺望というような意味ですが、「view」は肉眼で見えるもの全てを表していると思います。写真的にもう少し突っ込むと、写真に撮れるような光景を肉眼で探している状態とも言えそうです。
 それから「view」には、意見、見方、考え方という意味もあることから、見ているものの価値や意味、解釈がすでに撮影者個々の違いがあることになります。それぞれに見ている光景の内容が違うということも考えられます。それに「あるがままにみている」のではなく、「学習、経験によって解釈して見る」のが私たちの視覚の傾向でもあるからです。
 
 例えば、風景写真だとある程度遠方や空の状況に観点を置いて見るでしょう。太陽の位置や方角、雲の様子も見ます。動物写真であれば視界で確認出来る程度の距離の中の形や動きで動物を探すということで見ています。花となると群生や身近な範囲です。これは経験の一部ですが、撮る対象によって異なる距離感をもってものを見ていると言うことができるかと思います。農家の人や農業経験のある人は、作物をみれば生育状況を見る(認識、理解)でしょう。何に関心を持っているのか、職業や写真を含めての経験が「view」の見方を決めているというのが事実らしいのです。

 自然・田園風景とは言え、そこから受ける価値、意味、解釈が異なると言うことです。

 「scene」というのは、「view」の中で選択された「scene」とは、写真におさめようとする撮影者の意思が働いている光景と言うことになります。撮影者によって選ばれた光景、写真にしようとする意思、意図がある光景となります。凝視やファインダー越しにターゲットを捉えるような「ハンター」にも似ています。カメラで捉えた画像を「ショット」と言いますが、銃で発砲すること、射撃という意味もありますから…。

 ここでsceneはviewから「選択」された光景と書きましたが、単なる選ぶという言葉では適切ではないようにも思っています。違う言葉では、「特定のものを選ぶ」という単純なことではなさそうだからです。先にも書きましたが、被写体の価値や意味、解釈を行って選ばれるのですから、「抽出」に近いような感じもします。「抽出」には、「液体または個体の中から特定の物質を溶媒に溶かして取り出すこと。」ともありますが、視覚的な光景の中に、頭脳というフィルターを通して、写真的な特別な映像を見ているのではないかということです。
<次回に続く>
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