コロナが減少し自粛解除も噂されていますが、そうなると家族キャンプ再開となります。そこで、キャンプギアや大工道具を綺麗に整理しようと、車庫内に新たな棚の作成を始めました。ということで、写真投稿がご無沙汰になってしまいました。

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 「ゴールデンアワー」では、温もりのある光が大地に注ぎます。黄金色の光が地上を覆うのです。noteへの投稿でも書きましたが、つい太陽神を思い浮かべます。

 実のところ、古代史も好きですので、彼らの文化や宗教的心情にも興味があります。砂漠ではどうかわかりませんが、自然豊かな環境で生きていた古代人は「太陽の恩恵」を特に感じ取ったのではないかと思います。古代エジプトは砂漠のイメージですが、エジプトでも植物が生い茂っていた時代があり、それが太陽神「ラー」を信仰するもとになったのではないかと思います。日本では「天照大神」ということです。

 今や世界宗教は一神教です。キリスト教もイスラム教も同じ神を信仰しています。人口的には少ない仏教は、釈迦という実在の人物が仏として崇められますが、後に「大日如来」という神のような存在が密教によって考えられますが、仏教は一神教とは異なった宗教と言えるかもしれません。また、日本では、戦後否定された「神道」あるいは、古事記や日本書紀にある神道的な宗教観があったようです。これが天照大神を崇めることとなります。

 日本では神社へ詣でることがあります。初詣や七五三、厄年払いなどです。詣でなくても、各地の神社主催のお祭りに出かけます。神輿もあったり、出店もあります。家には神棚があるところもあり、意識はしなくても「神道」が生活の一部になっているようです。そうなると、現代国家ながらも、日本という国(多くの人々?)は、古代から未だに太陽神を崇めるような風習のある稀有な国家ということになります。

 安土桃山や江戸時代初期にキリシタン弾圧もあったせいか、あるいは太陽信仰のせいか、明治以降あるいは戦後にも西欧文化がドット流れ込んできましたが、現代日本のキリスト教信者は人口の1%だそうで、一神教に染まらない珍しい国でもあります。

 キリシタン弾圧ですが、異国の宣教師は布教が目的でしたが、大名に武器交易を進めたり、中には人身売買にも関係していたようで、経済活動にも影響力を発揮していたようです。しかし、仏教や神社などには不寛容で、それらは邪教だとして信者に放火や破壊をさせたり、僧侶を迫害したようです。また、人身売買についても教会側が「売る方が悪い」として一向に止むことがないことから、秀吉を怒らせバテレン追放令、江戸時代の鎖国へと向かって行ったそうです。キリスト教の教義によって封建的支配構造が危うくなるという仮説もその1つでしょうが、この不寛容性が当時の庶民の反感を買うことは間違えのないことですし、それと、スペイン、ポルトガルの世界侵略を阻止するという為政者の世界情勢判断が当時の日本にあったと思います。

 明治維新後では、キリスト教で救われるのは信者のみですので、亡くなった父母、祖父母、先祖や信者以外は救われないということもありますので、心情的にも合わないことも多々あったのではないかと思っています。

 やや雑談となりましたが、黄金色の景色は古代からの心象風景にも思えます。水稲文化が日本に広がるにつれて、この早朝の光の景色は「収穫」「豊穣」を予想させたり、太陽神が約束するようなものとして、日本人の心に焼きついてきたのではないでしょうか。

 中西敏貴氏がアイヌの神々を写真におさめる試みをしたように、自然風景写真を撮る私どもも古代人の視覚と心情を今に蘇らせるような光景を残していくのも1つの方向性でもあるかもしれません。