<諸相・非相を 皮相的に捉える>
写真の表現として、ある考えや思想などのテーマやコンセプトを「諸相・非相」の考えから表現するのは、やはり多くの作品数が必要だと思います。
しかし、どのようなものになるかは、1枚1枚の写真に見える部分と見えない部分(見えにくい部分)を入れること考えられます。つまり、極端なコントラストを生み出すような時間帯での撮影による作品です。
過去の写真では以下のようなものでしょうか。




1つの表現方法としてはあり得ますが、「諸相・非相」の捉え方は、やはり皮相(うわべだけ)的です。光の関係で見える部分と見えないような部分があるだけのものですからね。光がより感じられる、コントラストのある写真というコンセプトの1つは見えますが、その先は見えません。
しかしながら、撮り始めから数年のものと比べて、「光を描く=フォトグラフ=写真」の特長の1つが実現されているように思っています。より光を意識して自然事象を撮影してくるようになったからです。
こうした撮影の変化の中で、霧を撮り続けていますが、下の写真もある程度コントラストがあるもので、水墨画を思わせるものがあると思います。モノクロ写真では霧の微妙な模様も描くことができます。

カラー版では、このようなボアっとしたものも好みです。これも絵画的、パステル画的と指摘されることがありますが、私的には水墨画的なものを見出すからです。ここで「非相」的なものは霧ですが、微かに見える部分から何が隠されているかは想像ができそうです。ここで何度か水墨画に触れましたが、これも霧に水墨画の要素を見るので撮る要因の1つかも知れません。


以上の写真から、暗い非相が白い非相に変わっていることがお分かりでしょうか。コントラストのある光の状態以外でも、白に近い霧をモチーフにすることによって「非相」部分を表すことができないものかと試行錯誤しているようです。本当はこのような「諸相・非相」ではないと思いますが、何か霧光景が語りかけてくるようなもの、そのためには私がその言葉を聴かなければならないのかと思います。
そして、それを聴くには、聴くことができるような自分へとステージアップしなくてはなりません。
何か屁理屈でとも感じますが、写真撮影や写真での経験を見直しながら自分なりの意味づけ、意義づけをしてみたいと思います。そうして、心境的にはその時点、その時点での、「人事を尽くして天命に聴(まか)す」です。このことわざは、一般的には「〜待つ」ですが、本来は「聴(まか)す」だそうで、上記で書いたことを考えると「聴(まか)す」が適切かと思います。
多くの私のようなアマチュアが美瑛の四季を撮ってはいますが、少し違うその先の光景も撮りたいのです。

しかし、どのようなものになるかは、1枚1枚の写真に見える部分と見えない部分(見えにくい部分)を入れること考えられます。つまり、極端なコントラストを生み出すような時間帯での撮影による作品です。
過去の写真では以下のようなものでしょうか。




1つの表現方法としてはあり得ますが、「諸相・非相」の捉え方は、やはり皮相(うわべだけ)的です。光の関係で見える部分と見えないような部分があるだけのものですからね。光がより感じられる、コントラストのある写真というコンセプトの1つは見えますが、その先は見えません。
しかしながら、撮り始めから数年のものと比べて、「光を描く=フォトグラフ=写真」の特長の1つが実現されているように思っています。より光を意識して自然事象を撮影してくるようになったからです。
こうした撮影の変化の中で、霧を撮り続けていますが、下の写真もある程度コントラストがあるもので、水墨画を思わせるものがあると思います。モノクロ写真では霧の微妙な模様も描くことができます。

カラー版では、このようなボアっとしたものも好みです。これも絵画的、パステル画的と指摘されることがありますが、私的には水墨画的なものを見出すからです。ここで「非相」的なものは霧ですが、微かに見える部分から何が隠されているかは想像ができそうです。ここで何度か水墨画に触れましたが、これも霧に水墨画の要素を見るので撮る要因の1つかも知れません。


以上の写真から、暗い非相が白い非相に変わっていることがお分かりでしょうか。コントラストのある光の状態以外でも、白に近い霧をモチーフにすることによって「非相」部分を表すことができないものかと試行錯誤しているようです。本当はこのような「諸相・非相」ではないと思いますが、何か霧光景が語りかけてくるようなもの、そのためには私がその言葉を聴かなければならないのかと思います。
そして、それを聴くには、聴くことができるような自分へとステージアップしなくてはなりません。
何か屁理屈でとも感じますが、写真撮影や写真での経験を見直しながら自分なりの意味づけ、意義づけをしてみたいと思います。そうして、心境的にはその時点、その時点での、「人事を尽くして天命に聴(まか)す」です。このことわざは、一般的には「〜待つ」ですが、本来は「聴(まか)す」だそうで、上記で書いたことを考えると「聴(まか)す」が適切かと思います。
多くの私のようなアマチュアが美瑛の四季を撮ってはいますが、少し違うその先の光景も撮りたいのです。