PHOTO MEMO by FES

写真についての個人的メモ

写真についての個人的なメモです!

冷霧漂う

 久々の写真投稿です。すでに時期外れですが…。


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 1月下旬から2月上旬の冬にも霧が発生します。丘の下にある樹木が霧に隠れていて、丘の上にもうっすらと霧が漂っています。日の出前の南の空があからんでいて、短い色の変化の中で朝が明けていくことになります。

「霧」の解釈 3

 10日間ほど、全く食欲がなくて、1日に水とヨーグルト3個ぐらいで終わらせていたら、4kgも体重減。何もやりたくないという状態だが、短いながらも勤務はつづけている。やっと、血液検査、エコー、胃カメラと医者に診てもらう。軽い胃炎があるとのことで、薬をもらった。食べないと胃の方もよくならないとのことで、パン食、サラダ、麺類と少しずつ食べるようにしているが、やはり朝の食欲はゼロである。したがって、撮影の方もずっとご無沙汰状態です。

 霧についての その他 (記事は貯めているので蔵出しということです)

 霧を主体にとは考えても、ただ白いだけのもの。それが霧と見えるには、

・背後に何がしらの物が潜んでいて、それがかろうじて見えるようなこと。
・霧の隙間や境界上に物が見えること。
 つまり、霧そのものと物の複数の存在があってこそ、認識される。こうした相互の関係性でしか霧は描写できないものがあるということになります。

 下の写真は、そのようなことが頭の中でよぎりながら撮ったものです。
 全体的に霧がかかっているのですが、上には帯状の霧があります。林と林の間にも霧があります。
 
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 そして、帯状の下全体に霧がかかっています。霧が霧であるためには、霧の薄いところで物が見えるよな描写、鮮明な描写ではないことでは霧を認識できるような描写が必要となるわけです。

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 これは、薄く見える部分と霧で見えない部分を約半分にしてみました。
 次のものは半分以上です。


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 このように、霧と他のものがなければ、霧というのは描写できない、認識できないということになります。何か、当たり前のようなことですが、これが分かったということになります。

 従って、霧光景では、どのように物を描写、見せることができるのか、その見せ方(捉え方、撮影チャンス)が大切なこととなります。そのような関係性が重要ということです。

 霧という状況の中で物が、
 ・霧の影響を受けずに明確に見える
 ・明確な部分もありながら、隠れていく部分がある
 ・霧に影響されるにしても、ボワッとしていて何かはわからないようなものから、丘、木々があると分かるようなものまであるということ。

 こうしてみると、非常に繊細な観察での撮影が大切か、ということがわかります。霧の量や流れ、さらに元景色との関係で、視界全体に様々な撮影状況が立ち現れきます。そこをどうフレーミングし撮影するのかは、それこそ無限だと考えます。従って、写真の技術や景色の捉え方などが試されるいい被写体ではないでしょうか。

 繰り返しになるかも知れませんが、霧のある状況は、コロナ禍でのいわゆる陰謀論とされるような様々な情報、さらに、日頃興味のあった日本近代史での自虐史観の要因、偏向的なマスコミなどなど、今まで知り得なかった情報にも触れることができたことによる世界観の変化がまさに「霧」を象徴しているかのように見えることも、惹かれる原因の1つかも知れないということです。

 世界は善意とか正義、愛では動いてはいないかもしれない。善意や正義、愛とかを求めて生きているのは、庶民でしかいないのではないか。過日の衆議院選挙も候補者達は地域課題ばかりを取り上げているのも、そうした庶民の意図を汲んだものでいいかとは思うのですが、国政を預かる国会議員として、世界の中での日本の在り方や進むべく道をしっかりと提示してもよかったのではないかと残念に思うのです。票が欲しいがための直近の課題ばかりで愛想を振りまくだけでは情けないです。

 私たち庶民は、善意とか正義、愛とかでは動かない資本主義や共産主義のよくない面の本質や両主義を貫くような世界のグローバル化による統制社会の実現という企みについては、十分に知り得るものではありませんが、そうしたものが企む善意や正義、愛を踏み潰すようなものを明確に分析して対処して、日本と国民を守り、世界に気骨のある発言をしていくのも国会議員の大きな使命だと思ってしまった前回の衆議院議員選挙でした。

 こうした意味では、日本は霧、モヤがかかっているような感じです。その見えない部分では心や身体が侵食されているのではないかとも夢想=霧想してしまいます。コロナ禍で被害妄想になった訳ではありませんが、光あれば影ありで、それらを効果的に生かすという写真目線では、こうした両面的な世間の見方もあながち間違いではないかもしれません。

 「霧を見ながら、世の闇も連想する」という、いささかへそ曲がりの面も書いておきます。霧の描写面積が多い ときは、善意や正義、愛を踏み潰すものへの霧のような無力な抵抗かもしれませんし、わずかに見える景色は仄かな希望を象徴しているかもしれません。

 (今までの世間話には政治や宗教の問題はタブーだったようですが、日常的に情報交換したり、意見を言い合うような土壌ができない限り、政治家は磨かれないし、馬鹿な政治家がのさばるだけです。つまり、政治家に騙され馬鹿にされている庶民であってはならないし、そんな政治家だからこそ海外の政治家に騙され馬鹿にされていると思うのです。デジタル庁が出来て、中央官庁や地方自治体の全情報のサーバーをアメリカの企業に任せるということが決まったのだそうです。日本企業も落札には参加しましたがダメだったのです。LINE情報が1部中国に流れていたようなことがあったのに、アメリカならいいのでしょうか。はたまた、日本でのシステム管理上=サイバー攻撃防衛やSpy防止法がないために防御できないと判断したのでしょうか。何か情けない感じです。)

 霧については、これくらいで終わります。次回の課題は、「古代人のこころと自然観」のようなことで、再度、日本や一部他国のアニミズム的なものをさぐってみたいと思っています。
 自然の全てのものに魂があるような、動物を神の使いとか、山や岩、木に神が宿るような見方や、そうした中での人との関係を探ってみたいと思います。

最大の濃霧

 いくら濃霧注意報とはいえ、いつもいく丘々は全く霧の中。日の出約1時間前に到着したが視界は2、30mだろうか。日の出近くなっても、その明るささえもわからない。国道を挟んだ両側の丘々が全くの霧の中ということで、あちらこちら移動して撮影できたのは、2時間以上も経ったあとになってしまった。最初の撮影が下の写真。ようやく霧の切れ目につくことができた。ここも標高は高いが、かなりの量の霧と想像できる。

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 そして、この先で撮ったのが次の写真。感覚的には美瑛の美沢方面だと思うですが、下界に見える光景はまさに雲海そのものでした。ここから戻って、1枚目の写真の場所へと行きましたが、3、40分ほど待ちましたが、霧が晴れる気配がなくて帰宅しました。

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「霧」の解釈 1

 霧光景がめっきり少なくなる時期に「霧光景をなぜ撮りつづけるのか」を考えるのもいいものだということで考えてみます。なぜ、好きなのか、惹かれるのか、その理由を探る訳ですが、あくまでも仮説の理由付け、意味づけです。 まずは、知識的な理解から。

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 霧の特長

 ・元風景に流れるような変化を与える 霧は流れることは当然でも、元風景が刻々と変わっていくこと。
 ・私の日常的にはまれなことで、異世界の印象をもつこと。元風景の詳細を隠して、見えにくく、ときには見えなくすること。
 ・濃度にもよるが霧はそうした元風景に見え隠れする場所を与えること。
 ・日の出前後では、おそらく白である霧が、異なった色彩を見せること。さらに、元風景の色彩もかわることで、異世界観がさらに深まること。 
 ・その発生や流れ、量は予測不可能の自然の成り行きであること。(発生しそうな条件は分かるが)
 ・空気中の水の小さなかたまりでしかないことだが、水自体が、みぞれ、雪、雨などと状態を変え、日常的な空気中では見えないこと。

 霧が一般的に象徴するもの  不安、混乱、孤立など(夢占い、文学上で多いそうです)

 グリム童話で有名なグリムの辞書でも同じようなものが見いだされるし、惑わし、欺く、間違ったものにも比喩される。日本の古典文学、源氏物語では、嘆きのため息が霧となっているし、古事記では命の息吹とされていたようです。西洋とはかなりの隔絶があり、西欧化された現代日本では、こうしたため息、息吹という比喩、象徴はないかもしれない。明瞭性、明解性を求める西欧は、それをさえぎるものとしての霧を認識するようだ(霧を「神のベール」とする詳細は不明)。西欧化された現代日本ではすでに負のイメージなのだろうか。
 アミニズム的に自然の息吹、息づかいと捉えるのが、面白いかも、と思う。

 自分の霧光景の傾向

 ・ローキーとハイキーの仕上げがある。
 ・ハイキーの場合 日の出の前後付近は光量が少なく、色彩も低いため、全体的に明るく仕上げて幻想的な仕上げにしている。
 ・ローキーの場合は、日の出後で光量が多く、雲がれば雲間からの光によってコントラスのある仕上げとなり、霧の明るさが印象的になるよう仕上げる。
 ・特に日の出前の天塩岳と山、丘のグラデーション的な光景がいい感じである。
 ・霧が地を這うようにして光景で丘の窪みに溜まる光景や林に立ち込んで光芒をつくるのもいい。
 ・今年多いのが霧がかなり高い位置まで達し、林や丘の稜線を見えなくすることがあり、丘と林などの微妙な見え隠れがすくなくなった。このことから、霧の流れによる動きにも注意をはって撮影すすようになった。
 ・霧光景とは言え、構図的には丘、林などの配置に気をつけて、複数箇所の候補を頭に入れて撮影する。 
 ・霧光景でハイキーの写真を見た人は、絵のよう、パステル画みたいで、写真ですかと感想をもたれたことから。写真の一般的な特徴で言う明瞭さとは逆の光景を見せるのが霧光景と言えるかも知れません。

  長くなりますので、これ以降は次回に……

順光での霧光景

 今日の濃霧注意報は、いつもとは違い旭川方面で大量発生となりました。従って、霧の中を美瑛へと向かうことになりました。到着すると上富良野方面からの流入は少なく、いい条件にはならなく、日の出以降は美瑛の北方面での撮影としました。

 北方面と言えば、三愛の丘や藤野の丘ということになり、太陽を背にしての撮影となりました。従って、紅葉にはしっかりと光が当たり印象的なものとなりました。霧の中に浮かび上がる紅葉も撮影したくてじっとまったり、移動して探しました。

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 そして、霧の中だけに見える紅葉も探しましたが、イマイチでした。相当に高度のある丘でないと難しいようです。さらに、白色が多くなると、その白さを出すと共に、霧の流れ、陰影が難しくなります。下のものはサイド光となります。
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 今日の午後に現像に入ったところ、Lightroomがバージョンアップされていました。しかも、アイコンが変わり、機能が増えていました。少し戸惑いましたが、いつもの機能は使えました。

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 パブリッシュコメントでは、Lightroom2以降最大のアップデートとのことで、新設計したとのことです。種々の機能がマスク機能ということで統合したせいか、以前は補正後にクルクル回って時間がかかるといったことがありましたが、それが軽減されるそうです。まあ、新しいエンジンを作って取り付けたという感じだそうです。マスク機能として追加されたのは、「被写体を選択」「空を選択」「輝度範囲」などというものが追加されました。

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 おいおい、わかりやすいノウハウ・ブログ等も出てくると思いますが、今のところはわかりにくいアドビのものだけです。開発の意図、内容などの概要は下記から。

 https://blog.adobe.com/jp/publish/2021/09/29/cc-photo-from-the-acr-team-masking-reimagined.html#gs.efrul3  

Silence solitude

 黄金色の霧光景もいいものだが、大地を低く漂う霧にはそれなりの言葉にならない物語が隠されているのではないかと思う。不動の大地とはいえ、木々や丘の畑は季節によって変わっていくが、そこを漂う霧が絡み合う光景に惹かれるのです。

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 惹かれる理由はと聞かれると、明確には言えないものですが、目に見えて変化して、大地の様相を変えてくれるものであること。発生の量や漂い方は気ままです。観点を変えてみると、このコロナ禍に合わせて感じたのは、いつか晴れるという希望的な象徴であるかもしれない。また、物質的な世界や人の存在に密かに流れる趣向や思想。はたまた、思惑、陰謀という得体の知れないものが霧に象徴されているかもしれないと思うこともある。まあ、そもそもは考え過ぎで、陰謀というと余計な邪念かもしれないが、なぜ惹かれるのかを理由づけるものがあれば、霧の実態と自己存在が重なり合う部分が理解できるかもしれないと思うのでです。そこに、テーマ、ないしはコンセプトがより明確になってくるのだろうと思うのです。

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 光景の状況説明的なものを捉えるとこちらの方だろうか。朝焼けの山と空を入れたのだが、霧の描写を主題とするならば余計なものが入っているという感じがしているが、フレーミングが悩ましいところです。

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 このような珍しいことでも起これば前景の様子によってはいいのかもしれないが、ここ5、6年出会っていません。
 霧光景を撮影しながらも、このような沈黙の独白をしているのです。

Golden Mist

 久々の黄金色の霧というか、光景です。


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 手前の丘のシルエットと大雪山連峰がシルエット風でいい感じでした。これは日の出直後で、実際は写真では表せないように眩しい光景です。望遠レンズではないと、太陽の直射光が入りレンズフレアーがたくさん出るかもしれません。この後は太陽高度が上がってきて霧も薄くなり、白い光線へと変化してきます。


 前にも書きましたが、ホワイトバランスはオートでもなく、太陽でもありません。ケルビン値で細かく調整して肉眼に近いものを心がけています。簡易の計測値では、未明の7000台から徐々に6000台へと変化してきます。

Came back mist

 今年の初雪は何日だろうか。例年10月が初雪の時期なのがここ道北の気候です。秋蒔き小麦や豆の鬼積みに降りかかる雪景色は、静寂の象徴です。夏場は通っていなかった青い池方面への移動も多くなりそうです。

 今日は濃霧で9時以降も発生していいました。珍しいことです。寝不足で出発したせいか、霧が晴れていくのを観察しようと霧中に移動したり待っていたのですが、トイレ欲求や空腹もあって街中のコンビニに駆け込み、軽食を摂っていたら眠気を催して帰宅となりました。10月最初の写真を!


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 久々にここの写真を撮りました。リターンということもあり、珍しくたった一人でした。ここは一度晴れてしまい霧を追って他の場所に行ったのですが、まさしく濃霧の中となり、晴れそうもなくて、逆戻りしてみたら、西の谷から北へと流れ込んでいた霧が、なんとこの場所に流れこんで来たのです。
経路からすると北に流れる霧が南へと逆流してきました。状況を観察すると、北へと流れ込む霧が行き場を塞がれて流れ込んできたという感じです。

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 日の出前はこんな様子で、手前の霧が薄くなってきて、奥にある上富良野方面からの流れくる霧の移動速度が極めて遅くて、変化を期待できなくて移動したのです。上富良野方面も一面に霧でした。それがあちらこちら移動しているうちに、西の山の裾野を経て、ここに逆流して戻って来たということでした。

パノラマ合成

 広大な景色も広角を使うと余計なところまで入ります。かと言ってトリミングすると画素数が減ります。そこで数枚の写真を合成してパノラマに仕上げます。Lightroomの機能の1つですので、今回はその結果を紹介。

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 市街地や丘を呑み込んでしまうほどの霧が主題での表現ですから、朝焼けは程々の時の撮影です。これは2枚合成。


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 これは3枚合成で、ダイナミックな朝焼け雲が主題です。

 Lightroomでの合成はコントロール・キーを押したまま数枚を指定して合成コマンドをクリックするだけです。その後にトリミングして現像します。いろいろな設定があるようですが、撮影時に気をつけることがあります。

 パノラマ撮影時の注意点
画像を十分に重ねる
各画像の約 40%の領域を重ねる
焦点距離を一定に保つ
ズームレンズを使用する場合は、写真の撮影中にズームしない。
撮影時にはカメラを水平に保つ
同じ位置から撮影する
三脚使用が必須。
ゆがんだレンズの使用を避ける
できるだけ焦点距離の長いものを使う。
露出を一定に保つ
露出はオートを使わず、マニュアル設定で。ホワイトバランスもオートではなく太陽光など一定の設定で撮る。

霧の中の塔

 霧が多くても塔が霞むし、少なければ塔以外の人工物が見えるというような画角、フレーミングですが、ちょうどいい霧具合(?!)でした。


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 三角の塔は美馬牛小学校です。下の写真は、前田真三氏の作品です。もう20年よりも前のものでしょうか。私のものよりもアングルは上になります。林の間も離れていて霧が立ち込める空間、前景が暗くなっているなどからすると、スクエアながらもゆったりとした、広々とした感じがします。

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