PHOTO MEMO by FES

写真についての個人的メモ

雪の深層

写真についての個人的なメモです!

真相、真層、深層  続編

 前回の被写体は明かさなかったですが、今時の雪の表面です。

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 ・割と白い部分は、晴れの合間に熱せられて少し溶けた部分でしょうか。不思議なことに、マイナスの気温でも晴れには太陽の熱で雪の表面が溶けて、それが凍ることがあります。そこに雪が降り、風が吹いて雪が飛ばされたことでできた模様と考えられます。不思議な模様です。このようなものに気づくのは3月だったのですが、この時期に出会えたのはたまたまの偶然です。

 雪のイメージは白、あるいは青味のある白で、所々の陰によって起伏がわかります。影の濃淡も時刻によって変わります。降雪も暗い背景だといく筋もの白いラインで、フラッシュをたけば白い円としてカメラで捉えることができます。また、マクロレンズを使えばその結晶を捉えることができます。冬の自然風景写真には避けることのできないのが雪です。

 さて、表題の件です。「真相」ではありきたりなので、「真層」とか、「深層」と言うテーマにしてみました。「深層」とは言っても、雪を掘っていって断面を撮るというでことではありません。あくまでも表層の光景の中で、雪の起伏が作る少し変わった自然光景にスポットを当てたものもを面白いのではないかと言うことです。1月にもモノクロの「雪庇の写真」を載せたのですが、これもその1つと言えるでしょう。
 ・割とよく見かけるのは、下の写真のような凸凹の、起伏のある雪原です。

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 前回の写真もそうですが、意外性、奇妙なものとしては、こんなようなものも撮ってみた。

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 目のような窪みに風で飛ばされる雪を撮ってみたのですが、じっと観察しないと分からない被写体でもあるようい思います。

 別のサイトでは、こうしたテーマ群を「surface」とつけました。もちろん「表面」「上面」「外見」という意味ですが、さらに、「表面化すること」「明るみに出ること」とあります。見過ごしがちな単なる表面ですが、写真によってその真の姿、真相、真層を浮かび上がらせるということです。そんなのが多く集まれば、深層にもなってくるようなイメージとなります。これは、写真自体の目的でもあるかと思っていますが、いかがでしょうか。 

撮影スポット=クリシェ

 今日は昨晩から星空でマイナス20℃以下の予報で、美瑛の菊地プロの4k特番の追加撮影だったようですが、ダイヤモンドダストは出なかったとのことです。ダイヤモンドダストで有名なスポットには50台以上の車があって過密状態だったとのことです。氏は過密を避け別な場所で撮影セッティングとのことでした。有名スポットではダイヤモンドダストはある程度は発生していたのかも知れません。

 この有名スポットも5、6年前まではそんなに多くはなかったのですが、冬の美瑛がテレビ等で紹介される毎に増えてきたようです。車50台以上だと、5、60人は集まるのでしょうが、場所取りのようなことがあって大変ですし、片側に路上駐車ですから三脚を持っての移動も大変です。ややもすると、通勤者からの苦情も110番ということになりそうです。したがって、移動は差し控えるということになります。
 固定された箇所からの撮影だとしたら、背景の選択はなくなってしまいます。ダストそのものを2、300mm以上の望遠で切り取るしかないような状況となります。過日にあげた樹氷とのコラボ撮影もしにくくなってしまいます。サンピラーでも発生すれば価値はありそうですが、非常に不自由な撮影ですね。私の場合は幸運にも平日でも撮影できますので、平日狙いとなります。また、それほど期待ができない、規模が小さいとなれば、移動します。晴天であれば、もっと寒い山間部や富良野の空知川で厳寒光景を撮った方がいいと思っています。曇りであれば、太陽光が漏れる地点や川霧でも出ないかと、あちらこちらと走り回ります。

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 この写真や過日の霧の写真もこんな判断から、有名スポットから離れての撮影となります。こんなのも撮りました。

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 雪原での撮影です。すでに枯れた植物ですが、枯れた褐色姿に健気さを感じて撮影してみました。

クリシェ

 定番の撮影スポットでの撮影もそれなりには意味があります。撮影技術やカメラ設定に慣れるということです。また、自分でも感じているのですが、撮影スポットと呼ばれる写真作品の影響を受けていて、「このような写真を撮ってみたい」という思いがどこかにあるのでしょうね。先人、先輩の後を追っているのです。

 しかも、現代はSNS等、インターネットや映像機器の発達で、誰もが写真を撮りWebに公開できますから、撮影スポットの写真も数え切れないくらいあります。従って、見慣れた光景、見飽きた光景=「クリシェ」となります。目新しさがない光景となるわけですから、個人的な撮影と作品としての意味はあっても、余程の自然条件や表現方法(現像方法、手法)がないと新たな写真としての意味はないことになります。あるプロはそれを「上書き」といっています。

 これを考えると、クリシェはあくまでも習作としての一段階といえそうですが、時間と空間を経れば新たなものとして再認識されるということもあり得ます。その1例が、美瑛の青い池です。

 青い池と言えば、初雪降る青い池が有名ですが、青い池の発見者は高橋真澄氏と言われています。氏は西暦2000年前から撮影していて、写真愛好家達に広まったとされています。それが10数年の時を経て、ケント白石氏の作品がアップル社の壁紙になって世界的に知れ渡ることになります。国内ではクリシェでも、海外的には新たなものとして受け入れられたということになります。最初に書いた「それなりの意味」というのは、習作とともにまれに再発見されることを含むということです。

 美瑛のプロ写真家の方々は、こうした意味で新たな作品作り、被写体を探し発表て、自分の写真家としての独自の存在価値を見出しているように思います。
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