前回は、「鏡と窓」から、写真の特徴、撮影時や現像時の表現性について考えてみました。

 「鏡と窓」は右脳と左脳 
 これを今の時代に当てはめて説明したある写真家によると、その分類の根拠は人間の脳の働きの違いから生まれるそうです。右脳と左脳です。右脳はアート感覚で、知覚、感覚、感情をつかさどっていて、左脳はロジック思考で論理、思考、分析をつかさどるものです。鏡派は、右脳で表現する写真で、窓派は左脳で表現する写真と説明しています。
 そして、なによりも、その両方が大事と言っていました。写真のテクニックが上手くても、好奇心をもって撮られたものがなければ「共感」のある写真は撮れないのではないか。しかし、写し出されたものを、論理的に説明できるものを持たないといけない。つまり、感覚に訴えつつ、論理的に説明できる写真を撮ることであると言っています。

 個人的には、被写体を見つけると、構図はどうしよう、カメラ設定はこれでいいだろうか、などと考えてしまいます。しかし、その思考・ロジックが過ぎると、その時の被写体のよさ、感覚的に惹きつけたものを見失うこともあるのかなと感じることもあります。最初の発見の感覚を保ちつつ、焦点距離を変え、フレームを変えて自由奔放に撮り続けることも大事かもしれないと感じました。連写だと同じフレームになりますので、少し変え、焦点距離も変えて撮り続けるといいのでは、きっちり3分割でなくてもいいです。主役や脇役はなどと、風景ではうまく行きませんので、とにかく撮って楽しめばいいのではかなだろうかということです。これは、アマチュアにとって大事なことなのではないかとも思います。

 こうしていくことが、あれがいい被写体だと感じる感覚(発見の感覚)が磨かれていくことにもつながると思うのです。そのためにも、たくさん撮って、たくさんのデータを持ち帰って、現像前に見比べて、自分の感覚にあう写真と、自分のロジックや、もしあれば「テーマ」にあうようなものを選んでいけばいいのかと思います。これが、「鏡と窓」を読んだ結論です。そして、さらに‥‥。

 楽しく、鍛錬、修行、テーマ探し
 
 撮影は鍛錬!と、あるプロ。私も一時は「修行」と言い聞かせたこともあります。勿論、カメラ設定も現像のノウハウも全くの初心者だったからです。それでも楽しかったのですが、初心者から次の段階(?)でキツくなりました。それで中断、休止だったのかもしれません。

 何よりも「撮影や現像を楽しむ」ことが大事なのかと思うようになりました。

 いわゆる被写体探しも、今日は「何が撮れるかな?」と、雪の日も、曇りの日でも出かけることにしています。こうした中で、時には「これはいいぞ!」とワクワク感があればいいのではないでしょうか。そして、フレーム(構図?)や作風にも影響するであろう「写真のテーマ」等を持てばいいのではないかと思うのです。
 そうしていくうちに、自分なりの発見の感覚が磨かれたり、ロジックと少しずつ噛み合う、フレーム感覚なども磨かれ、「テーマ」を含んだ写真を撮り、そして現像し、記憶に残る記録ができればいいのではないかと思います。

 プロとアマで、技術やセンス、立場はちがっても、いい光景に巡り逢いたいと願う気持ちは同じです。とは言え、それに出会うには、加齢による体力の弱化を抑えるような、歩いて撮影する鍛錬や、通い続けてカメラ設定や操作等が俊敏にできる修行が大切でもあるのかなァとも思う昨今です。