PHOTO MEMO by FES

写真についての個人的メモ

過焦点距離

写真についての個人的なメモです!

パンフォーカス考 その1

 なぜ、風景写真は「パンフォーカス」が鉄則なのか。

 ナショジオ発行の本で「回折現象を気にしないで、F値をあげなさい」ともいう写真家がいます。日本では、回折現象を避けるためか、せいぜい「F11が常識的」という写真家が多いようです。

 これも過焦点距離を利用すれば、写真全体が「ほぼピントがあっている」状態となります。「ほぼ」と言うのは、肉眼で見ての許容範囲があると言うことです。先のナショジオの写真家の回折現象の件も、この肉眼での許容範囲だといっています。現在は高画素で写真作品自体も大きなものへとなっていますが、どこまで許容範囲なのかは不明です。第一に印刷技術も進んでいるらしくそうしたことへのある程度の対応もできているそうです。とはいえ、大きな作品なので近くで鑑賞するものではなくてある程度の距離を持って見るはずです。


 しかし、なぜ、全てにピントがあっているような撮り方が常識なのでしょう。なぜ、肉眼での見え方とは異なるパンフォーカスがいいのでしょうか。肉眼の不完全さを補うことがカメラや写真の狙いだったのでしょうか。
 日本では「ボケ」が好まれていて、英語でも「bokeh」です。しかし、「曖昧な」とか「不鮮明」という意味が込められていて、ポートレイトなどで背景をボカす技術として広がったようです。
 
 すなわち、全てが鮮明で曖昧さがないということは完璧である、ということなのでしょうか。

 ピンホールカメラのような原理はアリストテレス時代にも認知されていて、それを大きな部屋を作って実現させたのがカメラの始まりと言われ、その部屋をより小さくするということでレンズの発展があり、その画像を固定する方法として感光紙などが発展してきた経緯があります。現在のレンズにしてもより周辺光量が減らずに、かつ鮮明な映像を映し出せるかが重要です。カメラとレンズは科学ですし、写し出された画像を保存するのも科学として発展してきています。それは肉眼を超え、いつまでも記録に残すことができるものとして存在しているからです。

 当然に西洋文化の中で発展したものですので、完全性や完璧さは「神」を理解し、神に近づくような神聖な行為であるとされていたと考えられます。人間の肉眼での見え方はいわゆる曖昧であり、不完全であり、神がものを見る見方としての完全性を表すのが「パンフォーカス」であると個人的に考えるのです。また、ありのままのリアルさを求める西欧の風景画の影響もあると思います。手描きよりもより正確で鮮明な画像は、風景画家の仕事を減らしたことでしょう。しかし、他の分野ではカメラでの光の明暗、コントラストを生かすために、写真家に写真を撮らせてその画像から絵を描いたということもあったということが分かって来ています。さらに、写真の忠実な描写力から、印象を重視しする絵画へのきっかけとなったということらしいです。

 少し脇道でした。要は、肉眼の曖昧さを超える鮮明さや忠実性、完璧性がパンフォーカスであるということだろうと考えています。

パンフォーカスの話 復習

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 前回は、被写界深度がミリ単位になってしまい、マクロレンズのようなはなしになりましたが、今回はパンフォーカスの話です。

 「近焦点から、遠焦点が無限遠になるまでを被写界深度にする」というのがパンフォーカスですが、レンズの焦点距離と絞りの関係で変化します。その例が下記の表です。一応、F値が大きい方で撮影することがおおいので、F11とF16の場合です(これは計算式からの数値です)。この表の上に、「過焦点距離」というのがありますが、ここの距離にピントをあわせると、パンフォーカスになりますという数値です。
 
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 上の表は、「F値が11」の場合で、ピントを置く距離(過焦点距離)と近焦点を一覧にしましたので、広角レンズ16mmの場合だと、70cmのところにピントおけば、手前30cmからパンフォーカスできるということです。焦点距離が大きくなると、過焦点距離も遠くなってきます。
 ・ これでパンフォーカスができるとはいえ、注意するのはフレーミングです。フレーミングされたファインダー内画像の下の部分に、近焦点より手前が入っていれば、少々ボケるということになります。従って、近焦点よりも遠くの地点から、奥の方を撮らなければなりません。
 ローアングルで撮影すると、近焦点より手前のボケたものも入ることがありますので、表現上で考慮する点だと思います。

 F値を小さい数値にすると、過焦点距離と近焦点が遠くなります。また、F値を大きくすると、近くなるという関係です。

 自然風景写真では、パンフォーカスで、しかも、人間の立ち位置での目線から、というのは、前田真三氏の基本姿勢だったと聞きます。拓真館での写真でもF値が大きい数値のものが多かったです。彼の写真集から、使用したレンズの焦点距離を割り出した人がいて、広角はあまり使用せずに、中望遠が多かったというような結果だったということです。

 某プロ写真家が「パンフォーカスにするためにF16で撮影」というのがありましたので,その場合のも表にしてみました。F値の小さい絞りでもパンフォーカスにできますが,あれこれと絞りを悩むことなく,光景や構図などに集中した方がいいですということでしょうか。

 朝夕の薄暗い中での撮影では,当然にシャッタースピードが遅くなることから,三脚必須,レリーズ必須でしょう。それと,レンズに手振れ防止機構がある場合は,誤作動でブレることもあるということで,それをオフにするのも重要かと思います。

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被写界深度の話 復習

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 今回は、被写界深度の復習です。 次回はパンフォーカスです。

 物理的には、ピントを合わせた点(焦点)がピッタリなのですが、肉眼で見た場合に「ほとんど焦点が合って見える範囲」を被写界深度と言います。そして、焦点よりも近い位置を近焦点といい、遠いものを遠焦点といいます。この近焦点と遠焦点の間が被写界深度というわけです。

・肉眼で見て焦点が合っている被写界深度は、F値=絞りによって変化し、F値が小さいほど、範囲が狭く、F値が大きい数値ほど範囲が広くなります。

 例えば、レンズの焦点距離を70mmにして、F値8.0で1m先にピントを合わせると、近焦点が約95.6cmで、遠焦点が105cmとなり、被写界深度は約9.1cmです。F22にすると、近焦点88.5cm、遠焦点115cmとなり、被写界深度が26.2cmと長くなるというわけです。

・同じF値にして、レンズの焦点距離を変えると、焦点距離が長いほど、被写界深度が狭くなります。F値の場合とは反対です。

 例えば、F8.0に固定して、レンズ焦点距離140mmで1m先にピントを合わせると、近焦点98.9cm、遠焦点が101cmで、被写界深度は、たったの2.1cmとなり、上記の70mmレンズデータ9.1cmの1/4になります。70mmの3倍の210mmにすると、被写界深度はなんと1cm以下の0.8cmとなります。(理論値です。私の70-200mmでは最短撮影距離は1.2mですので。)

 こうなるとボケを堪能する世界かもしれません。この辺りは、90mmや100mmのマクロレンズの世界の話になるかもしれませんが、このレンズでも焦点を遠くに置いて、十数メートル先、数十メートル先、百メートル先となるとパンフォーカスの話となってきます。


 

肉眼と写真 ボケ

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 肉眼と写真(レンズ)の違い

 日本人だと,鳥の声を認識する脳の部分が西洋人と異なるとか,色彩感覚が違うなどと言われているようです。また,ネットなどを見ていると,浮世絵以前などの日本の古い描画方法では,日本独自の空間認識があったようなことも書いてあります。つまり,西洋画的な遠近法ではないということす。読んだ中では,遠近法といういうのは風景と観察者との対峙姿勢が見られ,観察者の主体性が強調されているそうです。しかし,遠近法を取らなかった日本では,対峙ではなくて融合的であるとしています。自然との融合,一体感というのが特徴だと書いてありました。空間認識にも日本人の特性があるということです。

 写真界では,「ボケ」については日本人が好む表現のようですが,今では世界に広がり,そのままボケで通じるそうです。ということで,今回載せた画像の左側がそうなります。

 これは肉眼での視野と実際に確実に見ることができる範囲を示したものです。普通に風景を見るときには,肉眼では広い視野をもっていても,眼球の構造的には,一点しか鮮明に見える箇所がないそうです。それが中心窩というところだそうです。大きさでは1.8mm程度で,網膜と一括して言っている一部なのですが,これ以外の場所では毛細血管を通しての映像ということでボケているそうです。肉眼に忠実であるならば,ボケがごく自然ということになりそうです。
 ところが,これをあまり意識してはいなく,なんとなく全部が鮮明に見えるようにしているのは,目を細く動かしたりして,見えたものを脳で合成するようにして見させるからといいます。従って,しっかり見るとなると,一点に絞られますので,周囲はボケているというのが,肉眼でのピントのあう部分と周辺のボケというのが,ごく自然であるということができます。
 妙な話かもしれませんが,これに縄文時代以後の稲作文化をみると,獲物を探して視点を絶えず動かす狩人の見方から,稲を植えたり,その成長を見て刈り込んでいく作業には,凝視,あるいはゆっくりとした視点の移動でよかったのかもしれません。さらに,ボケということでは,何か自然に包まれているような感覚があったのかもしれません。ボケというのは古くからあり,自然との一体感というも堂ようだったのかもと曲解しています。西洋的なものとしては,砂漠や乾燥地帯発生の宗教ですので,日本の縄文時代よりも厳しい環境ですので,絶えず水や獲物を探す,危険から逃れるというものの見た方,あるいは自然と対峙する姿勢かと思われます。従って,ボケは死を意味することだったかもしれません。これも曲解です。

 さて,こうなれば肉眼の特徴が分かったわけですので,写真との比較になります。
 レンズも古いものは周辺の解像度が悪かったようですし,周辺光量が減るという問題もあったようで,肉眼に近かったかもしれません。そして,それらを解決すべく技術革新が行われてきています。周辺光量を減らさない,かつ,解像度,鮮明度も落ちないようにと進化しています。
 レンズ・カメラでは,絞りによる被写界深度がありますから,ピント的には上図のように面的なものになるかと思いますし,パンフォーカスとなると全面にピントが合っている状態となります。
 風景ではほとんどがパンフォーカスとされていますので,全面的に鮮明さが求められています。こうしてみると,写真というのは基本的には,肉眼での見え方とは異なるということですので、脳で合成されたような、ある意味理想の映像ということになるかと思います。
 さらに,別な面からは,鑑賞者が,写真での風景をみるときに,パンフォーカスによって全面的に鮮明ですので,どの部分を見てもいいという自由さを与えているということも言えるかもしれません。全体的な見方による鑑賞や,部分的な鑑賞にも耐えうるというのがパンフォーカスで表現です。まあ,写真自体が小さければそのような意味は薄く、多少の誤差,ピントの甘さは許容範囲かもしれません。

 パンフォーカスということでは、以前に過焦点距離について書きましたので、そちらをごらんください。
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