PHOTO MEMO by FES

写真についての個人的メモ

訓練

写真についての個人的なメモです!

求める写真(2)

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 求める写真(1)の続きです。

 プロと同行して撮影しても、やはり見所が違いますし、写真としての出来が違います。焦点距離も、カメラ設定も違い、構図になる場面を切り取っていて、描画性も違います。

 眼前の風景は変わらないのですが、素人とプロとでは違います。見る視点、切り取る視点、それにカメラ設定や現像が違うのだと思っています。そこをなんとかして埋めたいものです。何がしらの学習や工夫、感覚等の練習、訓練(この言葉は高橋氏でした。中西氏は修行と言っていました。)で、Essenceまでとはいかなくても、「Essenceを含んだScene」の範疇の光景を見出して写真が撮れるのではないかと思うのです。

 まだ、View、Scene、Essence、それぞれの概念は漠然としていますが、Sceneあたりから、構図やカメラ設定、焦点距離の選択、Raw現像技術などの写真技術の巧さが加わってくると考えます。無論、風景ですので、時間や季節といった状況の選択が大きいかと思いますが、それに巡り合うこと(さらにいうと積極的に撮りに行くこと)が大切かと思っています。そして、それらが全て整ったベストのものが「Essence」ある写真ということでイメージしています。まあ、これは難しいでしょうから、Essenceを捉えきれなかったScene、あるいは、Esseneを含んだScene写真あたりだと可能性はありそうだと思っています(構図的な切り取り方の点で)。

 「Essence」について。
 おそらく、構図的には意外とシンプルで明確かもしれません。風景では安定感が要素の1つですが、大胆さや動き、勢いが感じられるものも含まれるでしょう。派手な色彩もあるかもしれませんが、グラデーションの美しさをも含むもの。やはり描画性は高く、繊細さもあること。そして、何よりも、写真としての新鮮さ、誰かに似ているのや、かって見たことのあるような、オリジナリティーのないのはダメでしょう。まあ、これについては、感覚や感性が人と同じになるわけではないので、突き詰めていけば、オリジナリティーとなるのではないかと思います。

 求める写真としてのEssenceの大きな要素については、自然条件や光,あるいは地形的などの条件が重なり,普段は見られない非日常性という点だと思います。極端な例としては,まさに自然界の奇跡的光景というところです。美瑛・その周辺であり得るのでしょうか。この意味では,時々出かけて出会う光景にいつもEssenceがあるわけではないかと思います。従って,朝夕の斜光,逆光,雲間のスポットライトといった光や,パッチワークといったパターン,そして,四季の変化など,ある程度写真を撮る方々だったら選ぶであろう条件の中でEssenceに近いものを追いかけるということになります。そして,運が良ければ,その中で偶然か,先読み移動してEssenceを撮影できるという幸運に巡り合えるかもしれないということになります。
 もう一つの可能性として。Essenceには本質,真髄,基本要素(エキス),精などの意味があります。写真としては,上記に述べたように,まさに誰も見たことがないものを撮るのが写真の本質であり真髄です。奇跡的光景,絶景というようなことですが,日常的にも誰もが見過ごすような,誰もが気づかないような事象をとらえるのも写真の本質,真髄かとも考えます。この意味では,常識的なものの見方や考え方から離れた感覚,視覚からの撮影というのも,このEssenceに含まれてくるのではないかとも考えます。
更に「精」という意味からも,撮影し現像できるかどうかは不明ですが,心象的な風景の描写もありかとも考えます。
    (つまらないかどうかは分かりませんが,読んでいただいてありがとうございます。でかける毎に,Sceneを選び,Essenceを問い直しながら写真を撮るようにしています。)
 

求める写真(1)

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 自分の写真はどこを?目指すのか。  英語ですみません。ニュアンスとして近いか、自分なりの意味合いも込められるかと思い英語にしてみました。

 いつも写真を撮り、それを選択してRaw現像を行っていますが 、私自身は写真で一体何を求めているのかということに、写真から離れた時間にフッと思うのです。撮影技術はもちろんですが、写真の仕上がりやその内容への満足がイマイチなのです。「楽しければいいじゃない」というのも聞きますが、それだけでは満足できない自分がいます。とは言っても最終的には感覚的に満足するわけなのですが。思考的にも、願望的にも満足するような方向性もなければ、という,これまた感じなのですが。

 今まで、3人のプロの方と写真を撮ったり、様々な本も読んだりして、自らの写真とは何なのかということで、また考えたことを書きたいと思います。
 直接的には,過日の東川写真塾講師の上富良野在住のプロ写真家の高橋真澄氏のお話がきっかけでもあります。高橋真澄氏の「状況写真」という,ありふれた,行き当たりばったり的な写真,構図にも甘い写真というご指摘から始まり,プロの写真でも博物館所蔵ではなく,美術館所蔵にしたいと語っていた思いも加味してみたいと思いますが,氏からはこうした英語の概念もでていません。あくまでも個人的な位置付けということで書きます。

 まずは、この図全体の意味合いから。
 これ全体が風景、光景と呼ばれ、肉眼的に「綺麗!面白い!」と目に入るものです。そして、その中には、「写真として優れたものが撮影出来る光景」が含まれているということを表しています。ただ見て綺麗という感じが強い「View」から、写真としても美しいものが撮れる光景である「Scene」。そして、ハイレベルな人やプロの人達が撮るような光景の「Essence」,と位置付けてみましたが、それらが同時に含まれているということを表します。詳しく言えば,空間的・地形的,時間的に優れた光景を含んでいるということで,それを如何に捉えるのかということが課題となります。以前に使った言葉だと「フォトジェニック」というのが「SceneからEssence級」という感じです。  (2)に続く。

 

 


 
 



 

何処へ

何処へ

 晩秋山白く 何処へと向かうのだろうか

 積雪のあった十勝岳山麓で,ふと見上げたモノクロの空に鳥の一群が飛んでいました。向かうのは,白くなった十勝岳連峰の山頂方向です。寒さに向かっているような,この時期の北海道の季節とともに,私自身の撮影の厳しさを感じた瞬間でもありました。

 まずはレンズの話。70-300mmのレンズのときも,たまに飛んでいる鳥を写すこともあるのですが,ほとんどはピンボケ。まあ,絞りがF8以上ですし,相手も動いているので,ブレるわけです。ときには,ISO感度をあげるときもあるのですが,手ぶれといった状態です。しかし,この写真は新しい70-200mmで撮りましたが,たまたまF6であったこともありますが,素早いAFと手ぶれ補正機構がいいためか,かなりの解像度でした。ポートレートでもいい解像度ということで,重量はありますがかなり使えそうなレンズだと感じています。最高焦点距離が200mmということで,物足りなさもありますが,RAW現像からの2分の1程のトリミングでも,いい質感をだしているという感じです。そもそも,APS-C換算で480mmまで撮っていたとはいえ,ミラーアップしても,機械式のシャッター幕ということもあり,三脚固定の不十分さもあって,微妙なブレがあったのかもしれません。いい感じのときとそうでないときの差があったのが,70-300mmでした。まだ,一月あまりの70-200mmですが,まだまだ,冬を過ぎないと,モノクロのような雪景色を撮ってみないとわからないというのが実感です。

 2つ目は,この写真の本題名である「何処へ」ということで。東川写真塾以後,高橋真澄氏の指導や講評をまとめているのですが,私の写真のほとんどが,前回に書いた「状況写真」ではないかと疑問をもったのが実感です。すると,これからどこへ向かおうかと,どこをどう手直ししていくのかということで,「私の写真が何処へ向かうのか」ということでもあります。
 いつもいい写真が撮れることはありませんので,その意味では,日々の撮影ということでの「状況」ですが,もし,素晴らしい光景に出会った際に,その状況であってはいけないのではないかと再考させられます。高橋氏を師とするプロの方も「日々,修行」といっていた言葉を思い出します。「状況写真」よりも,「より表現性のある写真とは何か」を考え,日々,切り取りを鋭角化していくような練習,訓練,修行が必要かと思っています。

 情報 ケント白石氏がネットで写真塾を11月オープンするそうです。もちろん有料のようで,プロをめざす方やハイアマチュアをめざす人が対象のようです。異色の作家ということでも興味深々ですが,様子をみてみたいものかと思います。今後詳しいことがわかってくるかもしれませんので,興味のある方はブログをみてください。 
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