
さらに、TVの水戸黄門にあるような勧善懲悪での悪代官や悪奉行が農民や町民を苦しめるようなことも実に虚構満載であることも再確認しつつあります。

ところが、各国の歴史はその国自体で解釈されるはずなのに、なぜか隣国が干渉してきて、それを日本の学会や文部科学省が追随するのかも不思議なことです。隣国における「反日」はまさにナチスが行った民族主義的な国策と同様です。自国の民をまとめるために、ある民族を憎悪の対象とするからです。日本の政治家も弱腰で謝罪ばかりだったような気がしますし、建国当初の北朝鮮を理想の国だともてはやし、移住を薦めたマスコミや野党もありましたし、拉致事件を否定した野党もいました。さらにかの隣国は、民主化を叫ぶ国民に対して銃口を向け、戦車もだして弾圧した天安門事件があり、世界から非難があったにも関わらずに天皇を訪問させた与党もありました。何がどうなっているのか、というのが日本政治です。
とは言え、コロナ禍でも憂鬱なのに、さらに憂鬱になるのが日本の現代史、政治でもありますので、ここでの視野は古代史にしています。

歴史的には「古代人」という言い方は、国家が出来上がり、国の組織や認識がある時代の人のことを指すようです。従って、日本では飛鳥や古墳時代からとなります。さらにそれが平安時代終わりまで続き、平安時代の人も古代人ということになります。当時の中国に国書をおくって対等の国と決意した飛鳥時代、天皇を中心とする国家観を描いた日本書紀前後の時代となります。また、この頃には、漢字が入り平仮名なども成立し、最古の小説と言われる源氏物語がかかれたり、最古の木造建築の法隆寺等が登場した時代ですので、古代とはいえないほどの技術・文化が発達した時代です。

こうした新石器時代である縄文や弥生には文字がありませんので、こころや自然観については十分知り得るものはなく、遺跡や墓制(死者の埋葬方法)、埋葬品などから探るしかないようです。また、中国史にある倭人伝などの一部の資料や後世の古事記、日本書紀、万葉集などで推し量るような手法がとられているようです。
いにしえの日本人が何を思い暮らしていたのか。写真とは関係がないような内容ですが、自然風景を撮影することにおいては少なからずとも何らかのヒントがあるのではないかと思うのです。