
前回は「view」と「scene」の相違を書いてみました。「view」の見ると言っても、人それぞれが違うこと。そしてここそれぞれの経験で被写体として狙いをつけて選択的、抽出的に見るというのが「view」です。「scene」は、肉眼での選択や抽出がなされ写真としておさめようとする意思のある光景となります。

そこで、「view」から「scene」として候補をあげたり、カメラを構えたりする契機になるものは何なのかということが問題になります。ここでは「美」ということで絞りますが、その解釈は様々、感じ方も様々です。
しかし、人はその「美」に出会ったり、見つけたときに立ち止まったり、それを残したいと感じるでしょうし、カメラを構えると思います。それは、経験のない「美」。理想とする写真やそれに近い「美」に直面した場合。あるいは、それらが期待できる場合などがあります。経験のない美とはいって、個人的になのか、写真集やWebサイトでも見たことのない希有なものも含まれています。
理想とする美についても、実際に具体的な写真を見ているか、自分で描いたイメージて的なものかというのもあります。期待の美ということであれば、風景では天候、光の変化の読み・予測の中、動物にしてもその動物の特性などへの知識で行動を読むことで、経験のない「美」や理想の「美」に巡り合う可能性を予測してのものです。こうなると写真の経験と思い・理想といったものが写真撮影のベースとなります。
さらに、テーマということでは、「光」となれば景色よりも、光の変化が主になりますので、あえてゴールデンアワーを除けば、1つは影との対比というのが絞られます。雲間から漏れる光が地上のあるものを照らしたり、彩雲、虹のようなものになりそうです。美瑛でも田園の光景となれば、農家の人や農機具なども入れた写真や農家の人の手が加わったと分かる干し草ロールやニオ積みの写真も考えられます。このようにテーマがあれば、それらに合った被写体が中心になります。最近モノクロが多くなりましたが、これも表現上でのテーマの1つであろうと思います。これらを1つというよりも、いくつももっていてその都度切り替えているのではないかとも思っています。


最近、心象的な写真にも触れることができ、表現的には「ありのまま」の肉眼の光景から違うようなものをまさに「抽出」しているような感じなのです。
固体であるコーヒー豆からコーヒーという液体を抽出するかのように。多くの統計上のデータから特定のデータを選んで新たな分析結果を生むように。そうしたこともイメージできるような力をもって「scene」を見つけていたり、「scene」を判断したり吟味したりしているのではないかと思うのです。
写真家個々のこの辺りの説明、解説、自己分析が公表されることは少ないし、謎めいたことでいいのかもしれないということ、さらに個性的でオリジナリティに関わることなので、曖昧な「感性」と言っているのかもしれません。
この辺りは、1人の写真家の変遷や師弟関係、感化された作品などを追っていくことで探っていくことができるのではないかと思っているところですが、それなら写真を撮れ、いい作品に触れろと言われそうです。