
ナショジオ発行の本で「回折現象を気にしないで、F値をあげなさい」ともいう写真家がいます。日本では、回折現象を避けるためか、せいぜい「F11が常識的」という写真家が多いようです。
これも過焦点距離を利用すれば、写真全体が「ほぼピントがあっている」状態となります。「ほぼ」と言うのは、肉眼で見ての許容範囲があると言うことです。先のナショジオの写真家の回折現象の件も、この肉眼での許容範囲だといっています。現在は高画素で写真作品自体も大きなものへとなっていますが、どこまで許容範囲なのかは不明です。第一に印刷技術も進んでいるらしくそうしたことへのある程度の対応もできているそうです。とはいえ、大きな作品なので近くで鑑賞するものではなくてある程度の距離を持って見るはずです。

日本では「ボケ」が好まれていて、英語でも「bokeh」です。しかし、「曖昧な」とか「不鮮明」という意味が込められていて、ポートレイトなどで背景をボカす技術として広がったようです。
すなわち、全てが鮮明で曖昧さがないということは完璧である、ということなのでしょうか。
ピンホールカメラのような原理はアリストテレス時代にも認知されていて、それを大きな部屋を作って実現させたのがカメラの始まりと言われ、その部屋をより小さくするということでレンズの発展があり、その画像を固定する方法として感光紙などが発展してきた経緯があります。現在のレンズにしてもより周辺光量が減らずに、かつ鮮明な映像を映し出せるかが重要です。カメラとレンズは科学ですし、写し出された画像を保存するのも科学として発展してきています。それは肉眼を超え、いつまでも記録に残すことができるものとして存在しているからです。

少し脇道でした。要は、肉眼の曖昧さを超える鮮明さや忠実性、完璧性がパンフォーカスであるということだろうと考えています。