PHOTO MEMO by FES

写真についての個人的メモ

太陽信仰

写真についての個人的なメモです!

古代人のこころと自然観 その24 長江文明 2

  久々の投稿です。この間、安倍元首相の暗殺があり、雨災害があり、コロナ禍第7波と、話題にはつきないようです。個人的には、特に反親中派ではない安部元首相の喪失は大きそうと考えています。参議院改選も親中派自民党員、公明、共産党、立憲などににとっては有利かもしれません。さらにC国も目の上のたんこぶがなくなってさぞ喜んでいることだと想像されます。マスコミでは、旧統一教会での関連から個人的怨念での暗殺という路線をまっしぐらに走っています。推定殺人犯の動機に合理性をあたえるような情報が多いですが、だれがどのような影響をうけ、有利・不利になるのかに触れるのはSNS程度です。長年の殺人計画や準備という推定殺人犯の執念自体は、合理性とか妥当性などを越えたものでしょうから、なんらかの拘りで個人的怨念に取り憑かれたとしかいいようがないというのが、報道の流れの結論でしょう。
 それにしても、安部元首相は本当に嫌われていたというような、マスコミなどの報道です。ちなみに、日本のマスコミ報道の自由度世界ランキングは、昨年度67位で年々下がっています。個人的には「意見の自由度」「政治・企業・宗教からの独立」が低いのではと思っています。

 自宅でもTVを見る時間がへっていますが、最近、妻が仕舞ってあったレコードが聴きたいといって、聴けるようにと頼まれて、地下室をやさがしして設置し、さらにTV視聴は激減しました。
 オーディオは、Kenwood、SONY、Pioneer、Denon、Victorなどあるのですが、PHONE端子のついたアンプがなくて、フルオートの古いレコードプレーヤーが使えませんでした。そこで、子ども達が残していったStantonのプレーヤーがフォノイコライザイーがあり、ソニーのアンプ兼CDプレーヤー、Victorのスピーカーという組み合わせとなりました。


<黄河文明よりも早い長江文明>
 (以下は、日本文化研究センター、安田教授の環境変動文明推進説の要約)

 昔はいわゆる「世界の4大文明」といって教科書でならいました。その中で中国を代表するものが黄河文明でしたが、今では長江文明の方が古いことがわかりました。しかも、長江文明では「稲作」という他にはない農作物で、稲作農耕漁労採集を中心とする文明というところに特色があります。それに対して、黄河文明は、畑作狩猟を中心とする文明で、ある時期までその2つが地域別に共存していたとされます。
 しかし、およそ4200年前の世界的な寒冷化のため、黄河文明の人々が南下していきます。黄河文明は鉄器と馬を使用していた騎馬民族なので、容易に侵略できたと思われます。敗れた長江文明の人々の一部は貴州や雲南へと逃れていったり、長江をくだって、東シナ海へと船で逃げていって、日本へとやってきたと思われます。そのころの日本は縄文時代で、同じ自然を大事にする文化だったので同化していった。  

 黄河文明は畑作と狩猟を特徴とするため、焼き畑や牧畜のため自然から作物や燃料エネルギーを奪い取るので、土地は痩せて場所を転々とする生活し、自然破壊を基本とした文明と言える。漢民族の文明が基本的にはこの黄河文明が色濃く繁栄している。これは、ヨーロッパ文明に近いものである。
 世界の米と小麦の作付面積はほぼ半分だが、単位面積当たりの収穫量では米は小麦の2倍で、アジアの人口がヨーロッパを大きく上回っているのはこのためである。これから将来の人口圧迫を考えると、稲作の方が合理的である。また、稲作には、水の管理や世話で集団の高度な技術が求められので、稲作で培った管理技術は製造業を支える能力となり、アジアを世界の工場に変身させる基礎になったとも言える。 要約は以上。

<太陽信仰と鳥>

 長江文明は長江の中流域と考えられていましたが、古い遺跡は上海の南でも見つかっています。それが『河姆渡(カボト)遺跡』で、7000年前から5000年前に稲作を始めたとされています。

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 ここでの遺跡からは、二羽の鳥が五重の円として描かれた太陽を抱きかかえて飛翔する図柄が彫られた象牙製品が出土した。8000年前の湖南省高廟遺跡からは鳥と太陽が描かれた土器が多数出土している。長江文明においては、太陽と鳥が信仰されていたと考えられているようです。

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 円い形のものが太陽かどうかは異論も若干あるようですが、太陽信仰がエジプトなどの古代文明でもあったことから類推したものと思われます。

 鳥への信仰も古くから世界中でみられ、多くの神話に鳥が登場します。日本では、『日本書紀』や『古事記』に「天岩戸」の「長鳴鳥」、「日本武尊」の「白鳥」が描かれています。夜明けを告げる、あるいは飛翔し往来する、といった鳥の能力に由来するのでしょう。また、鳥は農耕社会との関係も深く、「稲の穀霊」を運ぶ生物として、境界を守る「物見鳥」として神聖視されています。こうした鳥の信仰は、弥生時代には土器に描かれた「鳥装のシャーマン」や竿の上につけた鳥形木製品から、そして古墳時代では古墳に並べられた鳥形埴輪や鳥形木製品から考えられています。

 そして、太陽を運んでくれるのが鳥でり、太陽の永遠の再生と循環を手助けするものとして崇められたと考えられています。こうした、太陽信仰と鳥との関係は日本神話でも見ら、天照大神は日の神、すなわち太陽神ということです、そして、その子孫である神武天皇が吸収から東征のとき、熊野から大和に入る先導となったのが天から下された「八咫烏(やたがらす)」という大烏であったという伝承があるからです。また、景行天皇の子で日本武尊(やまとたけるのみこと)は、東国の蝦夷(えみし)を征服したあと、伊勢で亡くなるのですが、大きな白鳥になって飛び去ったという伝承を残しています。伊勢神宮、熱田神宮、石上神宮、鷲宮神社、青井阿蘇神社、忌宮神社、真清田神社、松森天満宮など多くの神社では、「神鶏」が日の出を告げる神の使いとして大切にされていことも、そうした説の1つの根拠とされています。そもそも、神社には「鳥居」というものがありますし、朱色をしているのも、稲作に必要な太陽の光や温もりをあらわしていると稲荷神社では説明しているようです。


 現在のところ稲作は紀元前10世紀というのが定説ですが、長江文明の人たちがやってきて、稲作が東北地方で一番古い水田遺跡である砂沢遺跡まで広まるのは紀元前4世紀といわれています。また、関東地方では紀元前2世紀とおそくなります。紀元前だと、関東以北である本州の北半分では、稲作がおくれているようなことが見えてきます。なにがしら稲作を受け入れないような縄文系の強い勢力があったと考えるとつじつまがあうのでしょうか。

 下図は前にもあげたのと似ていますが、縄文から比べて西日本の人口が多くなっているのは、やはり稲作の拡大が原因であると納得してしまいます。
縄文弥生人工分布

古代人のこころと自然観 その15 太陽と蛇

<蛇と天皇家>

 天皇家となると、弥生時代にも入ってくるでしょうか。

 弥生時代に蛇信仰がなくなったかどうかについては、未調査ですが、記紀神話(8世紀前半に編纂)をみると残っていたようです。

 記紀神話の中で、初代天皇は神武天皇です。天皇はアマテラスを信仰するので、いわば太陽信仰となります。しかし、神武天皇の家系をみると蛇信仰との影響を伺わせるものがあります。海神の娘である豊玉姫は蛇の姿になって「うがやふきあえずのみこと」を産み、その皇子とおばの玉依姫との間に産まれたのが神武天皇ということです。

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 神武天皇は太陽信仰一族なのですが、海神・龍蛇神=蛇信仰の者との間に産まれた子となります。その後、神武天皇の子々孫々が天皇になるので、蛇信仰を取込んだ形になります。戦前は皇紀2600年という時期がありましたが、ほぼ紀元前7世紀に神武天皇が即位されたとされます。弥生時代は過去には紀元前300年ほどと考えられていましたが、現在では紀元前10世紀までたどるということができるようですので、神武天皇即位は弥生時代中期に入る頃になります。縄文から弥生の土器の変化には、太陽信仰の覇権が起こって縄文土器がなくなり、蛇信仰の潜在化が行われたかもしれません。

 潜在下というのは妙ですが、仏教布教に霊魂信仰が利用されたように。太陽信仰にしても、広く行き渡っていた、あるいは有力な部族的な集団の蛇信仰とが併存していたと思われます。それが神武天皇の出生逸話にあり、そして、数多くある神社に残っているということです。神社はすべて天照大神を祀るのではなくて、実は有名な神社には「蛇神」を祀るところがあるそうです。

 縁結びで有名な島根県の「出雲大社」は、そのご神体を「竜蛇さま」と呼び、、神聖な浜に漂着したヘビを、とぐろを巻いた状態にして祀ります。また、奈良県の大神(おおみわ)神社は、三輪山を御神体とする神社で、祭神の「大物主」は蛇の姿をした神だと伝えられています。長野県の「諏訪大社」の祭神も本来は蛇の神だと伝えられ、「みしゃぐじ」とう土着の古代神の存在が有名だそうです。これをみると、太陽信仰である天孫系の天皇一族が、国譲りを要求した国津系は蛇信仰であることが分かります。ひょっとして縄文時代から続く蛇信仰を持ち続けた大きな勢力が本州にあったことを物語っているのではないかと思います。

<八百万の神>

 また、多くの神社には「八百万の神」が祀られています。大まかに分けると、記紀神話に出てくる神であったり、その土地に古くから祀られている先祖や守り神、そして、元人間です。中には、記紀神話(天皇も含め)とその土地の先祖・守り神が合わさったものもあるようです。実は、全国で一番多いのが八幡神社で八幡さまというもので、これがこの合わさったものらしいです。

 神社には「御神体」というのがあります。御神体というのは、神が宿るもので、神は普段は人間の住むこの世にはいなくて、いわゆる「常世」にいて、この世で祭りが行われるときに御神体に降りてきて民衆に祝福をもたらして、常世に帰っていくものとされています。従って、御神体にはいつも神がいるのではなくて、「依り代」「御霊代(みたましろ)」と呼ばれます。

 一般的に御神体には山や岩、木、剣、勾玉、鏡、滝、男根、きのこ、髪、蛇、虎、犬、鶏、鹿、鳥、狼、狐、ムカデなどなど、様々です。このあたりは、それこそ古代の霊魂信仰からくるような自然、動植物信仰が神社にも取り入れられていると思います。さらに、岩や木などにも蛇を表すしめ縄があるようです。そして、元人間を祀った菅原道真や徳川家康の神社もあるので、先祖信仰が残っているという多様性のあるのが神社というか、神道的な考え方なのでしょうか。

 天皇という最高権威者がいて太陽信仰をしていても、それを押し付けることなく、民衆にある様々な信仰を吸収していくというか、その存在を認め、共存していくというような「寛容さ」を精神の根底にもつのが倭人・古代人であり、それを引き継いでいるのが日本書紀以降の日本人(ヤマト人)なのかもしれません。ちなみに、異種の信仰を邪教として駆逐していくような闇の歴史をもった宗教が一神教にみられますが、日本でのこのような考えは全く異質なものであるにちがいありません。 
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