土偶の解釈はいろいろあるようですが、記紀神話では面白いことが書かれてあります。
<女神から食物がもたらされる>
古事記から
天界の神々が女神オオゲツヒメ(大宜津比売)に食物を求めた時、その女神は自分の鼻と口、尻から、いろいろな美味しい物をとりだし、それを調理して神々に差し出しました。その様子を見ていたスサノオは、汚い方法で料理をだす女神と思ってその女神を殺してしまうのです。すると、その殺された女神の頭から蚕が、目から稲、耳から栗、鼻から小豆、陰部から麦、尻から大豆が生じました。その時、女神の身体に生じた種子を、カミムスヒという神がスサノオに取らせ、地上界に穀物がもたらされたという話です。
日本書紀から
アマテラスは、ツクヨミ(月夜見=月の神)に芦原中国にいるウケモチ(保食神)という女神をみてくるよう命じます。そうしてウケモチの所へ行くと、ウケモチは陸を向いて口から米を吐き出し、海を向いて魚を吐き出し、山を向いて獣を吐き出してツキヨミをもてなします。ツキヨミは「吐き出したものを食べさせるとは汚らわしい」と怒ってウケモチを斬ってしまいます。その後、アマテラスがアメノクマヒトを行かせると、すでにウケモチは死んでいて、死体の頭から牛馬、額から栗、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生まれていた。これを持ち帰るとアマテラスは喜んで、民が生きるための食料とされた。
<女神から食物がもたらされる>
古事記から
天界の神々が女神オオゲツヒメ(大宜津比売)に食物を求めた時、その女神は自分の鼻と口、尻から、いろいろな美味しい物をとりだし、それを調理して神々に差し出しました。その様子を見ていたスサノオは、汚い方法で料理をだす女神と思ってその女神を殺してしまうのです。すると、その殺された女神の頭から蚕が、目から稲、耳から栗、鼻から小豆、陰部から麦、尻から大豆が生じました。その時、女神の身体に生じた種子を、カミムスヒという神がスサノオに取らせ、地上界に穀物がもたらされたという話です。
日本書紀から
アマテラスは、ツクヨミ(月夜見=月の神)に芦原中国にいるウケモチ(保食神)という女神をみてくるよう命じます。そうしてウケモチの所へ行くと、ウケモチは陸を向いて口から米を吐き出し、海を向いて魚を吐き出し、山を向いて獣を吐き出してツキヨミをもてなします。ツキヨミは「吐き出したものを食べさせるとは汚らわしい」と怒ってウケモチを斬ってしまいます。その後、アマテラスがアメノクマヒトを行かせると、すでにウケモチは死んでいて、死体の頭から牛馬、額から栗、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生まれていた。これを持ち帰るとアマテラスは喜んで、民が生きるための食料とされた。
これらをみると、食物が女神の死体から生まれたということになります。前回の土偶から考えてみると、不思議な繫がりを感じます。土偶における破壊の意味の謎が解けるようです。そして、土偶における祭祀的なもの、その考えの根源が忘れ去られることなく、1万年間も伝えられ発展、追加していき、記紀での神々(奈良時代)に文字=物語として残るということが、一つの奇跡のように思います。後の女神や神というような存在もひょっとしてこの土偶という物からイメージされてきたのではないかとも思わせます。
このような殺された女神から食物が生じるという話は、インドネシア、ポリネシアからアメリカ大陸にかけて広い地域にあります。ある学者は元来イモの栽培文化の起源神話としてつくりあげられたとしていますが、日本の記紀の場合は様々な穀類や蚕、動物も生じることから複合的な文化の流入による神話となっているとしています。
土偶はどんな契機でつくられるようになったのかも興味深いです。たまたま子供がつくったのか。亡くなった幼子の母を慰めるために作られたのか。いつから女性が多くなったのか。
古代人もまた、食料はすべて元は生命であること、生命を殺さなければ、食料を得て生きられないことを知っていたのでしょう。いまは生産者、とさつ解体業、販売店という仲介があることによって、食物が生命の死によってえられていることについては全く希薄になっているようです。