
「汝平和を欲さば、戦への備えをせよ」
「汝戦を欲さば、平和への整えをせよ」
始めのは、軍事増強による平和維持ということになります。次のは少々恐ろしい、戦争をしたければ、平和をよそおい他国を油断させよ、もしくは、平和だけそなえていると他国から戦争をしかけられるという意味でもあるようです。
このようなことが、ローマ時代からずっと語られているのですから、ウクライナも核兵器を数個でも残していれば、今回のことはなかったと思われます。核兵器を取り上げたロシアもアメリカもずるいですね。理想を語って騙したことになりますが、ロシアは何とも思っていなく、しめしめと侵略の機会を狙っていたことになります。これをアメリカに言わないのも忖度ですが、これが世界の現実というものです。

もし、ロシアがこの戦いを有利に進めたら、ロシアとも親交のある共産主義などの核保有国が覇権主義をとなえ、戦火を広げることになります。新たな帝国主義が跋扈するかもしてないのが、この戦争の結果以後の世界だと思うのです。隣国が、人民服から背広に替えたと言っても、頭の中は征服主義ですから、西欧への恨み(人種主義や植民地化)も加われば、恐ろしい未来に危惧しないわけにはいきません。
特に日本侵略となると、アジアで最初に西欧化した国でもあり、侵略をした国でもあり、今でも反日教育を行っているので、その恨みは倍増されることと思います。国内の少数民族の扱いどころではなくて、抹殺をはかるかもしれません。天安門事件のように、戦車でひき殺され、平らに挽きつぶされて、焼却され、川に捨てられるのでしょう。これでは手間もかかるので、餓死が良いとするかもしれません。それにしても、1億以上の日本人を抹殺するのは大変です。反抗者がでないように、時々虐殺して、強制労働させるのがいいでしょうし、ウイグルでもあったように日本人女性は隣国男性と結婚されられ、どんどんとハーフ、クオーターを増やしていくのでしょうか。そうした残虐行為もまた隣国数千年の歴史でもあります。これも隣国の歴史から学ぶ1つの史実です。

戦後の日本の歴史は、アメリカ圏で始まり、今も米軍基地がある国になっています。これは世界史的には独立国ではなくて「保護国」です。独立国のようにあつかわれているのは、工業生産で秀でていて世界を経済的に席巻したからです。そのために過去に経済的なもめ事はあり妥協しながらでも、アメリカ圏いることでいることで、ユーロ圏、産油国圏、共産圏とも経済面での交流もできている国です。
ロシアの軍事侵攻で明らかになったのは、ウクライナが中立でECやNATOにはいらないとする約束を破ったからでもあり(ロシア側主張)、ソ連崩壊後のロシアが全体主義に走り、以前のような覇権国家の復活を望みながら、隣国との関係を深めながらそれを実現しようとしていることです。それはやはり核兵器保有という絶対武力を頼みにしての悪あがき(であればいいのですが)とでもいえます。これは国民を抜きにした、政治の腹黒い問題です。

とりあえず、早急にできるのは、自衛隊の補強です。防衛体制を強化すること。これはドイツがすぐに反応しました。さすがは論理を重視する国家です。しかし、ただ防衛力だけ増強するわけにはいきません。日本の防衛は、例えると、弾丸が撃たれても、弾丸をよけるか、弾丸を跳ね返すしかなく、相手の拳銃を奪えないと言う状況と同じです。攻撃手段としての戦闘機を乗せる空母への攻撃、ミサイル基地への攻撃をよしとしなければなりません。いまの防衛論で言えば、領空外、領海外での戦闘はむりですから、いくらでも戦闘機やミサイルが飛んできます。そんな歪んだ防衛ですから、どんなに優秀な自衛隊であろうと、限度があるというものです。防衛費増額については、ウイグル人権問題にも反対した公明党が増額反対を表明しました。野党も同じでしょうか。そもそも、防衛費は教育や福祉費と同列のものなのか、GDP1%以内という枠自体がおかしいものです。

隣の超大国が核兵器使用をちらつかせれば、台湾も、尖閣諸島も盗られるということになる可能性は大きいと思います。まあ、どちらにしてもウクライナ問題の結末しだいだと思います。
・例えアメリカの属国と揶揄されても、民主主義的な立場を明確にする。
人権重視、個人の平等・自由を尊重する側であることを明確に打ち出す。
・安保も反対、自衛隊も反対、憲法9条堅持で、無防備な国にすることに対してノーと明確にする。
こうした政党の見解は、隣国の野心に沿った、歓迎されるような反日思想の現れです。
・自衛、防衛戦争に立ち向かうという自覚と対策を確立する。
ナショナリズム的要素が多いですが、非合理に侵略を受けたり、国が分割されたりするようなときに、どうするのかを決めなければならない。母子で暴漢に襲われそうなときにとる行動として、日本人は相手に背を向けて子どもを抱くといいますが、西洋では、子どもを背にして正面を向いて立つと言われます。前者は「災害死史観」、後者は「紛争死史観」というようですが、その後者にならなければならないと思います。
次回の参議院選挙は、是非、国家防衛や憲法改正について各党戦わせて、違いを鮮明にしてもらいたいものです。国連の問題や、侵略意図の明確な隣国とその歴史、西洋の戦争史も出しながら、論争を巻き起こす度胸が政治家やマスコミに求められていると思います。