PHOTO MEMO by FES

写真についての個人的メモ

台湾

写真についての個人的なメモです!

ウクライナ 12 台湾

 前回、台湾の歴史を概略してみました。

 「台湾」というと、東日本大震災でのことが印象的です。義援金の金額も253億円という話はとどいていますが、台湾の仏教系慈善団体の日本支部の方々が、被災した各地におもむき総量数十トンもの炊き出しを続けたことや、被災住民に直接現金を渡していたことです。1世帯当たり5~7万円、一人暮らしでにも2万円、配布場所に来られない人には直接訪問して現金を手渡ししたそうです。さらには被災者1000人を無料で台湾に招いたとか、欧米が放射能で渡航を制限していた際に最初に訪れたのが台湾人だそうです。

 これを知ると、「犬去りて、豚来る」の前回の「日本人の猛烈な弾圧」というのが本当に事実なのかと疑ってしまいますが、抗日・反日運動が盛んであり、死亡者も多くいたのは事実です。しかし、古い中国風の城壁に囲まれた小さな町が点在するような台湾に、鉄道や道路網をつくり、城壁を取り壊して、産業をおこしていったのも事実です。強引ながらも豊かな島にしなければならなかったのも事実です。

 親日家が多いとも聞きます。日本人としての軍人や役人、民間人が何かを残したのだと思います。欧米の軍人や役人、民間人が残し得なかったものがあると思うのです。

 いまでも日本統治下での建造物が保存、修復されているようですし、ダム建造と灌漑用水路づくりに努めた技師の意味深い銅像も残っているそうです。いわゆる建造後に建てられたのですが、国民党統治下の際には密かに隠されていて、80年代に再び設置されたそうです。しかし、親中派の活動家によって首を切断されたのですが、3週間で修復して慰霊祭に間に合わせたといいます。このダムと総延長1万6千キロにも渡る灌漑用水路づくりには10年以上もかかったと言います。この人物はその後フィリピンの灌漑用水路調査のために向かう途中に米軍潜水艦の攻撃で死亡します。さらに台湾にいた妻は、1945年敗戦確定後に、夫のつくったダムの放水口に投身自殺をはかります。その銅像の後ろに夫婦の墓もたてられ、記念館もあり、2021年には記念公園ができ、当時の住宅まで再現されているそうです。そして、このダムを造った日本人は台湾の教科書にも載っているそうです。


 台湾の中での政治的立場を考えてみると、同じ中華人としては、今の隣国の政治体制ではない中華人としてのナショナリズム(民族を中心とした国家観=中華民国国民党的考えの1つ)、「台湾人でもあり中華人でもある」があります。また、過酷であった中華民国国民党支配時代から、また、隣国も『改革開放』で資本主義的な路線をとっていた頃は、「台湾人は台湾人」という考えの「台湾アイデンティティー」が増えてきた経緯があります。さらには、上記にも書いたように隣国の文化大革命や天安門事件、香港の経緯からも、台湾アイデンティティーを越えて、独立国を希求する「台湾ナショナリズム」という考えがあります。台湾での最大派は「台湾アイデンティティー」を持った人たちです。従って、台湾での政党は『国民党』と『民進党』があるのですが、党内のこうした派閥をみると、下記のようになるようです。いずれも、独立は考えていなく、現状維持でいけばいいというのが両党の多くの支持者=台湾アイデンティティーをもつ意見となっているようで、武力による侵攻も戦争も望んではいないということです。

 いわゆる「改革開放」の鄧・江・胡までの39数年間で、民主主義の国として、アジアではもっとも高位(英国誌エコノミストで2021年での民主主義指数報告)。「世界幸福度報告書2018」でもアジアではトップとなる豊かな国となっています。「国」という言い方をしているのですが、1971年に国連が、中華民国から中華人民共和国を中国の代表としたために、正式な国としては認められなくなった経緯があります。これも、実はそれまで中華民国を認めていたのが、ソ連との冷戦下にアメリカが中心になって、中華人民共和国をソ連との対抗勢力に加えようとして、急接近したことから、中華民国を切り離したという経緯があります(これも大国のエゴ)。しかしながら、非公式ではあっても経済的な交流は保たれるという関係にあって、日本よりも民主的な国という位置づけが海外からの評価となっています。そうしたこともあり、台湾アイデンティティーというものが、広く染み込んでいったようです。

 しかし、2012年に隣国が習体制になると徐々に「台湾統一」、「祖国完全統一」として、あからさまに武力による統一も辞さないとして、上陸訓練や領空・領海侵犯を繰り返すようになっていて、しかも、台湾との協議をする意志もない、一方的なものです。さらに、隣国の暗部へのインテリジェンス(諜報)にも詳しく、は隣国での少数民族弾圧や法輪功弾圧、内蔵狩り、無理やりに結婚を強いられるといった人権問題、あるいは政権闘争なども話題になっているようです(この意味でも、民主主義指数が日本よりも上になります。日本は偏向報道だということです)。従って、台湾独立という、「台湾ナショナリズム」へと移る傾向もあるようです。しかし、この「独立」は、隣国が勝手に決めた法律「反国家分裂法」に抵触して武力統一を許すことになるために、あくまで現状維持を望んでいるといえます。
taiwann1
 台湾は隣国の一方的で武力を辞さないという姿勢には、アメリカの力も借りながら軍備増強をしています。このウクライナ侵攻中でも、アメリカの非公式な代表団(元軍人で参謀本部議長)が3/1に訪問しています。おそらく軍事支援の綿密な連絡調整を行ったのでしょう。武器支援、物資支援、インテリジェンス支援などなどです。また、台湾側は「確固とした自衛の決意をもっていると全世界に告げたい」と告げています。

 台湾侵攻は現実味がある危機です。隣国の秋の共産党大会までなのか、それとも2035年までなのか、「統一するか、しないかではなく、いつするのか」という習体制の決断にかかっています。2035年というのは、習体制が児童にも広めた「2035年に台湾に行こう」という歌があるのです。電車に乗って、台湾の観光地へと行く内容の歌で、福建省から台湾への海底トンネル(か橋で)計画もあり、『中台統一』を国民にアピールしています。習体制としては、これをしなければ崩壊となりますので、必ず行うということです。

 このウクライナ侵攻があるまでは、アメリカの軍関係者も台湾侵攻の確率は低いと見ていたようですが、ロシアによる侵攻が現実化したことによって、中国の侵攻の可能性が高まったと判断しているようです。ウクライナ侵攻についても可能性は低いとみていたようですが、実際に侵攻があって認識を変えたようです。理屈ではありえないことが起こったからです。経済制裁も交渉も、開戦には役には立たないということです。隣国は、あの北京オリンピックでロシア大統領と何を話したのでしょう。台湾侵攻への各国の対応、反応をみるために、隣国はロシアを実にうまくそそのかしたのでしょうか。あの非難決議での棄権は、あきらかにロシアへの肩入れです。ロシアからの武器支援依頼があったことを、米国誌がリークしましたが、米政府も釘をさしたようです。国際世論からすると、武器援助を表立ってはできないといってはいても、隣国がどうでるかは不透明です。人道的支援という名の下に何かをおくるでしょう。ロシアと国境紛争を起こしてきた経緯や石油・天然ガス輸入では、ロシア崩壊後を見据えても、何らかの支援をしておくのが得策ですからね。

ウクライナ 11 台湾の歴史・共産党の脅威

 ウクライナへの軍事侵攻は、様々なことを教えてくれているようです。

 ウクライナ侵攻を本当に注意深く、「明日は我が身」として見守るのは、人口2340万人の「台湾」です。少し、はしおって歴史をみてみます。


 中国の諸々の王朝にとって台湾は、中華文明の影響を受けずに来ていて、領土意識も希薄な教化の及ばない「化外の地」としていました。それが、例の如く世界を股にかけて航海をしていたポルトガルによって発見された。その後 ポルトガルやスペインによって局地的、一時的に支配を受けていたが、明や清王朝はそれを許していた経緯があります。

 中国が台湾に関心を示しだしたのは、明から清王朝への移行期で、明の軍人が台湾を支配していたオランダを追い出して、清王朝を倒す拠点を台湾に置いたことからです(1661年)。そこで、清王朝は軍隊を送ってこれを倒し、1684年に領土化して編入します。この間は明の軍人が支配しますが、この人は日本人の母をもち、平戸で幼少期を過ごし、父の実家である中国にいって清王朝と戦うことになるという、興味深い人です。さらに彼の弟は、日本で母と共に残り、長崎の商人として成功し、兄の打倒清王朝の手助けをしたとされています。

 その後、編入された台湾は未開であり、福建省あたりの貧農の格好の移住地となり、大量の移民が移り住みます。日本がこの台湾に関わるのは、琉球宮古島の漂流者が台湾で殺されると言う事件に端を発する台湾出兵(1873年)でからです。1884年にフランスも一部を支配するということもあり、清王朝は本格的な統治をはじめることになって、その後の経緯は、日清戦争後に清からの割譲を受けて日本の統治下におかれます。 

 終戦後、日本がポツダム宣言を受けてからは、当時の中華民国(今の中華人民共和国ではない)が領土に組み入れ、中華民国の統治下に置かれます。日本が戦争に負けたとはいえ、正式にはまだ日本の領土で、国際的に確定したのは1951年のサンフランシスコ平和条約ですから、その間は日本であったと考えますが、その空白時期に実効支配を行ったというのが中華民国の実体かと思います。

 「犬が去って豚がきた。」という言葉があったそうです。この意味は、1947年の月刊誌「台湾文化」では、「日本人は本省人(戦前から台湾に居住していた大陸からきた中国人のこと)に対して猛烈な弾圧をしていたため、本省人は日本人を『犬』と呼んでいて、その本省人は最初は外省人(中華民国=国民党人)を尊敬して向かえたが、後になってが外省人の行動を見抜いて、豚のようだと思ってしまった。”豚は『すべてを食べ尽くして仕事をしない』『不潔で不浄な』動物であり、『不潔で不浄』とはすなわち汚職を意味するのだ‥‥」と書かれています。さらに後年の2015年になって、李登輝元総統は著書『新・台湾の主張』発売の際に、この語を「狗會曉顧厝,豬來會曉食、袂曉做代誌(犬は家の見張り方を知っているが、豚は食べるだけで動かない)」と台湾語で解釈している、同席した交流協会の日本人代表は「皆さんこんにちは、いわゆる『犬去りて、豚来る』の『犬』の代表です」とユーモラスで自虐的な挨拶をしている。

<2.28事件>

 中華民国=国民党とその家族である外省人は、日本人がいなくなった後に引き継いだ本省人による自治を廃し、政府機関や国営企業、メディアの要職を占め、本省人を差別して抑圧しました。その1つに「2.28事件」という外省人=中華民国人=国民党人による虐殺事件があります。事の起こりは、本省人の婦人への暴行、そしてそれに同情する人への発砲、死亡者。ということで外省人に対する怒りが爆発し、デモや外省人商店の焼き討ち。さらには、日本語や台湾語で話しかけ、答えられない者を外省人と認めると暴行するなどの反抗手段を行い、「君が代」は国歌として全ての台湾人が歌えたため、それを合い言葉として「君が代」を歌い、歌えない者を排除しつつ行進。また、本省人はラジオ放送局を占拠。軍艦マーチと共に日本語で「台湾人よ立ち上がれ」と呼びかけたと言います。この運動はまたたく間に広がり、国民党長官府も対話の姿勢をとったものの、大陸に残っていた本政府(蒋介石)に武力制圧のための援軍を陳情して制圧されます。日本統治時代に高等教育を受けたエリート層が逮捕、投獄、拷問され、その多くが殺害されたと言います。また、国民党軍の一部は一般人にも無差別的な発砲を行っています。さらに。街頭では検問所を設けて、北京語をうまく話せない本省人を逮捕し、針金を本省人の手に差し込んで縛って束ね、「ちまき」と称してトラックに乗せ、そのまま海に投げ込んだとも言われています。台湾籍の旧日本軍人や学生の一部は、旧日本軍の軍服や装備を身に付けて戦ったと言われています。最後はこれらも制圧された事件です。1992年の台湾の行政院は、その時の犠牲者数を1万8千~2万8千人と推計しています。事件後も戒厳令がしかれ、政治活動や言論の自由が制限され「白色テロ」と呼ばれる人権弾圧が訳40年にも及びました。この間、14万人が投獄され、そのうち3,4000名が処刑されたとされている。

 中華民国=国民党による統治がいかに過酷であったか。それが、1966年の文化大革命と呼ばれる中華本土のすさまじい飢餓と殺戮もあり、国民党内部でも、大陸へ帰るという悲願を捨てるということになる中、本省人である李登輝が巧みな政治手腕をもちいて台湾総統となって、民主化を推し進めてきたという流れとなります。

 こうしてみると、台湾は明・清王朝時代の中国人と、共産党である中華人民共和国に反抗する中国人で構成されたものであることが分かります。

 中台統一は、中国人民の「神聖なる使命、崇高なる目標」だと言って、例の如く、下品な言葉や軍事による威嚇で脅していますし、「ウクライナとは別の次元」であるとして、ロシアによるウクライナ侵攻を無視しています。軍事力による侵攻は、明日にも行われるとして、警戒感が高まっているのです。

 ナチス・ドイツが、ベルリンオリンピック後に侵攻を開始したように、さらに、今年が中国共産党結党100周年でもあり、結党以来、毛沢東を超える存在としての栄光を我が物にし、最高指導者としてこれからも君臨するためにも、台湾侵攻・支配は必然の条件ということになるそうです。

 台湾も圧倒的な軍事力格差をもっていますので、アメリカとの接近が著しいです。しかし、中国が核兵器使用をロシアのように言明すれば、アメリカの対応だってどうなるかは分かりません。もし、アメリカ静観の中で、侵攻が行われれば、民主勢力は根こそぎ投獄、死刑となるでしょう。辛うじて、共産党に情報を流してしっぽを振るような国民党員が残るかもしれません。中国共産党は人権を無視し、反対派や少数民族を虐待、抹殺するのですから、民主主義とは相容れない立場です。思想、信条の自由、結社の自由、言論の自由だってありません。中国にもきちんとした憲法があり、それらも明記はされていても、全て共産党の指示に従うという前提のものです。共産党一党独裁ですので、憲法の上にあるのです。台湾の1部の人たちは、「悪魔の帝国」と呼んでいるそうです。


 台湾問題で問題となるのは、尖閣諸島問題です。1895年に編入したのですが、突然領有権を主張するのは、1971年です。それも、国連の沿岸鉱物資源調査報告で東シナ海に石油埋蔵の可能性ありと指摘された1969年以後です。魂胆は見え見えです。ほぼ毎日、領海、領空に接近し侵犯も行っています。日本政府は厳重抗議だけ。マスコミ、野党は無視。憤慨しているのは自民党の1部だけです。まさしく、資源確保という国家戦略、侵攻計画があるのです。
 中国の野望はまさに露骨ですが、今回のウクライナ侵攻での各国の動きを分析し、台湾侵攻と尖閣諸島侵攻の最終の詰めを行っているだろうと思います。
 今話題になっている「W徹」「テリー〇〇」のように、そんなもの逃げればいい、日本人の生命が大事だからくれてやれ、と言うかもしれないです。
 
 今回のロシアによるウクライナ軍事侵攻は、「経済制裁や外交をしても戦争は止められない」ということです。だから、W徹やテリー◯◯が、逃げて降参せよと言う論理になるのでしょうか。国土、領土はいらない。生きていても逆らわずに従順にし、言葉も捨て、文化も捨ててもいい。あるいは、難民として海外で暮らしてもいい。ということになるのでしょうか。
これって、実に領土問題のある隣国にとって大変力強い言葉です。隣国に勇気と決断を与えるエールです。この発言を流すマスコミも凄いですね。こうなると、民族は異なってもいても同志ですから、優遇を受けるでしょうね。すでに侵攻前からのラブコールで、己が利益最優先という論陣を張る知識人です。お見事です。

記事検索