PHOTO MEMO by FES

写真についての個人的メモ

写真

写真についての個人的なメモです!

Melancholy

 コロナ禍で北海道も「まん防」から緊急事態宣言に移行しました。やや陽性者も減る傾向となっていますが、どうなることやらです。下グラフはNHK調べの「コロナ感染者数」からです。厚生労働省も相変わらず「感染者」と「新規陽性者」という2つの言葉を使っていますが、

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  厚生労働省も相変わらず「感染者」と「新規陽性者」という2つの言葉を使っています。下表がそれです。いわゆる累計となりますが、PCR検査での陽性率は7%程。陽性者のうちの重症の人の率は0.14%、
死亡者が15,939人で、PCR検査数から見ると1.1%で、入院治療等を要する人数から見ると6.9%となります。
 いわゆる致死率というのは、病気にかかった人の中でその病気で死亡した率らしいですが、マスコミでは感染者=陽性者なので、致死率は1.1%となります。最近、デルタ株で増えているようなマスメディアの感じなので、過去はひょっとして1%未満だったかもしれません。

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 致死率の高い疾病を調べてみましたが、YouTubeでありましたので、興味のある方は見てみてください。ここでは、インフルエンザや新型コロナウイルスが2%以上ありますし、日本にはないものもあるので、世界的な統計からのものだと思います。  https://www.youtube.com/watch?v=kmnqGVEA97o

 表題にあるメランコリーは憂鬱ですが、このコロナ禍で少しは希望らしきものもの感じるような写真ということで、他のSNSにアップしたものです。

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写真を読み解く1  主観と客観

 コロナ禍も異常な状況とは言え、過去の欧米並みなのかはどうなのでしょうか。北海道も「マン防」から「緊急事態宣言」へと移行しています。
 撮影の方も少し自粛ですね。

 以前はある作家の言葉から、「主観と客観」についてその方の考えを探ってみました。このシリーズでは、写真の「読み解き」「解釈」について書いたことがありますが、これも主観と客観という言葉で概要をとらえられるかと思い記載してみます。

 普通は写真を見慣れていても、写真家や写真を趣味とする人の写真についての見方はあまり分からないようです。
 妻は「ああ綺麗!」「こんなところあるの?」「こんな風に見えるの?」と印象を語るだけです。写真の構図などを説明して、こうした瞬間や動きながらこうした構図になるようにして撮っているとか話すと、少々驚くのです。私もまたそうでした。しかし、写真をやって作家の作品に触れる毎にどうして違うのかなどの疑問から、勉強し始めたというところです。

 さて、妻にもわかるようにと「写真の読み解き」方が説明できればいいかなという感じで書きます。


 写真の読み解き方 その1

<客観的情報を読む>

 先の「見た印象」はかなり重要だと思いますが、写真をよ~く観る場合は、そうした印象を横に置いておいて、写っているものを客観的に見ることから始めます。写真は平面的な視覚情報しかありませんので、そこに何が写っているのか、どんなものがあるのかを見ます。これは誰にでも捉えることができです。つまり、客観的情報を読み取ることができます。しかし、これも十人一応に同じとは限りません。経験や知識によります。それらの広さや深さによって捉える量や質がことなるかもしれませんし、それに鑑賞者の経験上で得た感情や感覚が合わされば独自なものさえ加わってくるものです。これは、視覚情報とは言え、人の脳内では様々なものとつながっているからです。まず、何が写っているのかさえ、共通項はありながらも広さや深さ、そのものへの感覚が異なるものもあるということです。
 
 さらには、写真内の物の位置や方向性などから、構図を読み取るとなると少し難しくなります。学ぶ機会がほとんどないからで当然です。しかし、そこには写真としての安定感や写っているもののバランスや、なぜ数ある撮影位置やアングル等の中でそれを選んで写したのかという構図的なもの、あるいはピントやボケがどうなっているかなどの撮影技術的なものを読み取ることができます。
 写真をやっていれば、使用したレンズが広角系かだとか、望遠系かも想像はできます。逆光なのに手前のものが明るければ、フラッシュライトを使ったか、現像で明るくしたかがわかります。

 カメラは現実をある程度忠実に写すものなので、共通項的な客観的な情報はそこから読み取ることができます。

 ・第一印象は抑えて… まず、何が写っているのかを見ます。
 ① 物の形や色彩、明暗。
  また、目立つもの、目立たないもの、前景・中景・遠景にあるものなど。
 ② 目立つものや写っているものが1つで背景がある場合は、背景も詳しくみます。2つ以上ととなる場合は、その大小や広さの違いを広いのかを見ます。
 ③ 撮影時刻や季節、天候を見る(あくまでも予想で)
 ④ 画質や諧調性を見る。
   
 ⑤ (構図的な見方として)
  目立つ物、あるいはメインな物でもサブな物ででも、それらがどう位置付けられているか。三角形や三角形の組み合わせになるかどうか。線や帯などの直線的な物や曲線的なものがあれば、その延長線上にあるもの物も見ます。1つの物をドンと撮っていても、まさに真ん中なのか、少しずらしているのかも見ます。これは、構図的な要素は複雑なものもあるようですが、それらが考慮されて撮られているかを見ます。
 ⑥ (写真の技術的、表現的なものとして)
   逆光・斜光・順光のどれか。広々とした広角系レンズかそれ以外か。シャッター時間を長くした長秒露光かどうか(ブレているようで一部はピントが合っている。雨が線になっている、雲が流れているのが分かる、など)。写真全体が暗いのか(ローキー)、極めて明るい色彩なのか(ハイキー)、モノクロかどうか。

 ①と② 特徴ある形や鮮やかな色彩、明るいものがあると目を引きます。1つの物を写した写真であればそれに目が行きます。2分割的な物だと鮮やかな色彩や明るい方か広い方に目がいきます。③は風景写真なので書きました。

 ③朝日か夕陽かは難しいですが、時刻は影があれば南天か午前・午後かは想像しますが、夜はわかります。季節的にはある程度分かるものもあれば、春と夏、夏と秋の境目は区別つきませんが、おおよそは分かると思います。①から③までを見れば、何が写っていて、何を中心に撮ろうとしたか分かることになります。

 ④ 画質とはピント具合や滑らかさ、粒状性(モノクロ等では新聞の写真のように粒が見える)などがどうか。諧調性と言うのは、グラデーションが滑らかどうかと言うことです。色補正を行い過ぎると崩れる場合があるのです。

 ⑤の「構図的な見方」は難しいですが、要は写っているものの全体的な安定感やバランスがいいかどうかということです。自然風景だと、日章旗のようにど真ん中もありますが、ややずらしているものもあります。よく3分割がいいと言います。水平線や地平線をどこに持っていくかということで、面積の多い方が主役、少ない方が脇役とも考えられます。これも、2分割や4分割のようにずらすのもあります。農作業やキツネが入ってきても3分割での交点においたりします。そうなるとバランスが悪いのなら、それなりの理由があるのかもしれません。

 ⑥の「技術的なもの」は写真をやる方でないと難しいかもしれませんが、写真をやっていればそうした読み方もできるということです。

例題:下のモノクロ写真で何が写っているか見てください。
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  大まかに見ると、暗い部分が丘で、あとは山と空です。目に付くのは、まず建物。それとその左にある人影2人と何かです。よく見ると乗り物で、何か作業をしているのがわかります。乗り物をよく見ると前輪がありませんし、後ろはキャタピラーです。乗り物は1台で、作業は協力してやっていることになります。人の上には煙のようなものがありますが、雲や霧でしょうか。山からは煙、噴煙があがっています。

 そこでもっと詳しく見ます。暗い大地は何か異様かもしれませんし、山も何か違います。山をよく見ると明るい部分が多いこと。そして、大地の表面からは細かな線状の起伏がたくさんあり、3条の光の曲線が横に走っています(反射)。それらを考えると「雪」の冬です。
 時刻となると、暗い大地と明るい山から見ます。山よりも暗い大地ですから、まだ光が十分にきていない状態です。また、よく見ると山の影が見えます。大地の暗さと影の角度からすると、朝方と言えます。
構図のようそしては、3分割で大地の方が多く占めています。主要なものは、建物、人、煙で三角関係です。もう少し右の方に移動すれば、二等辺三角形になったかもしれません。大地は左に傾いていますが、山は大体右にかたむています。大地の傾いている方には草や煙、3条の光がありますが、建物の下には少しスペースがあります。こうして見るとややバランスはあるでしょうか。フレーミングとしては、左は「草」、右は影のラインの上の稜線が上がるところ。上は空、下は3条の光の下となります。表現的にはモノクロ写真です。暗い部分は強調したかもしれません。
 ここまでが客観的に見えるものとそれから分かることです。見た物をまとめると、「晩冬の丘で、早朝に融雪剤を散布する光景の1つ」となります。

 融雪剤とかスノーモービルとなると、少々北国の畑作に詳しいということになります。

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                  <続きは次回にします>

A moment of shyness

 夕焼けに染まる冬の山々は見ることができますが、雪のない山が赤く染まるのは珍しいかもしれません。とは言っても、霧を追っていると見かけることがあるのです。今回は太陽の高度が低いためか、大雪山連峰から出てくる朝陽が十勝岳連峰の裾野までピンク色に染め上げました。

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 図にすると、下のような感じです。しかし、旭岳や忠別岳、トムラウシ山などは、特にピンク色ということではありませんでした。
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 山々はすでに晩夏ですので、木々が生えています。従って、染め上げるには難しいと考えますので、霧や霞の発生が、空気層の厚みを増した形になって、ピンクの光に変わったのだろうと想像しています。ですから、旭岳やトムラウシ山の方はそれほどピンク色を感じなかったのかと思います。

 このように十勝岳連峰の裾野までピンク色に染まるのは余り見たことはありません。どちらかというと、夏の霧発生時の日の出前後は、大雪山連峰の左にある天塩岳の方に関心がうつりがちになります。こちらの方の朝焼け色が実に濃く幻想的になることが多いからです。

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 山紫に空は朝焼けというのが早く訪れるのです。これはまだ日の出前の撮影です。また、天塩岳が2つの連峰よりも小さいので、その手前のなだらかな山や丘の重なりがいい感じだと思っているからです。とは言え、霧発生の日の出前後の時間は、天塩岳から十勝岳連峰までの変化を見ながら撮影ということになります。

写真のリアリティ

 連日猛暑日がつづいた天気もなくなり、朝晩は10℃台前半で、肌寒さを感じるようになりました。北海道は急速に秋を迎えそうな気配です。本州は雨で大変な地域もあるようで、今後の天候が心配です。

 さて、「写真におけるリアリティ」ですが、下記のようなことをウェブにあげてみました。

「明暗のある光景や立体感・奥行き感があるリアリティが欲しい。私は、現実そのものをリアリティとすべきではなく、現実未満か現実以上で、心の真実に近いものや、遥か過去か未来にあるべきものをリアルとしたいと模索しているのだが。作品におけるリアリティというのは、実は現実ではないということだから。」

 ふっと感じたことを書いてみたのですが、あとあと考えるとどう解釈していいものなのか自分でも難しいですね。

 現実を記録化するにはスチールカメラやビデオカメラが最適な道具です。しかし、肉眼には敵わないために、肉 眼に近づけるには、カメラの各種設定や現像による調整が必要です。しかし、現実と同じなら美術品の写真などと同じです。とは言っても、カメラ設定、照明等を厳密にしなければ現実を写し取ることはできませんし、肉眼のダイナミックレンジにはかなわないので、ある意味省略されていることがあるかもしれません。
 それに平面の二次元表現ですから、立体感や奥行き感がでればと思っています。基本的には、ホワイトバランスや色相、細部の明暗や色彩の調整がなければならないと考えています。基本的には、これでリアリティを創りあげようと試みているという感じです。これが1つ目のリアリティです。

 2つ目は例えば印象的なもの、心象的なものが合う光景としたら、ハイキーやローキー、あるいは、鮮明さを弱くしたりします。これが現実未満や現実を越えたリアリティです。霧の光景は鮮明さがないのでこれが基本なのかもしれません。現実以後というのは、タイトルSurfaceでの表現のことで、肉眼では捉えられない光の違いを顕わにしたものと言えるかもしれません。

 これも2つ目だろうと思っているのですが、遙か過去と未来へのリアリティです。遙か過去と言えば「郷愁」や「懐かしさ」と言った印象を与えるような表現、もしくは、それを意図した写真です。未来というのは、過去から未来へと続くような普遍的なもの、あるいは幻想的で時間を超えたものという方がわかりやすいでしょうか。

 リアリティは現実という意味もありますが、真実というのもあります。文学小説、私小説などはフィクションですが、何らかの真実が綴られていて我々を感動させるのに似ているのではないかと思います。肉眼よりも心で見たようなもの、感じたものを上手く表現できればと考え、とりあえずはこのような解釈をしてみました。

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麦畑という群にあっても、トラクターの轍とピントのあった箇所には個体の麦がきれいに描かれていて、その個体が幾百、幾千万…と集まっているのです。

 なぜ、このようなことを考えるかというと、テーマやコンセプト、被写体に関わることで、私の1つの解釈だからです。写真が氾濫する時代ですので、何か特異な考えを持って写真を撮らなければ個性が出ないかもしれないからです。奇抜な写真、色彩鮮やかな写真も一般受けはしそうですが、個人的なテーマやコンセプトで撮る写真が重要になってくると思われるのです。

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 これはnoteのタイトル画像にも使っていますが、本当にこの時間に雪原がこのように青いのか?と思うことがあります。写真の技術書でも、雪の冷たさを表現するには青味を加えるといいと言われています。これは見た目、カメラ映像よりも、感覚や印象を付け加えなさいということになります。実際、逆光気味なのでカメラでの雪原はもっと暗いことになります。肉眼でもやや暗い青です。それをこのように明るくし、雪原の凹凸もわかるように現像し、空の青との同調と夕焼け色との対比を試みたのです。これはもう現実ではありません。

霧の淡景 その2

 霧を英語で表すと、fog,mist,hazeとあるようです。厳密には、それこそ前が見えないようなものはfogになるようで、靄(もや)に近いのがmist、霞がhazeとなるようです。濃さというのも個人的な判断でしょうが、fogの中だと写真にはなりにくいでしょうか。以前に投稿した塊のようなものはまさしくfogでしょうね。雲海のようなものもfogでしょう。これよりも薄いものとしてのmistは、「神のベール」をも意味していて豊かさの象徴とされ、文学的な表現としてよく使われるそうです。
 従って、個人的には「mist」がいい感じです。エロル・ガーナーの「misty」が好きでもあります。「目に涙がにじむ」「記憶が曖昧な」という意味もmistyにはあるようです。ジャズmistyでは恋に落ちてとまどったり、うっとりするのをmistyと表現しています。

           日の出後からの撮影
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         日の出後から一部だけ朱色が現れました

霧景 2 (霧の淡景 その1)

 霧の景色もなかなか気に入ったものが撮れないのは、他の場合と同じでしょうか。濃すぎても薄すぎてもダメです。今回の霧は少し薄いものでしたが、前回書いたように幾筋もの流れがあって結構広範に発生しました。また、白虹も追ってみましたが、それほどの高度がなかったせいか地面近くのものしか見られませんでした。丘を這うように漂っていたのですね。

 太陽光の変化での霧の色はあまり大きく変わらなかったのですが、淡い色彩で現像を楽しむことができました。もちろん、レンズとカメラを通しての画像ですので、実際に見えるのかと言えばそうではないこともありますが、いわゆる「表現」も含めて、現在の個人的には納得できるものができあがったように思っています。数回に分けて投稿します。

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                   日の出前の大雪山連峰と霧

 このコロナ禍の一般的な情報も、陰謀論的な情報も、どちらもイライラするものばかり。緊急事態宣言が終わって陽性者数が急増すると「リバウンド」と騒いでいるマスコミですが、リバウンドなんて予防的な自粛を期待して意図のものなのに、緊急事態を解除すべきではなかったというような論調で使われます。この陽性者増加も2週間前の緊急事態時の結果のものなのですけれど。

 さて、自然の光景だけはこんな理屈は通りません。今回の写真は、【ファンタジック 霧の淡景】
と称してみました。ふわふわとするような淡い色彩の霧の景色となります。

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Dear Fox

 いることが分かるとつい様子を見に行ってしまうのがキツネです。例の水辺の狐もそうですが、まだ他にもいます。ただ、出会う時間帯があるようです。
 今回も望遠レンズですが、あれよあれよと近づいてきて、思いもよらぬ1、2mの大接近となりました。


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 体が濡れているようですが、例の水辺のキツネとは違います。畑から降りてきたのですが、朝露の草中を通っていたのでしょうか。これで何度か目の出会いとなります。すでに子育ての時期なのですが、親ギツネなのでしょうか。最後には私の前を通り過ぎて林の方に去って行きました。

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黄金に染まる

 コロナが減少し自粛解除も噂されていますが、そうなると家族キャンプ再開となります。そこで、キャンプギアや大工道具を綺麗に整理しようと、車庫内に新たな棚の作成を始めました。ということで、写真投稿がご無沙汰になってしまいました。

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 「ゴールデンアワー」では、温もりのある光が大地に注ぎます。黄金色の光が地上を覆うのです。noteへの投稿でも書きましたが、つい太陽神を思い浮かべます。

 実のところ、古代史も好きですので、彼らの文化や宗教的心情にも興味があります。砂漠ではどうかわかりませんが、自然豊かな環境で生きていた古代人は「太陽の恩恵」を特に感じ取ったのではないかと思います。古代エジプトは砂漠のイメージですが、エジプトでも植物が生い茂っていた時代があり、それが太陽神「ラー」を信仰するもとになったのではないかと思います。日本では「天照大神」ということです。

 今や世界宗教は一神教です。キリスト教もイスラム教も同じ神を信仰しています。人口的には少ない仏教は、釈迦という実在の人物が仏として崇められますが、後に「大日如来」という神のような存在が密教によって考えられますが、仏教は一神教とは異なった宗教と言えるかもしれません。また、日本では、戦後否定された「神道」あるいは、古事記や日本書紀にある神道的な宗教観があったようです。これが天照大神を崇めることとなります。

 日本では神社へ詣でることがあります。初詣や七五三、厄年払いなどです。詣でなくても、各地の神社主催のお祭りに出かけます。神輿もあったり、出店もあります。家には神棚があるところもあり、意識はしなくても「神道」が生活の一部になっているようです。そうなると、現代国家ながらも、日本という国(多くの人々?)は、古代から未だに太陽神を崇めるような風習のある稀有な国家ということになります。

 安土桃山や江戸時代初期にキリシタン弾圧もあったせいか、あるいは太陽信仰のせいか、明治以降あるいは戦後にも西欧文化がドット流れ込んできましたが、現代日本のキリスト教信者は人口の1%だそうで、一神教に染まらない珍しい国でもあります。

 キリシタン弾圧ですが、異国の宣教師は布教が目的でしたが、大名に武器交易を進めたり、中には人身売買にも関係していたようで、経済活動にも影響力を発揮していたようです。しかし、仏教や神社などには不寛容で、それらは邪教だとして信者に放火や破壊をさせたり、僧侶を迫害したようです。また、人身売買についても教会側が「売る方が悪い」として一向に止むことがないことから、秀吉を怒らせバテレン追放令、江戸時代の鎖国へと向かって行ったそうです。キリスト教の教義によって封建的支配構造が危うくなるという仮説もその1つでしょうが、この不寛容性が当時の庶民の反感を買うことは間違えのないことですし、それと、スペイン、ポルトガルの世界侵略を阻止するという為政者の世界情勢判断が当時の日本にあったと思います。

 明治維新後では、キリスト教で救われるのは信者のみですので、亡くなった父母、祖父母、先祖や信者以外は救われないということもありますので、心情的にも合わないことも多々あったのではないかと思っています。

 やや雑談となりましたが、黄金色の景色は古代からの心象風景にも思えます。水稲文化が日本に広がるにつれて、この早朝の光の景色は「収穫」「豊穣」を予想させたり、太陽神が約束するようなものとして、日本人の心に焼きついてきたのではないでしょうか。

 中西敏貴氏がアイヌの神々を写真におさめる試みをしたように、自然風景写真を撮る私どもも古代人の視覚と心情を今に蘇らせるような光景を残していくのも1つの方向性でもあるかもしれません。

光芒

 霧の大発生で木陰には光芒が見られます。
 下の写真は過年度の初秋の霧模様です。薄めの霧が後半に地面を這うようにやってくれば、このように大々的な光芒が見られます。

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 さて、今回は、他の場所にも移動してみましたが、それこそ「km単位」のような大型の塊のような霧のためか、丘ごと覆ってしまうような感じですので見つけることができませんでした。小さな林での光芒ですが捉えてみました。

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 木々の間の光芒というよりも、枝の間のような細い光芒という感じでしょうか。

薄霞

 5月並みの気温で見る見るうちに雪解けが進みました。大地の色でキツネも目撃しにくなって、風景が主役の季節に入ってきました。雪で閉ざされていた農道の走行も可能になって、移動範囲、撮影フィールドが広がります。過日は十勝岳の山麓でも撮影と行ったのですが、白金ゲートが閉ざされていました。 
 
 さて、春間近ですが、霧も発生しています。日の出後にだんだんと濃くなって来るようです。タイトルは「霞」ですが、霧と霞の区別はなく同じ現象のようです。だた、霞には遠くの山にかかる雲も含むようです。俳句では霧は秋の季語、霞は春の季語だそうです。また、霞は朝で、夜は朧というそうです。

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 ほんのりと霞がかかっています。陽が登ればどんどんと水分が蒸発しているのだと思います。これから大地に緑が戻ってきて、眠りから覚めるように息づいてくると思います。
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