PHOTO MEMO by FES

写真についての個人的メモ

再生

写真についての個人的なメモです!

古代人のこころと自然観 その9 古代人の埋葬

  いよいよ、こころと自然観に入ります。

 日本列島に人類の遺物があるのは、3万年以上前の旧石器時代で、その後1万年6000年前からの縄文時代となります。この時代は、間氷期で暖かくなり海進が進んだ時期で、鬼界カルデラの大噴火があった時期となります。

 縄文時代の人が何を考えていたのか、どんなことを思って暮らしていたのかということは、記録としての文字がなかったというが定説ですので、遺跡から考えるしかないようです。


<縄文時代の埋葬>

 三内丸山遺跡に行ったことがあるのですが、実際に竪穴住居や高床式住居、大型住居を見たり入ったしてみると、その堅牢さや広さに驚きます。建築は恐らく共同作業でしょうし、大型住居に入ると、ここに人が集まって何かを相談したのではないかと、「ことば」の存在を否定することができないのではないかと思いました。人との交流や技術をことばで伝えることへの大切さ、重要性を実感できるほどです。

 さて、思想的なものとなると、死にまつわる埋葬方法、場所などがヒントになるかもしれません。

 縄文や弥生での埋葬法についても、土器に入れたり、体を折り曲げて埋葬したり、さらには、再度掘り出して合葬するというようなこともあったそうです。基本的には土を掘って埋葬する土坑墓です。また、犬との合葬というのもあります。埋葬場所が竪穴住居の入り口付近や、竪穴住居群の中央部であったり、竪穴住居群の入り口横、三内丸山ではムラにある道路の両脇にあったりしているそうです。死者を忌み嫌うというようなものがない時代であったかもしれません。ただ、体を折り曲げて埋葬する屈葬は世界中でも珍しく、石などを抱かせたりするのもあるようです。この埋葬法については、


 ・土を掘るのを簡素化するため(労力節約説)
 ・胎児の形をさせて再生を願った(胎児位説)
 ・石を抱かせるのは、再び生き返らないようにするためとか(死霊鎮圧説)、遺族からの贈り物だとするもの

 定説は、再生することによる災いを防ぐ、死霊鎮圧説というものです。日本にある後の神道の「穢れ」を念頭においた考え方であろうと想像されます。それならば、なぜ、足腰を曲げるために死者に触れたのだろうか、さらに人の往来のある場所に埋葬したのでしょうか。そこにはもっと深い意味、思想があったと思います。


 個人的には、胎児位説に説得性があるように思っています。平均寿命が30歳程度の時代です。死に出遭う可能性は今よりも格段に多かったと思います。女性の出産可能なのは15歳としても、子供がその頃になると親が死ぬということになります。そうした中では家族間や親戚間の絆は今以上に強かったのではないでしょうか。季節が巡り草花がまた咲くようにと、大地に穴を掘って胎児の姿をさせることで、再生を願ったというのが意味ある解釈だと思います。特に幼児は壷に入れてそれこそ大切に埋葬したことを見ると、再び、お腹の中に子が授かることを願ったのだと思います。ムラ人もまた再生を祈り、身近な人の霊魂が人々の生活を守ってくれるものと願ったのかもしれません(このあたりは少し飛躍でしょう)。埋葬場所に草木が生えたり、虫がいることもまた、再生、転生の一つの現れであったかもしれないのです。

 世界では旧石器人が埋葬時に花をたむけたようなことも読みましたが、弔いへの思いは、今日の宗教でも「再生」に似た考えがあるようです。それは神の国で復活するとか、極楽・浄土に行くとか、これもある種、どこかの国での再生ということですから。
 
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<弥生時代の埋葬>

 さて、弥生になると、伸展葬になります。基本的には土坑墓ですが、木の入れ物に入れて埋葬した木棺墓、縄文では乳児だったのが大人も土器に入れた埋葬した甕棺墓、土坑墓の周囲に小さな石を置いて穴を塞ぐように大きな石を置いた支石墓、盛り土をした墳丘墓などが現れてきます。徐々に規模か大きく副葬品も増えてくるそうで、身分の差が表されてきます。そして埋葬場所もムラ中から外へ、共同墓地のような形をとります。これらは、農業生産中心のムラ機能への変化でしょうか。それとも、一般的な学説である渡来人(中国、韓国経由)たちの風習を取り入れた結果の変化なのでしょうか。

 魏志倭人伝には、葬儀の様子が書かれています。「始めて死するや停喪すること十余日、時に当たりて肉を食わず、喪主は哭泣し他人は就きて歌舞し飲酒す」とあります。喪に服すというような習慣と今の通夜の飲食のようなことがあったと思われます。

秋と冬の狭間で 2 読み解き

 「秋と冬の狭間で」ということで、青い池の写真を掲載しました。夏も撮らなく、ライトアップも撮らなくなりましたが、まだ紅葉が残っていて、湖面に雪が降り積る前までが自分にとって最適な状態と思っています。

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 できれば紅葉が残っている降雪時、湖面に白い雪綿と青さがあるのが最高級ではと思うのです。青い池の諸相の中でも、そうしたものに出会えればいいでしょうか。

 諸相については述べましたが、「相」というのは、木に目を近づけて「よく見る」というのが語源で、さらによく調べるというようなことも付け加わったのだと考えます。従って、視覚はもちろんのこと、触れたり、味わったり、嗅いだり、耳を近づけたりと五感を使う訳です。また、情報を調べるというのもありでしょう。そうすれば、五感だけではない知識という相も加わってきます。経験で言えば、この青い池とは10年近い付き合いで、周囲の状況とともにその変化を見てきました。つまり、相というのは、五感に知識、経験などが総合されたものだと考えます。


 <不死と再生の象徴 一つの解釈 写真の読み解き>

 青い池については、数年前に大風が来て堰が決壊して、倒木という事態も起こりました。これから立ち枯れの本数が少なくなっていくことが予想され、記録のためにも撮る必要があるかなぁ、程度の認識でいました。しかし、諸相・非相などを軸としてあらためて青い池を考えてみました。

・青い池の主題 立ち枯れと青い湖水は、死(あるいは屍骸)と死、青は、立ち枯れへの餞(はなむけ)の色でもあること。死してなお木肌を見せ、立っているのです。なんと気丈な姿でしょうか。死してなお生きているかのような凛々しさを感じます。そして、それを称えるのが「青」という色彩です。赤でもなく、黄色でも緑でもない青です。青は希望や冷静、神秘などの象徴として用いられることが多いとのことですが、「希望」としての餞(はなむけ)でもあるようで、死してもなお生きるという神秘さを与えているのではないでしょうか。

・こうしたことに、ある種の「美」「美学」を見いだせないでしょうか。また、古代エジプトから流れる「不死」への願望です。あるいは、死して残す美しさから「再生」への願望もあるかも知れません。これがこの池を見て、「美しい!」「綺麗!」と言わしめる根源的なものかも知れません。私は使い古した綺麗よりも、「清麗」がいいと選びました。不死が清麗とは似合いませんが、けなげさやはかなさが含まれているのかも知れません。

・ケント白石氏の世界に名だたる青い池は、上の写真とは違って、背景の木々はありません。従って、シンプルですし、私のこのような解釈がひょっとして西欧に受け止められたからとも考えています。不死と再生(復活)はキリスト教にも近いものであるからです。死した物が再生するかのように、染みいる青さの中、白い(永遠の象徴)降雪が美しく舞うというのが語られている写真となるのです。

 さて、私のは紅葉の木々が背景にあります。余分と言えば余分です。まあ、季節の狭間を表すならば紅葉は不可欠という理屈にもなりますが、深く(こじつければ?)、下記のようなことも考えさるのです。

<紅葉の木と立ち枯れ、降雪、湖水> 

 それは端的に生と死が対峙している光景です。紅葉もまた生の諸相の1つ、季節の流れによる生の変化です。降雪もまた季節・時の変化、気体・液体・個体の変化です。
 湖水も雪も水であり、水は木の体内をめぐり、命を支える1つの要素ですし、立ち枯れを見るとき、死んではいてもその水を含むことによって、倒木から存えているかも知れないのです。

 こうした変化をどう受け止めるのでしょうか。仏教では無常という言葉で言い表されます。一般的には「はかなさ」「むなしさ」を連想させる言葉ですが、「わび・さび」としてそこに美を感じたのが日本人でしょうか。それに悲観的にならずに、そこに美を感じそれを受容することで、諦観よりも現実的な生を見出すということなのかも知れません。同じように見えても、常に変化していくのがこの世界であること。そこに変わることを拒んだりすることなく、避けることなく受け入れ、時の流れに任せること。迷いも変化の1つであり成長という再生の機会かも知れません。悩むときは悩み、もがく時はもがく。嬉しい時は笑い、悲しい時は泣く。これが偽りなき人の心だということです。
 この先となると、まさしく宗教の領域となりますのでこれまでですが、たとえ諦めとしても、善くは生きたい、何かへの努力はできるのも人間だと思います(性善説的)。それを少しでも行いながら、「ケセラセラ」「Let it be」という楽観的な気持ちで過ごし、生をまっとうするのが最善だと思うのです。


 <結論> 

 自然の理にそって変化し、生と死が活きているというのが「降雪の青い池」と解釈します。さらにそれらを結びつける水の存在を考えると、自分もまた自然の理の中で生き死んでゆく身であるというような一体感を持つ時に、そうした自然と同化し、「美しく清麗な光景」と感じ、自分もそれに抱擁されるような心境に至るのではないでしょうか。
 そこに宗教とは厳格に言えないものを感じるとすれば、自然に魅入るアニミズム的な心境でしょう。
小鳥のさえずりや風の音を雑音として認識する西洋の人々というのをある本で読みましたが、私たちの文化では俳句、短歌、文学で叙情的なものとして認識されるとのことです。大いなる自然もまた一体感のあるもの、包み込んでくれるものとしてあるようです。これは、この国土に1万7000年前から文化を作りあげてきた古の縄文人達のDNAが残っているかもしれません(これも知識です)。こうしてみると、自然は癒しだけではないものを与えてくれているのだと、また深掘りしたくなります。

 秋と冬の狭間の中で、このようなことを考えたのが、この光景でした。そして、一体感とすれば、より明るく雪も強調されるだろうということにもならないだろうか。と、違うショットを現像してみました。

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