光芒
1月19
10月1
今年の初雪は何日だろうか。例年10月が初雪の時期なのがここ道北の気候です。秋蒔き小麦や豆の鬼積みに降りかかる雪景色は、静寂の象徴です。夏場は通っていなかった青い池方面への移動も多くなりそうです。
今日は濃霧で9時以降も発生していいました。珍しいことです。寝不足で出発したせいか、霧が晴れていくのを観察しようと霧中に移動したり待っていたのですが、トイレ欲求や空腹もあって街中のコンビニに駆け込み、軽食を摂っていたら眠気を催して帰宅となりました。10月最初の写真を!
久々にここの写真を撮りました。リターンということもあり、珍しくたった一人でした。ここは一度晴れてしまい霧を追って他の場所に行ったのですが、まさしく濃霧の中となり、晴れそうもなくて、逆戻りしてみたら、西の谷から北へと流れ込んでいた霧が、なんとこの場所に流れこんで来たのです。
経路からすると北に流れる霧が南へと逆流してきました。状況を観察すると、北へと流れ込む霧が行き場を塞がれて流れ込んできたという感じです。
日の出前はこんな様子で、手前の霧が薄くなってきて、奥にある上富良野方面からの流れくる霧の移動速度が極めて遅くて、変化を期待できなくて移動したのです。上富良野方面も一面に霧でした。それがあちらこちら移動しているうちに、西の山の裾野を経て、ここに逆流して戻って来たということでした。
今日は濃霧で9時以降も発生していいました。珍しいことです。寝不足で出発したせいか、霧が晴れていくのを観察しようと霧中に移動したり待っていたのですが、トイレ欲求や空腹もあって街中のコンビニに駆け込み、軽食を摂っていたら眠気を催して帰宅となりました。10月最初の写真を!
久々にここの写真を撮りました。リターンということもあり、珍しくたった一人でした。ここは一度晴れてしまい霧を追って他の場所に行ったのですが、まさしく濃霧の中となり、晴れそうもなくて、逆戻りしてみたら、西の谷から北へと流れ込んでいた霧が、なんとこの場所に流れこんで来たのです。
経路からすると北に流れる霧が南へと逆流してきました。状況を観察すると、北へと流れ込む霧が行き場を塞がれて流れ込んできたという感じです。
日の出前はこんな様子で、手前の霧が薄くなってきて、奥にある上富良野方面からの流れくる霧の移動速度が極めて遅くて、変化を期待できなくて移動したのです。上富良野方面も一面に霧でした。それがあちらこちら移動しているうちに、西の山の裾野を経て、ここに逆流して戻って来たということでした。
8月30
コロナ禍で北海道も「まん防」から緊急事態宣言に移行しました。やや陽性者も減る傾向となっていますが、どうなることやらです。下グラフはNHK調べの「コロナ感染者数」からです。厚生労働省も相変わらず「感染者」と「新規陽性者」という2つの言葉を使っていますが、
厚生労働省も相変わらず「感染者」と「新規陽性者」という2つの言葉を使っています。下表がそれです。いわゆる累計となりますが、PCR検査での陽性率は7%程。陽性者のうちの重症の人の率は0.14%、
死亡者が15,939人で、PCR検査数から見ると1.1%で、入院治療等を要する人数から見ると6.9%となります。
いわゆる致死率というのは、病気にかかった人の中でその病気で死亡した率らしいですが、マスコミでは感染者=陽性者なので、致死率は1.1%となります。最近、デルタ株で増えているようなマスメディアの感じなので、過去はひょっとして1%未満だったかもしれません。
致死率の高い疾病を調べてみましたが、YouTubeでありましたので、興味のある方は見てみてください。ここでは、インフルエンザや新型コロナウイルスが2%以上ありますし、日本にはないものもあるので、世界的な統計からのものだと思います。 https://www.youtube.com/watch?v=kmnqGVEA97o
表題にあるメランコリーは憂鬱ですが、このコロナ禍で少しは希望らしきものもの感じるような写真ということで、他のSNSにアップしたものです。
厚生労働省も相変わらず「感染者」と「新規陽性者」という2つの言葉を使っています。下表がそれです。いわゆる累計となりますが、PCR検査での陽性率は7%程。陽性者のうちの重症の人の率は0.14%、
死亡者が15,939人で、PCR検査数から見ると1.1%で、入院治療等を要する人数から見ると6.9%となります。
いわゆる致死率というのは、病気にかかった人の中でその病気で死亡した率らしいですが、マスコミでは感染者=陽性者なので、致死率は1.1%となります。最近、デルタ株で増えているようなマスメディアの感じなので、過去はひょっとして1%未満だったかもしれません。
致死率の高い疾病を調べてみましたが、YouTubeでありましたので、興味のある方は見てみてください。ここでは、インフルエンザや新型コロナウイルスが2%以上ありますし、日本にはないものもあるので、世界的な統計からのものだと思います。 https://www.youtube.com/watch?v=kmnqGVEA97o
表題にあるメランコリーは憂鬱ですが、このコロナ禍で少しは希望らしきものもの感じるような写真ということで、他のSNSにアップしたものです。
8月16
期待した濃霧も曇り空の中では、光は弱く平板な感じの光景、いや景色となります。頼みの綱は、雲間からの光です。この日は濃霧注意報で、予報は晴れでしたが、空一面の雲に薄い霧の発生でした。しばらくは雲の変化を見ていたのですが、別の場所への移動中に赤い光芒も見られましたが、直ぐに消えてしまいました。次の場所でもしばらく待っていましたが、細かい雨も降ってくるような状況でした。
そして、遙か遠くの丘の辺りがうっすらと赤味を帯びて、雨が降っているのを見ました。
それがこれです。妙な形の明るさがありますが、モノクロ現像でようやく捉えたものです。ここだけが明るいといった感じの光景です。確かに雨が降っているのも確認できます。モノクロでは粒子の粗さも指定ができるので、少々荒目にしました。やや弱めの光の降臨といった感じです。
この後も変化なく、少し早いキツネ狙いに移動しました。そして、その途中で撮ったのが下の写真です。
緩やかな丘に雲間からの光が差した光景です。これもほんの3,40秒のことでした。最初に見つけたときは画面の右の刈られた麦畑だけが明るい状態で、停車し直ぐに撮影を開始した中の1枚です。
このような時は、例の新しい雲台(3代目)が実に役立ちます。車からカメラと三脚を持ち出してカメラを設置するまで10秒以内で撮影体制に入れます。望遠の三脚台もアルカスイス製のものにも変えたのが正解です。この光もやがて消えてから、キツネ狙いとなって、2匹のキツネに出会いました。
そして、遙か遠くの丘の辺りがうっすらと赤味を帯びて、雨が降っているのを見ました。
それがこれです。妙な形の明るさがありますが、モノクロ現像でようやく捉えたものです。ここだけが明るいといった感じの光景です。確かに雨が降っているのも確認できます。モノクロでは粒子の粗さも指定ができるので、少々荒目にしました。やや弱めの光の降臨といった感じです。
この後も変化なく、少し早いキツネ狙いに移動しました。そして、その途中で撮ったのが下の写真です。
緩やかな丘に雲間からの光が差した光景です。これもほんの3,40秒のことでした。最初に見つけたときは画面の右の刈られた麦畑だけが明るい状態で、停車し直ぐに撮影を開始した中の1枚です。
このような時は、例の新しい雲台(3代目)が実に役立ちます。車からカメラと三脚を持ち出してカメラを設置するまで10秒以内で撮影体制に入れます。望遠の三脚台もアルカスイス製のものにも変えたのが正解です。この光もやがて消えてから、キツネ狙いとなって、2匹のキツネに出会いました。
7月31
霧の淡景の最後です(忘れてました)。太陽の高度も上がり、霧も白くなり薄くなったので、霧が流れてくる方へと移動してみました。丘の下へと下がり、霧が流れ込んでくるような場所です。
霧の中に入ると、密度の濃い層が地面と空中を漂っているのが見えます。次の写真には光芒も見えますが、霧の流れや状態がよくわかります。この後は、どんどんと霧散して薄くなって行きました。
霧シリーズでしたが、面白い光景がみられました。これだから霧に惹かれるのです。撮影の拠点は美瑛の丘や山々が見渡せる有名な場所です。まずはここから霧の発生状況を確認してから撮影を始めます。時には4、5人は集まるようですが、いつ見切りをつけてどこへ移動するかはそれぞれです。流れいく北へ、流れ込んでくる南へ、または、東へとなります。丘の間にまだ霧が残っていれば白虹も追えるかも知れません。
霧から次の撮影となると、太陽高度も上がって白い光となります。光の変化ということではもう終わりですので、いつものようにキツネに会いに行こうというのが、昨年11月あたりからの行動パターンとなっています。この日は、別々の場所で2頭の子ギツネに出会うことができました。
今日は最高気温の37.6℃で、江丹別では38.4℃と観測史上1位。体温よりも高い気温となりました。私は地下でDIYだったので、そんなことはつゆ知らずでしたが、2時に部屋に入るとうだるような暑さです。エアコンもいつもはエコ運転でしたが、「冷房」にしました。
この猛暑の原因はというと、太平洋高気圧の上にチベット高気圧が被さって、2つの暖房器があるような格好になったからだといいます。
霧の中に入ると、密度の濃い層が地面と空中を漂っているのが見えます。次の写真には光芒も見えますが、霧の流れや状態がよくわかります。この後は、どんどんと霧散して薄くなって行きました。
霧シリーズでしたが、面白い光景がみられました。これだから霧に惹かれるのです。撮影の拠点は美瑛の丘や山々が見渡せる有名な場所です。まずはここから霧の発生状況を確認してから撮影を始めます。時には4、5人は集まるようですが、いつ見切りをつけてどこへ移動するかはそれぞれです。流れいく北へ、流れ込んでくる南へ、または、東へとなります。丘の間にまだ霧が残っていれば白虹も追えるかも知れません。
霧から次の撮影となると、太陽高度も上がって白い光となります。光の変化ということではもう終わりですので、いつものようにキツネに会いに行こうというのが、昨年11月あたりからの行動パターンとなっています。この日は、別々の場所で2頭の子ギツネに出会うことができました。
今日は最高気温の37.6℃で、江丹別では38.4℃と観測史上1位。体温よりも高い気温となりました。私は地下でDIYだったので、そんなことはつゆ知らずでしたが、2時に部屋に入るとうだるような暑さです。エアコンもいつもはエコ運転でしたが、「冷房」にしました。
この猛暑の原因はというと、太平洋高気圧の上にチベット高気圧が被さって、2つの暖房器があるような格好になったからだといいます。
7月16
日の出時刻がやっと4時以後になってきました。今朝は2、3時間の睡眠後に起きて出発。撮影がひと段落すると睡魔が襲ってきて、子ギツネを待っている間に寝てしまいました。
今日は霧が2度ほど時間差でやってきた感じです。勿論、流れる場所は異なるので、もう霧がなくなるということでキツネを追いかけるのですが、また、逆戻りしたり、流れる方向へと移動したりと、霧を追ってみました。
今回は霧情景なのですが、「光芒」を取りあげました。
光芒はモノクロの方がよくわかります。逆光気味の撮影なので霧に反射する光をよく表現することができるように思うからです。これは霧も霧散していく前で、陽も高くなってきて気温が上がり、霧も上昇しかけています。
これは太陽を入れてみたカラーです。光芒という光線よりも、樹影という印象のものです。美幌峠の上川地方への道路で見かけそうな光景です。次は少し妙なものです。
上部の霧だけに色が付いているものです。どのような原理なのかはわかりませんが、何か神秘的な感じがします。
noteと同じ投稿写真で、この神秘さを感じるものとして、自分の中にあるアミニズム的な精神作用に触れました。アミニズムは生物や無生物にも神聖なものがあると言うことです。日本ではいわゆる「神道」と言う形で、アミニズムが神社に残っています。神社ですので、天照大神などがご神体ですが、神道以前の古来から崇められてきた木や岩、あるいは山をも祭っています。動物では、狼は神の使いでもあると同時に「大神」であることから狼信仰があったようで、これが名称の由来だそうです。アイヌの熊送り(熊祭り)というのがありましたが、アイヌの神であるカムイが熊の姿でこの地上に遊びに来たのを、再び天に返す儀式です。
遙かなる縄文
アイヌが縄文人かどうかは別として、日本列島には3万8千年前から人が住み、あの有名な縄文式土器を創った縄文人は1万6500年前から3000年前にいたといわれています。実用性の薄く、恐らく祭儀用かと思われる土器は、死者を送ったり祭ったり、自然災害を鎮めたりするために創られたのではないかとされます。今の野生動物がそうであるように、食料確保や生産だけに追われる生活から、食料の余剰と蓄積ができ、固い石を鏃にするような専門的な分業なども可能になったり、祭儀のような精神的な高まり=文化ができあがったきた時期でもあるかと思います。1万年以上もかけて同じような文化が続いてきたのは驚異的だそうです。しかも、縄文人は生産性の豊かさから多くの人口を築き上げた珍しい「種族?」だそうです。この時代に、先のアミニズムの形ができたのではないでしょうか。
次ぎに続く「弥生時代」は、中国や朝鮮半島軽油などで来た稲作文化をもった人々がきて、狩猟採集文化から稲作農耕文化へと変化したと学校で習いました。縄文人はどうなったのかは習わなかったようですが、現在の遺伝子解析によって、混血していって現在につながっているということです。なぜなら、遺伝子のY染色体の全世界的解析によって、日本人に特有の遺伝子が見つかったからです。それも、中国大陸人にもなく、アフリカから人類が進出してから早い時期に分かれていったD系統のものを持つというのです。これは6~7万年以上も前に分岐されたものが縄文人にあったからといわれています。中国大陸からはO系統のグループで、これも現代人がもっているものですが、D系統もあるということでは混血があり、弥生人によって淘汰、駆逐されたのではないということになります。
さて、食料確保という点では稲作や畑作の方が生産性は高いです。しかし、彼らのもってきた文化はどうなのでしょうか。大陸から来た人々の言語や祭儀的なもののレベルは上だったのでしょうか。日本語の起源や系統は今のところ不明で、世界的には孤立的な位置にあります。もし大陸系ならばウラル、アルタイ、シナ・チベットなどの系統がもちこまれるはずですが、そうではないようです。つまり、1万年以上もかけて作り上げられた縄文的な精神が引き継がれることになったと考えます。日常の言語や祭祀系は縄文系であったと思われます。この辺りは、飛鳥時代等での渡来人や帰化人が大勢きたようですが、また、天孫降臨やヤマト朝廷が外国系であるとも言われることがありますが、言語的には縄文系のものが引き継がれています。それが大和言葉ではないかと思います(多少の影響はあったでしょうが)。
日本人の誕生については、世界的にも東アジア的にも遺伝子解析、ゲノム解析が進んでいて、縄文人や弥生人も解析が進んでいるようです。20万年まえにアフリカで誕生したサピエンスが、10万年前にアフリカを出始め、D系統の遺伝子を持つものが7万年前にわかれて日本にたどり着いたらしいです。3万8千年前の人骨からはDNAの抽出が皆無なので、どういった遺伝子系統化は不明ですが、数少ない縄文人ではD系統があることから、1万8千年前の寒冷期に朝鮮半島とも陸続きであった時代に日本にきたのではないでしょうか。そうなると、約5万年もかけて、海沿いか、大陸の川沿いなどで日本にたどり着いたのだと考えると、「逞しきかな人類!」と言えるでしょう。
今日は霧が2度ほど時間差でやってきた感じです。勿論、流れる場所は異なるので、もう霧がなくなるということでキツネを追いかけるのですが、また、逆戻りしたり、流れる方向へと移動したりと、霧を追ってみました。
今回は霧情景なのですが、「光芒」を取りあげました。
光芒はモノクロの方がよくわかります。逆光気味の撮影なので霧に反射する光をよく表現することができるように思うからです。これは霧も霧散していく前で、陽も高くなってきて気温が上がり、霧も上昇しかけています。
これは太陽を入れてみたカラーです。光芒という光線よりも、樹影という印象のものです。美幌峠の上川地方への道路で見かけそうな光景です。次は少し妙なものです。
上部の霧だけに色が付いているものです。どのような原理なのかはわかりませんが、何か神秘的な感じがします。
noteと同じ投稿写真で、この神秘さを感じるものとして、自分の中にあるアミニズム的な精神作用に触れました。アミニズムは生物や無生物にも神聖なものがあると言うことです。日本ではいわゆる「神道」と言う形で、アミニズムが神社に残っています。神社ですので、天照大神などがご神体ですが、神道以前の古来から崇められてきた木や岩、あるいは山をも祭っています。動物では、狼は神の使いでもあると同時に「大神」であることから狼信仰があったようで、これが名称の由来だそうです。アイヌの熊送り(熊祭り)というのがありましたが、アイヌの神であるカムイが熊の姿でこの地上に遊びに来たのを、再び天に返す儀式です。
遙かなる縄文
アイヌが縄文人かどうかは別として、日本列島には3万8千年前から人が住み、あの有名な縄文式土器を創った縄文人は1万6500年前から3000年前にいたといわれています。実用性の薄く、恐らく祭儀用かと思われる土器は、死者を送ったり祭ったり、自然災害を鎮めたりするために創られたのではないかとされます。今の野生動物がそうであるように、食料確保や生産だけに追われる生活から、食料の余剰と蓄積ができ、固い石を鏃にするような専門的な分業なども可能になったり、祭儀のような精神的な高まり=文化ができあがったきた時期でもあるかと思います。1万年以上もかけて同じような文化が続いてきたのは驚異的だそうです。しかも、縄文人は生産性の豊かさから多くの人口を築き上げた珍しい「種族?」だそうです。この時代に、先のアミニズムの形ができたのではないでしょうか。
次ぎに続く「弥生時代」は、中国や朝鮮半島軽油などで来た稲作文化をもった人々がきて、狩猟採集文化から稲作農耕文化へと変化したと学校で習いました。縄文人はどうなったのかは習わなかったようですが、現在の遺伝子解析によって、混血していって現在につながっているということです。なぜなら、遺伝子のY染色体の全世界的解析によって、日本人に特有の遺伝子が見つかったからです。それも、中国大陸人にもなく、アフリカから人類が進出してから早い時期に分かれていったD系統のものを持つというのです。これは6~7万年以上も前に分岐されたものが縄文人にあったからといわれています。中国大陸からはO系統のグループで、これも現代人がもっているものですが、D系統もあるということでは混血があり、弥生人によって淘汰、駆逐されたのではないということになります。
さて、食料確保という点では稲作や畑作の方が生産性は高いです。しかし、彼らのもってきた文化はどうなのでしょうか。大陸から来た人々の言語や祭儀的なもののレベルは上だったのでしょうか。日本語の起源や系統は今のところ不明で、世界的には孤立的な位置にあります。もし大陸系ならばウラル、アルタイ、シナ・チベットなどの系統がもちこまれるはずですが、そうではないようです。つまり、1万年以上もかけて作り上げられた縄文的な精神が引き継がれることになったと考えます。日常の言語や祭祀系は縄文系であったと思われます。この辺りは、飛鳥時代等での渡来人や帰化人が大勢きたようですが、また、天孫降臨やヤマト朝廷が外国系であるとも言われることがありますが、言語的には縄文系のものが引き継がれています。それが大和言葉ではないかと思います(多少の影響はあったでしょうが)。
日本人の誕生については、世界的にも東アジア的にも遺伝子解析、ゲノム解析が進んでいて、縄文人や弥生人も解析が進んでいるようです。20万年まえにアフリカで誕生したサピエンスが、10万年前にアフリカを出始め、D系統の遺伝子を持つものが7万年前にわかれて日本にたどり着いたらしいです。3万8千年前の人骨からはDNAの抽出が皆無なので、どういった遺伝子系統化は不明ですが、数少ない縄文人ではD系統があることから、1万8千年前の寒冷期に朝鮮半島とも陸続きであった時代に日本にきたのではないでしょうか。そうなると、約5万年もかけて、海沿いか、大陸の川沿いなどで日本にたどり着いたのだと考えると、「逞しきかな人類!」と言えるでしょう。
6月7
2月18
美瑛の道の駅で見たポスターに今月末締め切りの写真コンテストがありました。美瑛や上富良野という撮影地限定なので観光関係です。画像データーもインスタグラムでの応募で、初めてのコンテスト応募となりました。
観光関係の写真コンテストだと、ある程度その地域が特定出来そうな被写体がなければと考えていて躊躇していました。今の私の課題は脱クリシェですし、特に有名スポットを狙っていないからです。しかも、モノクロが多くなりそうな最近の現像ですから…。とは言ってもイメージ写真家(後日説明します)ですので、データで応募できるのは助かります。
という訳ですが、審査員が中西先生ということもあり、帰り際に新栄の丘で撮ったものを出してみました。
もう少しコントラストと雪原のハイライトを持ち上げればいいかと、アップした画像で思いましたが、そのままです。写真的にはいろいろなものを入れ過ぎの感じですが、有名スポットが必要かと、この写真にしました。
ここも下に林があり、年々成長してきて撮影箇所が限られてきて、脚立必須の場所となりそうです。かなり前はこの家に近づくキツネを見かけましたが、そうした観察がやりにくくなりました。
観光関係の写真コンテストだと、ある程度その地域が特定出来そうな被写体がなければと考えていて躊躇していました。今の私の課題は脱クリシェですし、特に有名スポットを狙っていないからです。しかも、モノクロが多くなりそうな最近の現像ですから…。とは言ってもイメージ写真家(後日説明します)ですので、データで応募できるのは助かります。
という訳ですが、審査員が中西先生ということもあり、帰り際に新栄の丘で撮ったものを出してみました。
もう少しコントラストと雪原のハイライトを持ち上げればいいかと、アップした画像で思いましたが、そのままです。写真的にはいろいろなものを入れ過ぎの感じですが、有名スポットが必要かと、この写真にしました。
ここも下に林があり、年々成長してきて撮影箇所が限られてきて、脚立必須の場所となりそうです。かなり前はこの家に近づくキツネを見かけましたが、そうした観察がやりにくくなりました。
1月25
美瑛の撮影スポットの1つです。撮影再開してみたら、東にあった古い古屋がなくなっていました。
今朝はマイナス16℃でしたが、樹氷も少なくて霧の発生も薄くてさまよっていたら、光芒が見えたので移動。ご覧のような雲だったためかかなり長い間光芒が続いていました。遠景では余分な光景も入るということで行ったのがこの場所=撮影スポットです。ここには狐も出没することから立ち寄る場所でもあります。その狐というのも、3度目に会った時には、尾っぽが絵筆のようになってしまっていて、お尻の根元から毛がなくなって、先端だけ丸くあるだけになっていたのです。何があったのでしょうかね。
この写真もある意味、クリシェです。もっと鮮明な光芒であればカラーでもいいのでしょうが、光を少しでも強調させるためにモノクロとしてみました。雪原はもっと白く、小屋ももっと明度がありますが、あえて光芒を強調するために明度を下げています。コントラストを高くすれば、もう少しメリハリが出ますが、この後晴天になることからも光芒からの穏やかな朝を表してみました。
今朝はマイナス16℃でしたが、樹氷も少なくて霧の発生も薄くてさまよっていたら、光芒が見えたので移動。ご覧のような雲だったためかかなり長い間光芒が続いていました。遠景では余分な光景も入るということで行ったのがこの場所=撮影スポットです。ここには狐も出没することから立ち寄る場所でもあります。その狐というのも、3度目に会った時には、尾っぽが絵筆のようになってしまっていて、お尻の根元から毛がなくなって、先端だけ丸くあるだけになっていたのです。何があったのでしょうかね。
この写真もある意味、クリシェです。もっと鮮明な光芒であればカラーでもいいのでしょうが、光を少しでも強調させるためにモノクロとしてみました。雪原はもっと白く、小屋ももっと明度がありますが、あえて光芒を強調するために明度を下げています。コントラストを高くすれば、もう少しメリハリが出ますが、この後晴天になることからも光芒からの穏やかな朝を表してみました。
10月2
光芒 カラー版
最高気温は20℃そこそこですが、最低気温は一桁で6℃というのも珍しくなくなり、大雪山連峰の黒岳では9月末に冠雪というニュースも入りました。昼夜の温度差が開いてくると朝霧が発生しやすくなります。上の写真は、霧が漂う林に太陽の光が差し込んで光芒が見えた時に撮ったものです。
紅葉の始まった木と常緑の木の色が若干見えますが、逆光ですので、強い光で色彩が薄れているのがわかります。彩度をあげるというのもあるでしょうが、こうした色調がいいのか、はたまた、モノクロで光芒を強調した方がいいだろうかと考えます。
モノクロのよさについては、まだ十分には理解していませんが、とあるサイトを覗くと…
「カラー=リアル=具体的=実用的」
「モノクロ=非リアル=抽象的=芸術的」
という解説もありましたが、カラーが常に実用的かといえば芸術的でもあり、モノクロも同じかと思っています。要は何をどうすればよく表現できるのか、現像方法をどうするのかというようなことから「モノクロ」という選択枝があると思っています。
今回は、色彩もあまり気に入らなく、光芒を強調させるということでモノクロにしてみました。
光芒 モノクロ版
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