PHOTO MEMO by FES

写真についての個人的メモ

ボケ

写真についての個人的なメモです!

肉眼とカメラ ボケ写真

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 肉眼での見え方をもう少し考えてみました。
 上図の黒枠が前回のものです。どうも人間は凝視しなくても,見るということでは,周囲がボケていて,中心部分しか鮮明に見えていないことをお話しました。すると風景や光景などの全体を見るということは,視線を移動させなければならないということになります。つまり,見渡す,見回すということで,視線の移動が不可欠というわけです。人間が全体を見るということは,眼球や視神経自体,器官的には見えないけれども,それぞれ1部分のものを脳が合成して,「認識」させているということになるかと思います。

 我が子の絵にしても,見た通りに描きなさいとか,よく見て描きなさいと言いましたが,まさか,周囲がボケた絵を描きませんでしたし,よく見てということでは,視線を移動しながら描いていたように思います。こうして,肉眼の特性や写真を考えると,周囲がボケた絵を描いた子は,自分の感性に正直であり才能があるかもしれませんね。逆に言うと,絵的なもの,映像的なものでも,パンフォーカスということが知らず知らずに常識となっているのではないかとも思います。そして,写真を撮り始めると,強烈に「ボケ」に興味をもつようです(私自身)し,ボケのある風景写真もいいものと思うようになります。

 ボケは英語でも「Bokeh」です。海外では風景写真はパンフォーカスのものが多い(写真史からも)ようですが,海外でのこのBokehという言葉が使われないときは,全体的にピンボケという意味のOut of focusしかなかったような話です。このボケをひろめたのは日本人かどうかわかりませんが,写真サイトのFlickerで「Bokeh_photography」というグループがありますので,見てはいかがでしょうか。
  url  
https://www.flickr.com/groups/bokeh_photography/

 こうしたBokehの写真ははある意味,撮影者の写したいものが明確でいいという感じもしたり,主観的すぎて物足りなさも感じなくもないです。よほど,ピントのあった主役とボケた背景での物語性がないと,うまくいかないかなぁと,偉そうなことも思っています。しかし,パンフォーカスが主流のなか,新しい表現方法という位置付けで,著名なプロの風景写真家が続出すれば(そこまで情報はありません),面白いかと思います。

※ 画像右下の内容については,後日ということで。 

肉眼と写真 ボケ

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 肉眼と写真(レンズ)の違い

 日本人だと,鳥の声を認識する脳の部分が西洋人と異なるとか,色彩感覚が違うなどと言われているようです。また,ネットなどを見ていると,浮世絵以前などの日本の古い描画方法では,日本独自の空間認識があったようなことも書いてあります。つまり,西洋画的な遠近法ではないということす。読んだ中では,遠近法といういうのは風景と観察者との対峙姿勢が見られ,観察者の主体性が強調されているそうです。しかし,遠近法を取らなかった日本では,対峙ではなくて融合的であるとしています。自然との融合,一体感というのが特徴だと書いてありました。空間認識にも日本人の特性があるということです。

 写真界では,「ボケ」については日本人が好む表現のようですが,今では世界に広がり,そのままボケで通じるそうです。ということで,今回載せた画像の左側がそうなります。

 これは肉眼での視野と実際に確実に見ることができる範囲を示したものです。普通に風景を見るときには,肉眼では広い視野をもっていても,眼球の構造的には,一点しか鮮明に見える箇所がないそうです。それが中心窩というところだそうです。大きさでは1.8mm程度で,網膜と一括して言っている一部なのですが,これ以外の場所では毛細血管を通しての映像ということでボケているそうです。肉眼に忠実であるならば,ボケがごく自然ということになりそうです。
 ところが,これをあまり意識してはいなく,なんとなく全部が鮮明に見えるようにしているのは,目を細く動かしたりして,見えたものを脳で合成するようにして見させるからといいます。従って,しっかり見るとなると,一点に絞られますので,周囲はボケているというのが,肉眼でのピントのあう部分と周辺のボケというのが,ごく自然であるということができます。
 妙な話かもしれませんが,これに縄文時代以後の稲作文化をみると,獲物を探して視点を絶えず動かす狩人の見方から,稲を植えたり,その成長を見て刈り込んでいく作業には,凝視,あるいはゆっくりとした視点の移動でよかったのかもしれません。さらに,ボケということでは,何か自然に包まれているような感覚があったのかもしれません。ボケというのは古くからあり,自然との一体感というも堂ようだったのかもと曲解しています。西洋的なものとしては,砂漠や乾燥地帯発生の宗教ですので,日本の縄文時代よりも厳しい環境ですので,絶えず水や獲物を探す,危険から逃れるというものの見た方,あるいは自然と対峙する姿勢かと思われます。従って,ボケは死を意味することだったかもしれません。これも曲解です。

 さて,こうなれば肉眼の特徴が分かったわけですので,写真との比較になります。
 レンズも古いものは周辺の解像度が悪かったようですし,周辺光量が減るという問題もあったようで,肉眼に近かったかもしれません。そして,それらを解決すべく技術革新が行われてきています。周辺光量を減らさない,かつ,解像度,鮮明度も落ちないようにと進化しています。
 レンズ・カメラでは,絞りによる被写界深度がありますから,ピント的には上図のように面的なものになるかと思いますし,パンフォーカスとなると全面にピントが合っている状態となります。
 風景ではほとんどがパンフォーカスとされていますので,全面的に鮮明さが求められています。こうしてみると,写真というのは基本的には,肉眼での見え方とは異なるということですので、脳で合成されたような、ある意味理想の映像ということになるかと思います。
 さらに,別な面からは,鑑賞者が,写真での風景をみるときに,パンフォーカスによって全面的に鮮明ですので,どの部分を見てもいいという自由さを与えているということも言えるかもしれません。全体的な見方による鑑賞や,部分的な鑑賞にも耐えうるというのがパンフォーカスで表現です。まあ,写真自体が小さければそのような意味は薄く、多少の誤差,ピントの甘さは許容範囲かもしれません。

 パンフォーカスということでは、以前に過焦点距離について書きましたので、そちらをごらんください。

美瑛、久々零下20℃以下に

消えた星々の記憶のようにss

IMG_7636ss

 ダイヤモンドダスト 場所によって見え方が違います

 久々の週末に美瑛零下20℃以下ということで行きました。旭川市内も零下17℃ほどで期待は大きいものでした。撮影スポットも昨年は10名ほどでしたが、かなりの混み合いでした。今年の課題は下のような霧氷の木とのコラボで、写真のように期待はずれで上手く撮れませんでした。発生もやや少なく、撮影位置を間違ったかもしれません。
 私の隣では、F2.8の400mmやF2.8の70-200mmがあり、「ボケ味、綺麗さはF2.8かな~」とかが脳裏をよぎりながら撮っていました。また、減増資ながらも、上の写真はF4開放で、あまり綺麗なものではないこと。。こうなるといいレンズが欲しくなります。しかし、やはり高価。それに、普段使う絞りは、F8以上で、これだけに購入というのはもったいない感じ。カメラ的には2000万画素以上で、レンズ的にも18~300mmをカバーしていることもあり、いいということで欲とは別次元で「理解」していることなど…。寒い中から引き続き、こんなことも思いながら、今書いているところです。レンズ沼は、消えてはよぎっていくものです。
 さて、次回は是非とも霧氷とのコラボを撮りたいと思っています。
 この後、林や小川付近でも小規模のダイヤモンドダストを見ることができました。そして、林では、霧氷が舞い降りる光景も見ることができました。キラキラとさらさらと降り落ちる様子や、雪面での輝きも、写真としてはどう撮ったらいいのかはこれからの課題ですが、冬ならではの光の舞という極寒ならではの光景を楽しみました・ 
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