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 肉眼と写真(レンズ)の違い

 日本人だと,鳥の声を認識する脳の部分が西洋人と異なるとか,色彩感覚が違うなどと言われているようです。また,ネットなどを見ていると,浮世絵以前などの日本の古い描画方法では,日本独自の空間認識があったようなことも書いてあります。つまり,西洋画的な遠近法ではないということす。読んだ中では,遠近法といういうのは風景と観察者との対峙姿勢が見られ,観察者の主体性が強調されているそうです。しかし,遠近法を取らなかった日本では,対峙ではなくて融合的であるとしています。自然との融合,一体感というのが特徴だと書いてありました。空間認識にも日本人の特性があるということです。

 写真界では,「ボケ」については日本人が好む表現のようですが,今では世界に広がり,そのままボケで通じるそうです。ということで,今回載せた画像の左側がそうなります。

 これは肉眼での視野と実際に確実に見ることができる範囲を示したものです。普通に風景を見るときには,肉眼では広い視野をもっていても,眼球の構造的には,一点しか鮮明に見える箇所がないそうです。それが中心窩というところだそうです。大きさでは1.8mm程度で,網膜と一括して言っている一部なのですが,これ以外の場所では毛細血管を通しての映像ということでボケているそうです。肉眼に忠実であるならば,ボケがごく自然ということになりそうです。
 ところが,これをあまり意識してはいなく,なんとなく全部が鮮明に見えるようにしているのは,目を細く動かしたりして,見えたものを脳で合成するようにして見させるからといいます。従って,しっかり見るとなると,一点に絞られますので,周囲はボケているというのが,肉眼でのピントのあう部分と周辺のボケというのが,ごく自然であるということができます。
 妙な話かもしれませんが,これに縄文時代以後の稲作文化をみると,獲物を探して視点を絶えず動かす狩人の見方から,稲を植えたり,その成長を見て刈り込んでいく作業には,凝視,あるいはゆっくりとした視点の移動でよかったのかもしれません。さらに,ボケということでは,何か自然に包まれているような感覚があったのかもしれません。ボケというのは古くからあり,自然との一体感というも堂ようだったのかもと曲解しています。西洋的なものとしては,砂漠や乾燥地帯発生の宗教ですので,日本の縄文時代よりも厳しい環境ですので,絶えず水や獲物を探す,危険から逃れるというものの見た方,あるいは自然と対峙する姿勢かと思われます。従って,ボケは死を意味することだったかもしれません。これも曲解です。

 さて,こうなれば肉眼の特徴が分かったわけですので,写真との比較になります。
 レンズも古いものは周辺の解像度が悪かったようですし,周辺光量が減るという問題もあったようで,肉眼に近かったかもしれません。そして,それらを解決すべく技術革新が行われてきています。周辺光量を減らさない,かつ,解像度,鮮明度も落ちないようにと進化しています。
 レンズ・カメラでは,絞りによる被写界深度がありますから,ピント的には上図のように面的なものになるかと思いますし,パンフォーカスとなると全面にピントが合っている状態となります。
 風景ではほとんどがパンフォーカスとされていますので,全面的に鮮明さが求められています。こうしてみると,写真というのは基本的には,肉眼での見え方とは異なるということですので、脳で合成されたような、ある意味理想の映像ということになるかと思います。
 さらに,別な面からは,鑑賞者が,写真での風景をみるときに,パンフォーカスによって全面的に鮮明ですので,どの部分を見てもいいという自由さを与えているということも言えるかもしれません。全体的な見方による鑑賞や,部分的な鑑賞にも耐えうるというのがパンフォーカスで表現です。まあ,写真自体が小さければそのような意味は薄く、多少の誤差,ピントの甘さは許容範囲かもしれません。

 パンフォーカスということでは、以前に過焦点距離について書きましたので、そちらをごらんください。