

あまり変わらないようですが、以下のような点で考え直してみました。
・感性的にいいなという被写体があっても、写真的にどうかの「フォトジェニック」の判断が入りそうということ。
・「カメラ」は機械ながらも、カメラマンにとっては、「目」そのものという考え。ファインダーも肉眼で見ますし、肉眼以上にマクロや望遠もききますので、ある面肉眼以上の力をもつことにもなります。
・カメラ設定においても、脳による判断であること。
・さらに、パソコンによるRAW現像の各種操作や判断も脳による判断ということ。
・すなわち、大枠で囲んでいることが、私自身として一体的にあるということ。
・黒矢印をループとしてみたこと。これにより、それぞれのわずかな上達でも、次の段階や前の段階に影響を与えていくのではないかという予想をたてました。また、<課題群>に最近考えている「テーマ」を加えて、頭脳=思考に関連付け、「自己評価(=チャート)」ループ内に加えてみました。
・「場所や時刻‥」も判断事項なので、枠内、そしてループ上ということ。
・自分と外の世界である風景が、被写体となり撮影されることは、目や脳の代わりに映像が記録されること、更に脳内の記憶をつてに、あるいは、強調や工夫をくわえながら現像をおこなって、データを再加工し、アウトプットしているという概念になります。

しかし、そうした、ノウハウ上の上達だけで、納得できる複数の写真が撮れても、写真を撮り続ける原動力になるのかはわかりません。少なくても、私にとっては、そのへんが引っかかっています。
自己評価チャート作成を通して、どんな写真を撮りたいのかは、おおよそ道が開けたようですが、溜まっていく写真を見直してみると、何を表現したかったのか、何を追究してきたのか、などがほしいと思っています。これが「テーマ」ということです。例えば「美瑛の丘」といえば被写体ですし、もっと内面なことはないのかという感じです。美瑛の丘などを通して、何を感じて、表現したいのかというものです。これは一筋縄でいかないようです。これを求めつつ、撮影を続けていくということもありうる課題なのかもしれないとも思っています。
