

これには「如来を見る」とありますが、これは仏教で言うところの「空」と同じです。そして、ブラックは壺に空虚を見ているに等しく、絵画を見るとは有と無を等しく見るという二重の視線こそ、優れてブラック的だと東氏は言っています。
諸相を追い求めた中で、下記の概要にあるセザンヌの影響を受けながらも、絵画史の中でも特徴的なフォーヴィスムやキュビスムへと彼なりの必然的な変遷を遂げています。そうした中でも、東氏がいうような東洋的、仏教的な境地へ接近するような思考を得るというのは実に不思議な出会いではないでしょうか。
※ ブラックの他の言葉 「私は感動自体を作品にはしない。感動というのは、まだ芽の状態である。それを開花させるのが作品である。」「描いたものを見せるだけでは足りない、更に琴線に触れさせねばならない。」など。1993年に「昼と夜 ジョルジュ・ブラックの手帖」(訳本)が出されていますが、すでにプレミアがついていて手に入りませんが、読みたいものです。
ジョルジュ・ブラックの概要は以下から
https://www.artpedia.asia/georges-braque/