



実のところ、古代史も好きですので、彼らの文化や宗教的心情にも興味があります。砂漠ではどうかわかりませんが、自然豊かな環境で生きていた古代人は「太陽の恩恵」を特に感じ取ったのではないかと思います。古代エジプトは砂漠のイメージですが、エジプトでも植物が生い茂っていた時代があり、それが太陽神「ラー」を信仰するもとになったのではないかと思います。日本では「天照大神」ということです。
今や世界宗教は一神教です。キリスト教もイスラム教も同じ神を信仰しています。人口的には少ない仏教は、釈迦という実在の人物が仏として崇められますが、後に「大日如来」という神のような存在が密教によって考えられますが、仏教は一神教とは異なった宗教と言えるかもしれません。また、日本では、戦後否定された「神道」あるいは、古事記や日本書紀にある神道的な宗教観があったようです。これが天照大神を崇めることとなります。
日本では神社へ詣でることがあります。初詣や七五三、厄年払いなどです。詣でなくても、各地の神社主催のお祭りに出かけます。神輿もあったり、出店もあります。家には神棚があるところもあり、意識はしなくても「神道」が生活の一部になっているようです。そうなると、現代国家ながらも、日本という国(多くの人々?)は、古代から未だに太陽神を崇めるような風習のある稀有な国家ということになります。

キリシタン弾圧ですが、異国の宣教師は布教が目的でしたが、大名に武器交易を進めたり、中には人身売買にも関係していたようで、経済活動にも影響力を発揮していたようです。しかし、仏教や神社などには不寛容で、それらは邪教だとして信者に放火や破壊をさせたり、僧侶を迫害したようです。また、人身売買についても教会側が「売る方が悪い」として一向に止むことがないことから、秀吉を怒らせバテレン追放令、江戸時代の鎖国へと向かって行ったそうです。キリスト教の教義によって封建的支配構造が危うくなるという仮説もその1つでしょうが、この不寛容性が当時の庶民の反感を買うことは間違えのないことですし、それと、スペイン、ポルトガルの世界侵略を阻止するという為政者の世界情勢判断が当時の日本にあったと思います。
明治維新後では、キリスト教で救われるのは信者のみですので、亡くなった父母、祖父母、先祖や信者以外は救われないということもありますので、心情的にも合わないことも多々あったのではないかと思っています。

