PHOTO MEMO by FES

写真についての個人的メモ

クリシェ

写真についての個人的なメモです!

Hunter

 これもクリシェです。
 北海道東川町在住の井上浩輝プロが、日本人としては初のナショジオのネイチャー部門で1位を獲得した「followme」という作品に若干似通った状況です。氏のは2匹のキツネが走っていて素晴らしい躍動感あるものですが、私のは走りませんでした。というのも、氏の撮ったキツネ達はまだ親離れしない時期の小狐で遊び心が旺盛な時期のものですが、私のはすでに親から離れた成獣です。1匹での行動です。親から餌をもらえないこともあり、移動では体力の消耗を抑えているのでしょう。親離れと言いましたが、親から突然に冷たくされ、引き離され、親自身の縄張りから追い出されての自立というのがキツネの生態です。

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 以前掲載のジャンプしているキツネと同じキツネだと思われます。今回初めに目を合わせて後も、逃げなかったこと。私の眼前を横切った際も、こちらを見ることなく歩き、別れ際(?)の林に入る前にこちらを振り返りじっと見たことからという、何の根拠もない理由ですが。
 これも尾っぽの毛が変になっています。何かあったのでしょうか。ジャンプの撮影から数週間経っていて、ようやく会えたという感じです。今回は、近寄ってみましたが離れていってしまい、おそらくあの辺に出ると予想して移動。そして、ドンピシャりの撮影チャンスでした。井上氏の背景の赤は、夕陽の反射空(東)ですが、私のは朝焼けの反射となります。

 今回も偶然です。出発時には星が出ていましたが、美瑛では曇りの雪となりました。雪とは言っても細かい粒で、個人的には写真不向きと思っている状況でした。雲間が現れるかもわかりません。とは言っても、雲間待つ間、美瑛の東の丘を走り廻るのが常です。そして、朝食がてらサンドイッチを頬張る休憩場所に選んだのが、キツネに会った場所ということです。

 キツネを撮るのだったら都会の森や林のある公園がいいと言われます。餌に当たる確率が都会の方があることを知ると都会に移動範囲をのばすのだそうで、安全に身を隠して休んだりできる公園の方が、出会える確率が高いということだそうです。

 今回もクリシェですが、個人的には1つの記念作。ある写真家の作品に近づけたのですから‥‥。さらに、このキツネが振り向いてこちらを見たときに、「ああ、撮らせてくれたんだ。」と感じさせたこともあります。このような積み上げの中で、自分なりの作品作りも狙っていければ最高の趣味となるでしょう。 

クリシェ 続編

 曇りの予報があっても、雲が薄くなったり、雲間の青空に出会うことがある。雲の厚さによっては、白い太陽からオレンジがかった太陽を見ることができるし、雲間から光が差し込めば、影と日向が移り変わる雪原や丘を見ることができます。とにかく出掛けないと分からない。先月の「クリシェ」の記事の場所では光条が見えたが、今度はキツネ(点景)を写し込むことができました。

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 これはよーく見ると、キツネの尾っぽが妙です。まるで筆のようである。キタキツネの通常のフサフサとした尾っぽではない。妻に言うと根元が「しばれた(北海道弁で凍るの意)」のではと言う。私は何かの事故・事件を想像するのですが。

  画像的にはキツネはもっと右側か、丘のライン上で、小屋から離れていくのがいいと思うがどうでしょうか。風景に動物が入ると、何かのストーリー性を思い描かせることができないのだろうか。有名な撮影スポットも、稀有な気象現象と動物を絡ませば、特質すべき「クリシェ」になるかもしれないと思います。
 この朝焼け雲よりも、先月の光条の絵に、このキツネが入るとよりベターである。とは言え、こればかりは好条件の重なり、幸運しかないだろうと思う。

寒の色彩

 日の出に染まった樹氷と日の出後の樹氷。 冬の地色は白なので、朱色も綺麗で、そこから白と青に移っていく光景も素敵なものです。色彩数は少ないですが、限られた色彩の中でいい光景を見つけて撮るのが冬の楽しみでもあり、「数少ない色彩」をテーマにした作品が出来上がっていくように思います。


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 上の写真の白い点は、地面に向かって舞う樹氷の破片です。下のものは、幾千、幾万の破片が舞うものです。この下にいくと樹氷のシャワーを浴びることができます。

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 さて、何をメモするかと言うと。

 「朱色の樹氷」は色彩=単色で切り取ったものです。わずかな朱色の濃淡と枝の繊細さのみの作品です。カメラ自体が2000万画素少々ですので、かなり大きなプリントでないと、その美しさは伝わらないかもしれません。そうなると今のカメラだと3000万画素から4、5千画素なので、繊細さも見劣りがするのだろうなと思います。黒い背景にわずかでもダイヤモンドダストでもあれば、少々、インパクトもあるでしょうか。

 他の2枚は、樹氷舞う冬の光景ですが、1つの記録的な写真の意味合いが強いのかもしれません。いずれも枝にピントを置いていますが、リスやキツネなどが入れば興味ある作品になったかもしれません。3枚目は、背景は斜面ですので、そこにキツネでもいれば、そこにピントを置くと、白点ももっと大きくなっていたところでしょうか。

 いずれにしても、クリシェの域を出ていないように思いますので、それを超えるものを想像しています。幾百、幾千(?)もの放浪・彷徨を続ける中で出会えるかもしれません。そんな千載一遇を見逃さないで撮影できる力を向上させて、準備しておくのも日々の撮影なのかもしれません。
 

クリシェ

 美瑛の撮影スポットの1つです。撮影再開してみたら、東にあった古い古屋がなくなっていました。

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 今朝はマイナス16℃でしたが、樹氷も少なくて霧の発生も薄くてさまよっていたら、光芒が見えたので移動。ご覧のような雲だったためかかなり長い間光芒が続いていました。遠景では余分な光景も入るということで行ったのがこの場所=撮影スポットです。ここには狐も出没することから立ち寄る場所でもあります。その狐というのも、3度目に会った時には、尾っぽが絵筆のようになってしまっていて、お尻の根元から毛がなくなって、先端だけ丸くあるだけになっていたのです。何があったのでしょうかね。
 
 この写真もある意味、クリシェです。もっと鮮明な光芒であればカラーでもいいのでしょうが、光を少しでも強調させるためにモノクロとしてみました。雪原はもっと白く、小屋ももっと明度がありますが、あえて光芒を強調するために明度を下げています。コントラストを高くすれば、もう少しメリハリが出ますが、この後晴天になることからも光芒からの穏やかな朝を表してみました。 

撮影スポット=クリシェ

 今日は昨晩から星空でマイナス20℃以下の予報で、美瑛の菊地プロの4k特番の追加撮影だったようですが、ダイヤモンドダストは出なかったとのことです。ダイヤモンドダストで有名なスポットには50台以上の車があって過密状態だったとのことです。氏は過密を避け別な場所で撮影セッティングとのことでした。有名スポットではダイヤモンドダストはある程度は発生していたのかも知れません。

 この有名スポットも5、6年前まではそんなに多くはなかったのですが、冬の美瑛がテレビ等で紹介される毎に増えてきたようです。車50台以上だと、5、60人は集まるのでしょうが、場所取りのようなことがあって大変ですし、片側に路上駐車ですから三脚を持っての移動も大変です。ややもすると、通勤者からの苦情も110番ということになりそうです。したがって、移動は差し控えるということになります。
 固定された箇所からの撮影だとしたら、背景の選択はなくなってしまいます。ダストそのものを2、300mm以上の望遠で切り取るしかないような状況となります。過日にあげた樹氷とのコラボ撮影もしにくくなってしまいます。サンピラーでも発生すれば価値はありそうですが、非常に不自由な撮影ですね。私の場合は幸運にも平日でも撮影できますので、平日狙いとなります。また、それほど期待ができない、規模が小さいとなれば、移動します。晴天であれば、もっと寒い山間部や富良野の空知川で厳寒光景を撮った方がいいと思っています。曇りであれば、太陽光が漏れる地点や川霧でも出ないかと、あちらこちらと走り回ります。

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 この写真や過日の霧の写真もこんな判断から、有名スポットから離れての撮影となります。こんなのも撮りました。

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 雪原での撮影です。すでに枯れた植物ですが、枯れた褐色姿に健気さを感じて撮影してみました。

クリシェ

 定番の撮影スポットでの撮影もそれなりには意味があります。撮影技術やカメラ設定に慣れるということです。また、自分でも感じているのですが、撮影スポットと呼ばれる写真作品の影響を受けていて、「このような写真を撮ってみたい」という思いがどこかにあるのでしょうね。先人、先輩の後を追っているのです。

 しかも、現代はSNS等、インターネットや映像機器の発達で、誰もが写真を撮りWebに公開できますから、撮影スポットの写真も数え切れないくらいあります。従って、見慣れた光景、見飽きた光景=「クリシェ」となります。目新しさがない光景となるわけですから、個人的な撮影と作品としての意味はあっても、余程の自然条件や表現方法(現像方法、手法)がないと新たな写真としての意味はないことになります。あるプロはそれを「上書き」といっています。

 これを考えると、クリシェはあくまでも習作としての一段階といえそうですが、時間と空間を経れば新たなものとして再認識されるということもあり得ます。その1例が、美瑛の青い池です。

 青い池と言えば、初雪降る青い池が有名ですが、青い池の発見者は高橋真澄氏と言われています。氏は西暦2000年前から撮影していて、写真愛好家達に広まったとされています。それが10数年の時を経て、ケント白石氏の作品がアップル社の壁紙になって世界的に知れ渡ることになります。国内ではクリシェでも、海外的には新たなものとして受け入れられたということになります。最初に書いた「それなりの意味」というのは、習作とともにまれに再発見されることを含むということです。

 美瑛のプロ写真家の方々は、こうした意味で新たな作品作り、被写体を探し発表て、自分の写真家としての独自の存在価値を見出しているように思います。
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