PHOTO MEMO by FES

写真についての個人的メモ

アイデンティティー

写真についての個人的なメモです!

ウクライナ 19 日本人アイデンティティーとは

 トインビー再考ということで‥。
 
<再掲>
滅亡する民族の3つの共通点」として以下のことが述べられているのが意味深です。
 ① 自国の歴史を忘れた民族は滅びる
 ② 全ての価値を物やお金に置き換え 心の価値を見失った民族は滅びる
 ③ 理想を失った民族は滅びる


 例は、ユダヤ人、広くはヘブライ人でしょう。数千年にわたる彷徨の末に、聖地に建国しました。これで新たな紛争を生みますが、とにかく③は忘れなかったことになりますし、数千年の間、各国で混血はしながらも、ユダヤ教と迫害の歴史を忘れず①を持ち続けたのです。ユダヤ人が世界の金融市場と世界経済を支配しているとは言え、何某らの心の価値は持ち続けてきたとも言えるかもしれません。
 そして、理想だけではなく、現実的な困難への解決策への対応思考ももっているからこそ、今も世界中に存続しているのだと思います。


 日本について記した2点について。
 
 ① 日本人が歴史上残した最大の業績は、世界を支配していた西洋人が「不敗の神」ではない事を示した点である。
 ② 第二次世界大戦において、日本人は日本のためよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大な歴史を残した。それらの国々とは日本の掲げた短命な理想、大東亜共栄圏に含まれた国々である。

 ①については、「日露戦争」のことを言っています。②については、アメリカ視点では太平洋戦争ですが、日本側視点では「大東亜戦争」のことを言っています。

 「大東亜共栄圏」というのは、
 一般的(?)に「中国や東南アジア諸国を欧米帝国主義国の支配から解放し、日本を盟主に共存共栄の広域経済圏をつくりあげるという主張。太平洋戦争期に日本の対アジア『侵略戦争を合理化』するために唱えられたスローガンである。」とされていますが、トインビーの言葉はそこに”ある真実”を見抜いたのだと思います。
 ①で言えるのは、日露戦争前は西欧の植民地化が過熱して、弾圧、殺戮、奴隷化などで搾取を受けていたアジア諸国に、有色人種も白人に抵抗して勝てるという勇気をあたえたことをさし、侵略者である白人大国へのくさびを打ったことをさしています。
 ②は、日本は敗戦したものの、アジアの各地のイギリス、フランス、オランダの植民地で独立戦争が繰り広げられ、独立を勝ち取ったという事実をあげています。
 現在の日本人の戦争観では、自衛にしろ侵略にしろ、いっさいの戦争反対ですので、①②とも決して許されないというのが理屈です。従って、ウクライナのように侵攻されても、「武器を使わず逃げなさい」、「すぐ降伏しなさい」となるのでしょう。侵攻されないようにプーチンと話せばよかったとなるでしょう。こうした現在の理屈では①も②も、日本が侵略戦争を行ったというのが事実になります。

 しかし、当時の世界の風潮はどうであったのかと歴史を見るとき、欧米の植民地化政策=覇権主義から逃れることができたのでしょうか。あの明治維新の動機はなんだったのでしょうか。徳川慶喜が無血開城、大政奉還をし、大きな内戦を阻止したのはなぜでしょうか。尊皇の志士たちの倒幕という意図はなんだったのでしょうか。「富国強兵」「殖産興業」という明治政府の方針は、世界史の中で異常なことだったのでしょうか。東南アジアや中国語が欧米各国に分割されていったように、日本も各国に分割されてもよかったとでもいうのでしょうか。当時、大国の植民地化は世界の常識。抵抗できない弱い国は呑まれるしかなかったのです。あの高度な文明、文化を誇る西欧の裏の顔が植民地化による利益の収奪だったのです。
  アヘン戦争でさえ、密輸アヘンで国民が困っているとして輸入禁止にし、焼却、投棄したことが契機となって、侵攻が始められました。アヘンでの健康被害なんて大国にはどうでもよく、とにかく利益のみが優先されるような時代でした。少しまえでのアフリカでは、家族を人質にとって強制労働をさせたりしました。もっとひどいのは、銃弾が原住民の反抗で使われたという証拠のために切断した手首を提出させたことです。それがきっかけで弾丸の横流しで利益をえるために、罪のない生身の人間の手を切断したということで多数の人が手首をうしないました。この例は西暦2000年頃までの内戦でも見られたとうことです。大国による侵略、植民地化はこれだけではなく、現地人への窃盗や暴行、強姦は常習化されていたと言います。いわば白人至上主義、有色人種差別による根深い凶暴性が、西欧文化の基底にあったものと思います。西欧文明の歴史が古いとすれば、それだけ悪の根も古くから存在し、奴隷、人身売買があり、国内外での富や財産の集中ということも行われてきたと考えられるのです。植民地化における宣教師のスパイ活動や人権蹂躙の黙認でさえ、宗教における暗黒部分とも言えます。
 

 歴史を研究し俯瞰したトインビーは、このゆおなことをみて、日本の世界史的意義をみつけたのだと思います。
 さて、彼はまた次のような言葉も残しています。
 ・人間とは歴史に学ばない生き物である。
 歴史は繰り返されるということです。だから、歴史に学びなさいということにもなるでしょう。そして、政治家への警告もしています。

 ・人間はこれまで、技術面にかけては驚くほど豊かな才能を示し、創意も発揮してきましたが、こと政治にかけては逆に、驚くほど能力も創意も示していません。

 ・あらゆる生物は本来、自己中心的であり、貪欲ですから、権力を握った人間は、その掌中にある人々の利益を犠牲にしても、なおその権力を己の利益のために乱用したいという強い誘惑にとらわれるものです。

 これって、まだ植民地的発想、覇権主義、大国主義がはびこっている政治家や取り巻きの真実を見抜いた言葉であろうと思います。いわゆる民主主義であろうと、自由主義であろうと、自由と平等であろうと「侵略を合理化」するスローガン、建前でもあるという見方もできます。第一次世界大戦で富を蓄え、第二次世界大戦で覇権国家となったアメリカが、自由と民主主義を唱え「世界の警察」として国際法を無視してまでの海外派兵をおこなったのも事実なのですから。

 共産主義よりもまだましなのは、個人の自由などを憲法で認め、少なくても公正な裁判、司法があり、自由にものが言え、国内での安全が保証されていることです。間違いを間違えと言え、それを正す可能性が多いということです。現実的に共産主義を唱え、その前段階である社会主義国家を標榜した国家で、そのようなことは保証されません。むしろひどいのは、共産主義が無神論であるが故に、権力者の欲のみが増大し、富や権力を集中させるために、ライバルを貶め、国民を搾取していくのです。そして、貧しい国民には海外への敵対心をあおり、反乱を防ぐ教育をおこなうのです。ドーピングさせてまでもスポーツでの勝利をめざし、誤った愛国心を植え付けていくのです。スポーツは政治とは無関係という民主国家での意見もありますが、共産国家ではスポーツでさえ政治の道具なのです。

 隣国では宗教も取締りの対象ですし、隣国のカソリック幹部でさえ、ローマ教皇の任命権を拒否して、かってに決めています(その後、協議か何かに変更されたらしいですが)。つまり、最高権威は共産党であることを認めさせたのです。信教の自由でさえないのです。ある宗教の信者が多くなれば弾圧されるのです。日本は隣国を通して仏教を知り、隣国語の経典から仏教を学びましたが、今は共産党の管理・監視下におかれて廃れています。仏教への弾圧は共産主義国家以前にもおこなわれているのが隣国の国是のような状況です。特に弾圧が大きかったのは、「三武一宗の法難」と言われるもので、皇帝の名から、3人の「武」帝と1人の「宗」帝が行ったということで、そう呼ばれます。一番の原因と言われるのが、経済的理由です。僧侶は生産活動をおこなわないために、農耕生産が落ちるというのが原因です。数百万人という僧侶がいて、どんどんと増えていったことへの対応が、財産没収と僧侶の還俗化、経典の焚書です。遣隋使や遣唐使の時代は仏教が隆盛を迎えますが、それ以後は衰退し、仏教・儒教・道教などが合わさったものへと変わっていきます。「宗教はアヘンだ」と言い放った政治指導者がでて以来、隣国では反共産主義や潜在的な反乱団体として、管理・監視下におかれたままということになります。

 さて、よけいなこと(?)がおおかったですが、「日本人のアイデンティティー」は、日本の歴史はもちろんですが、西欧などの歴史とも比較しながら、見つけて行かなければならないと思います。歴史観を始めから曲げたり、フィルターをかけるような共産主義史観では不十分です。戦中の全ての行いや日本文化がよくないとするGHQ史観も覇権主義者や人種差別主義者のものであるかもしれないのです。

 トインビーの言葉に「私が最大の忠誠心を払うのは人類に対してであって、私の属する国家に対してでもなければ、この国家を支配している体制に対してでもありません、」というのがあります。彼は2つの世界大戦と冷戦を体験しました。しかし、ソ連共産主義の崩壊は死後となります。もし、それも経験すれば、共産主義への歴史観をも否定したであろうと思います。彼の後年は、共産主義が否定するような神話や寓話、宗教にも研究を広めたようです。そこにある人類の根源的な思い、思考を探ろうとしたのでしょうか。

 歴史から見る「日本人のアイデンティティー」とは何であったのか。古くからの歴史の中でなにを大事にしてきたのが日本人なのか。悲惨なできごとから何を学んだらよいのか。などの理想は勿論ですが、未だ残る覇権主義、侵略主義にどう対処するのか。侵略戦争の危機にどう対処するのか。

 コロナ禍では医学者が僅かの危険性を訴え国民もそれに従ってきましたが、「侵略」の危険性について僅かな可能性があるならば、最小限か最大限かの警戒、防御は必要です。台湾もまた尖閣諸島を自国のものと主張していたようですので、台湾侵攻の際は、尖閣も射程範囲でしょうか。ロシアの北方領土への艦隊出現で、ウクライナ侵攻のどさくさに、日本が侵攻でもすると思ったのでしょうか。西欧ではいかに憲法で決められたり、非核三原則を言おうと、実際に軍備(自衛隊があること)があることで非合理な戦争が起こる可能性はゼロではないというのは周知の事実であることも、ロシアの行動で分かります。NATOやアメリカが武器や軍事情報をおくるのは参戦ではないという理屈です。いかに、戦争にたいする考えの違いが日本にあるか、見事にズレていて侵略をもくろむ国には都合のいい、侵略しやすい国になっています。

ウクライナ 18 日本人のアイデンティティー

 ウクライナ大統領の国会演説の日に記しました。

 同時通訳がウクライナの方なのか、よく内容が分かりませんでした。しかし、ウクライナ人としてのアイデンティティーを代表して「支持・支援」を訴えていると思いました。ドイツでの厳しい演説とは違って穏やかという感じも持ちました。

 Webで見たため書き込みには、辛辣な悪口もあり不愉快なものでした。特にアメリカ演説での「真珠湾攻撃」が日本人や天皇陛下に謝罪しろ!という言葉がありました。それも何度も繰り返しているのです。もしも、それが「日本人」であれば、まさに隣国思考そのままといういやらしさに嫌悪感も感じるほどでした。日本人であれば、そのような一方的で、否定的な見方をしていても、そのまま乱暴な言葉には表さないものだと思ったからです。大統領のあの『真珠湾攻撃』発言は、欧米や隣国での常識的な歴史観での発言でしょう。問題なのは、それを修正できえなかった日本政府やメディアなどの責任と言えます。日本の近代史への理解不足というか、日本学術会議、歴史学会、与党・野党という政治家が、偏狭な歴史観しか持ち得ないことに始まります。

 今回は、前回での「日本人としてのアイデンティティー」について少し触れます。

 私としては、写真の関係から古代人の宗教観について考えてきました。それはあくまでも、写真のテーマとして自分の立ち位置や観点の深さを探ったりするためでした。しかし、ウクライナ軍事侵攻から、ロシアの経緯、共産主義と考えてみるに従って、何らかの関係があるように感じてきました。マスコミや教育、知識人などへの違和感もあり批判してきました。日本人が、ウクライナを考える時たとえ
どんな歴史をたどって暗い部分があったとしても、ウクライナ人は歴史を背負いながら、歴史から得られた智恵や教訓をしっかりと持って、死をも辞さない、あるいは死を越えた貴いものをもって、毅然として自衛の戦争へと向かっていると感じました。そこには、ウクライナ人としての譲れないアイデンティティーがあることに重要な意味があるのだとも感じました。もちろんウクライナ人としての民族意識もあるでしょうが、そこには民族としての歴史観もあるでしょうし、民主主義や共産主義への考え方、人権への考え方などと共に、それらの実態などをどうとらえるのかというものも含めて、世界史的な観点でも、自らの独自性のある智恵と、世界史的な共通性のある智恵とが融合したようなものが、今後各国の人たちの「アイデンティティー」であれば、平和なる国と平和なる地球へと向かうのではないかと思うのです。

 それは過去にしっかりと向かい合うこと。たとえ闇の部分があってもしっかりと理解することや、誤ったものであればきちっと修正するという真摯さがなければならないと考えます。特に歴史で言えば、科学的と断定する非人道的な共産主義的な歴史観をもつものからの脱却が不可欠のように思います。さらに、人間の弱さを否定し、神や仏などの宗教を否定し、信教の自由もない、表現の自由も人権も無視した共産主義には嫌悪感を感じます。さらに、金欲、権威欲、支配欲などがギラギラした資本主義にもです。個人が数百、数千億という蓄財をもつことでさえ許す自由主義にでもです。グローバリズムというのも、闇の部分では結局のところ富の集中化をすすめる目的でしかないように思います。

 政府・大企業、国際的企業とは異なる一般の国民、人民、庶民は、穏やかで平和な愛ある優しい生活を求めています。困っている人がいれば募金もできたりボランティアができる余裕もあればいいです。悩みや苦しみを和らげるそれぞれの宗教や信条のもとに、死を見守り、死んでいきたいと願っています。〇〇主義は行きすぎれば、不幸となるのが国民、人民、庶民です。行きすぎた資本主義が共産主義を生み出しました。その共産主義も理想とするものがありながら避けることのできない根底的な欠陥をもっていました。(いずれの主義についても、論理的な証明、仮説的な論文も書けない自分ですが。その意味でマスメディアの公平性、中立性が報道の自由よりも重要です。)

 なによりも、「〇〇主義から目線ではない」立場からの議論・マスメディア、「都民ファーストやアメリカンファースト」のようなものでもないもの、国会議員候補でも「地元利益ばかりを言って地方遊説を行う」ようなものでもなく、しっかりと国政はどうかと関心をもって期待するような国民、人民、庶民であるようなことが必要です。

 ・政治家に騙されない賢さ。政党の甘い言葉や恫喝的な言動に引き込まれないへ警戒感。マスメディアに扇動されない智恵。特定の史観からものいう学者への警戒感。評論家ぶったり、庶民ぶったりする芸能人の発言への警戒感。そうなのです、何度も流される無料のテレビ報道は危ないのです。新聞にしても中立ではありませんので、警戒が必要です。欧米や隣国の政府が言うことだって、何かの企みや意図があるのです。見破るのは至難かもしれません。私たちは自らの生活を少しでも豊かにすることに精一杯ですから、情報の信憑性や隠された意図を見抜くのは困難です。しかし、〇〇党の主張を只信じるというのは大きな危険性を受け入れるかもしれません。

 だからこそ、報道のあるべき姿、教育のあるべき姿の根本だけは、大事にしなければならなと思うのです。コロナ禍でのマスク拒否運動、ワクチン一斉義務的接種への反対デモ、いわゆるウイルス人工説など、異なる動きも報道し、分析するような社説や論者の見解も報道できるようなマスメディアであってほしいと思うのです。欧米でのこうした運動がなぜ起こるかと考えると、それは「中立的な報道の自由」が少しでも確保されているからであり、全体主義や共産主義、はたまた、大国の覇権主義にたいしての教育機関での批判的な学習が確保されているからだと考えるのです。

 日本は古より、災害の多い風土の中で、それを乗り越えるために、自然と「辛いこと嫌なことを心の深いところに沈める」ということを学んで来たように思います。他人とのいざこざも、終われば「水に流して」、なかったように振る舞うのが美徳であるというようなことです。

 「水に流さないことで戒めとする」ことも必要ではないかとも思います。 


 アーノルド・トインビーという著名な歴史学者がいました。日本に対しても記している数少ない歴史学者です。 
 特に、「滅亡する民族の3つの共通点」として以下のことが述べられているのが意味深です。

 ・自国の歴史を忘れた民族は滅びる

 ・全ての価値を物やお金に置き換え 心の価値を見失った民族は滅びる
 ・理想を失った民族は滅びる


 また、次の2つは、日本人が世界史上に残したものについて記したものです。
 
・日本人が歴史上残した最大の業績は、世界を支配していた西洋人が「不敗の神」ではない事を示した点である。
・第二次世界大戦において、日本人は日本のためよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大な歴史を残した。それらの国々とは日本の掲げた短命な理想、大東亜共栄圏に含まれた国々である。

・人間はこれまで、技術面にかけては驚くほど豊かな才能を示し、総意も発揮してきましたが、こと政治にかけては逆に、驚くほど能力も創意も示していません。
・人間とは歴史に学ばない生き物である。
・あらゆる生物は本来、自己中心的であり、貪欲ですから、権力を握った人間は、その掌中にある人々の利益を犠牲にしても、なおその権力を己の利益のために乱用したいという強い誘惑にとらわれるものです。 
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