PHOTO MEMO by FES

写真についての個人的メモ

いい写真

写真についての個人的なメモです!

エッセンス 再来1 「view」と「scene」

 以前に下図をのせました。まだ、当時は曖昧だったように思いますが、なかなかいい観点だったと振り返っています。当時はまだテーマは眼中にはなかった感じです。かなり長くなり全数話となります。

 最高の写真を「essence」として目指すための、撮影のあり方や写真の考え方などが、自分流にまとめられたらと思っていて、概念化を進めています。

 要点としては、意図的に広い撮影フィールドを「view」して、「essence」の下準備ができる「scene」を選択(抽出)して撮影することを繰り返して、「essence」の写真を目指す。という訳のわからないことになります。

 「写真は感性」とは言いますが、その「感性」が何かはとても感覚的であり、多くの経験や学習のなから身に付けてきたものだと主ますが、それを説明したものも見当たりません。しかし、「感性を磨く」ということでは、学習などが不可欠とも考えます。
 撮影や現像等の経験や写真の考え方などの学習と実践という訓練によって、感覚的にも反応できるようになると考えます。プロのように毎日数千枚の写真を撮るということができない中で、少しでも貴重な撮影や現像時間を生かすためにも、思考による感性の覚醒が必要かと思うのです。

 

 今回もメモになります。以前にあげた図です。
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 「view」と「scene」

 どちらも視界、景色、光景、眺望というような意味ですが、「view」は肉眼で見えるもの全てを表していると思います。写真的にもう少し突っ込むと、写真に撮れるような光景を肉眼で探している状態とも言えそうです。
 それから「view」には、意見、見方、考え方という意味もあることから、見ているものの価値や意味、解釈がすでに撮影者個々の違いがあることになります。それぞれに見ている光景の内容が違うということも考えられます。それに「あるがままにみている」のではなく、「学習、経験によって解釈して見る」のが私たちの視覚の傾向でもあるからです。
 
 例えば、風景写真だとある程度遠方や空の状況に観点を置いて見るでしょう。太陽の位置や方角、雲の様子も見ます。動物写真であれば視界で確認出来る程度の距離の中の形や動きで動物を探すということで見ています。花となると群生や身近な範囲です。これは経験の一部ですが、撮る対象によって異なる距離感をもってものを見ていると言うことができるかと思います。農家の人や農業経験のある人は、作物をみれば生育状況を見る(認識、理解)でしょう。何に関心を持っているのか、職業や写真を含めての経験が「view」の見方を決めているというのが事実らしいのです。

 自然・田園風景とは言え、そこから受ける価値、意味、解釈が異なると言うことです。

 「scene」というのは、「view」の中で選択された「scene」とは、写真におさめようとする撮影者の意思が働いている光景と言うことになります。撮影者によって選ばれた光景、写真にしようとする意思、意図がある光景となります。凝視やファインダー越しにターゲットを捉えるような「ハンター」にも似ています。カメラで捉えた画像を「ショット」と言いますが、銃で発砲すること、射撃という意味もありますから…。

 ここでsceneはviewから「選択」された光景と書きましたが、単なる選ぶという言葉では適切ではないようにも思っています。違う言葉では、「特定のものを選ぶ」という単純なことではなさそうだからです。先にも書きましたが、被写体の価値や意味、解釈を行って選ばれるのですから、「抽出」に近いような感じもします。「抽出」には、「液体または個体の中から特定の物質を溶媒に溶かして取り出すこと。」ともありますが、視覚的な光景の中に、頭脳というフィルターを通して、写真的な特別な映像を見ているのではないかということです。
<次回に続く>

何処へ

何処へ

 晩秋山白く 何処へと向かうのだろうか

 積雪のあった十勝岳山麓で,ふと見上げたモノクロの空に鳥の一群が飛んでいました。向かうのは,白くなった十勝岳連峰の山頂方向です。寒さに向かっているような,この時期の北海道の季節とともに,私自身の撮影の厳しさを感じた瞬間でもありました。

 まずはレンズの話。70-300mmのレンズのときも,たまに飛んでいる鳥を写すこともあるのですが,ほとんどはピンボケ。まあ,絞りがF8以上ですし,相手も動いているので,ブレるわけです。ときには,ISO感度をあげるときもあるのですが,手ぶれといった状態です。しかし,この写真は新しい70-200mmで撮りましたが,たまたまF6であったこともありますが,素早いAFと手ぶれ補正機構がいいためか,かなりの解像度でした。ポートレートでもいい解像度ということで,重量はありますがかなり使えそうなレンズだと感じています。最高焦点距離が200mmということで,物足りなさもありますが,RAW現像からの2分の1程のトリミングでも,いい質感をだしているという感じです。そもそも,APS-C換算で480mmまで撮っていたとはいえ,ミラーアップしても,機械式のシャッター幕ということもあり,三脚固定の不十分さもあって,微妙なブレがあったのかもしれません。いい感じのときとそうでないときの差があったのが,70-300mmでした。まだ,一月あまりの70-200mmですが,まだまだ,冬を過ぎないと,モノクロのような雪景色を撮ってみないとわからないというのが実感です。

 2つ目は,この写真の本題名である「何処へ」ということで。東川写真塾以後,高橋真澄氏の指導や講評をまとめているのですが,私の写真のほとんどが,前回に書いた「状況写真」ではないかと疑問をもったのが実感です。すると,これからどこへ向かおうかと,どこをどう手直ししていくのかということで,「私の写真が何処へ向かうのか」ということでもあります。
 いつもいい写真が撮れることはありませんので,その意味では,日々の撮影ということでの「状況」ですが,もし,素晴らしい光景に出会った際に,その状況であってはいけないのではないかと再考させられます。高橋氏を師とするプロの方も「日々,修行」といっていた言葉を思い出します。「状況写真」よりも,「より表現性のある写真とは何か」を考え,日々,切り取りを鋭角化していくような練習,訓練,修行が必要かと思っています。

 情報 ケント白石氏がネットで写真塾を11月オープンするそうです。もちろん有料のようで,プロをめざす方やハイアマチュアをめざす人が対象のようです。異色の作家ということでも興味深々ですが,様子をみてみたいものかと思います。今後詳しいことがわかってくるかもしれませんので,興味のある方はブログをみてください。 
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