PHOTO MEMO by FES

写真についての個人的メモ

写真

写真についての個人的なメモです!

冷霧漂う

 久々の写真投稿です。すでに時期外れですが…。


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 1月下旬から2月上旬の冬にも霧が発生します。丘の下にある樹木が霧に隠れていて、丘の上にもうっすらと霧が漂っています。日の出前の南の空があからんでいて、短い色の変化の中で朝が明けていくことになります。

冬黎明の景色

 手袋をはめた手がかじかんでしまう久々の凍れ。今回は美瑛から富良野の空知川までの山道、丘陵をめぐってきました。やはり未明での西の空が色づくのがいい感じだと思いました。日の出方角の色もいいですが、光が厚い空気層を通過して醸し出すピンク色がいい感じでした。

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 「 Moment of  prayer 」と題してみました。最近はこんな色彩やシンプルなものに心が惹かれます。
祈りたくなるような瞬間という感じですが、天地の境目のラインあたりから精霊が現れるのではないかという錯覚さえ感じる時でした。

段差の光と影

 もう2月。オミクロン株も猛威(?)をふるっているようですが、マスコミは以前とは異なって大  人しめの報道ぶりです。日本もイギリスのように1日の感染者が10万人を超えたようです。イギリスの人口は日本の半分ですので、もう10万人ほど感染するかもしれないという欧米型の思考が医学界でしょうか。とは言っても、諸外国のように拡大しないのが今までの日本です。やはり日本には「ファクターX」があるようです。理研では特異な免疫体があると研究中のようですが、コロナワクチンよりも、こちらの免疫体を活性化するものを開発すれば日本人にあった薬になると思うのですが‥‥。


 さて、厳寒時に見られる青い影の写真です。段差があるのは、斜面にある田んぼです。別SNSでは「足跡」としましたが、見つけてみてください。何もないような雪景色にも小さな足跡があると、何となくホッとします。

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写真 黎明幻想

 久々の写真投稿です。相変わらず美瑛通いですが、美瑛らしい光景から離れて辺りを見回しています。


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 大晦日と新年は家族でカラオケもしながら過ごしました。「新年らしい」光景の投稿もできませんが、1月7日に撮影したものです。

初冬の光

 今日は久しぶりの降雪で雪かきをしました。日本海等は暴風雪だそうです。
 体調が良くなくて撮影もご無沙汰でしたが、過日の天気のいい日9時過ぎに行ってみました。丘には所々積雪はあるものの春のような光景でした。


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 十勝岳連峰の主峰の十勝岳です。噴火口があるのでわかりやすいです。標高2077mなので、すでに冬景色の山肌ですが、積雪もあまりなくて日光に照らされて表面が氷結しているようで、3月並の山肌の反射が見られるようです。
 噴火口からの噴煙があり、警戒レベル1の活火山です。大正、昭和に3度の噴火があり、30〜40年間隔で噴火しています。最終噴火が1988年ですから、そろそろ噴火?と心配もしています。

 もう1枚。

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 美瑛の丘も日陰の一部には積雪もあるのですが、長い秋の様子となっています。白樺はすっかり裸になっていても、カラマツ林はまだその色を誇っているようです。


「霧」の解釈 3

 10日間ほど、全く食欲がなくて、1日に水とヨーグルト3個ぐらいで終わらせていたら、4kgも体重減。何もやりたくないという状態だが、短いながらも勤務はつづけている。やっと、血液検査、エコー、胃カメラと医者に診てもらう。軽い胃炎があるとのことで、薬をもらった。食べないと胃の方もよくならないとのことで、パン食、サラダ、麺類と少しずつ食べるようにしているが、やはり朝の食欲はゼロである。したがって、撮影の方もずっとご無沙汰状態です。

 霧についての その他 (記事は貯めているので蔵出しということです)

 霧を主体にとは考えても、ただ白いだけのもの。それが霧と見えるには、

・背後に何がしらの物が潜んでいて、それがかろうじて見えるようなこと。
・霧の隙間や境界上に物が見えること。
 つまり、霧そのものと物の複数の存在があってこそ、認識される。こうした相互の関係性でしか霧は描写できないものがあるということになります。

 下の写真は、そのようなことが頭の中でよぎりながら撮ったものです。
 全体的に霧がかかっているのですが、上には帯状の霧があります。林と林の間にも霧があります。
 
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 そして、帯状の下全体に霧がかかっています。霧が霧であるためには、霧の薄いところで物が見えるよな描写、鮮明な描写ではないことでは霧を認識できるような描写が必要となるわけです。

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 これは、薄く見える部分と霧で見えない部分を約半分にしてみました。
 次のものは半分以上です。


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 このように、霧と他のものがなければ、霧というのは描写できない、認識できないということになります。何か、当たり前のようなことですが、これが分かったということになります。

 従って、霧光景では、どのように物を描写、見せることができるのか、その見せ方(捉え方、撮影チャンス)が大切なこととなります。そのような関係性が重要ということです。

 霧という状況の中で物が、
 ・霧の影響を受けずに明確に見える
 ・明確な部分もありながら、隠れていく部分がある
 ・霧に影響されるにしても、ボワッとしていて何かはわからないようなものから、丘、木々があると分かるようなものまであるということ。

 こうしてみると、非常に繊細な観察での撮影が大切か、ということがわかります。霧の量や流れ、さらに元景色との関係で、視界全体に様々な撮影状況が立ち現れきます。そこをどうフレーミングし撮影するのかは、それこそ無限だと考えます。従って、写真の技術や景色の捉え方などが試されるいい被写体ではないでしょうか。

 繰り返しになるかも知れませんが、霧のある状況は、コロナ禍でのいわゆる陰謀論とされるような様々な情報、さらに、日頃興味のあった日本近代史での自虐史観の要因、偏向的なマスコミなどなど、今まで知り得なかった情報にも触れることができたことによる世界観の変化がまさに「霧」を象徴しているかのように見えることも、惹かれる原因の1つかも知れないということです。

 世界は善意とか正義、愛では動いてはいないかもしれない。善意や正義、愛とかを求めて生きているのは、庶民でしかいないのではないか。過日の衆議院選挙も候補者達は地域課題ばかりを取り上げているのも、そうした庶民の意図を汲んだものでいいかとは思うのですが、国政を預かる国会議員として、世界の中での日本の在り方や進むべく道をしっかりと提示してもよかったのではないかと残念に思うのです。票が欲しいがための直近の課題ばかりで愛想を振りまくだけでは情けないです。

 私たち庶民は、善意とか正義、愛とかでは動かない資本主義や共産主義のよくない面の本質や両主義を貫くような世界のグローバル化による統制社会の実現という企みについては、十分に知り得るものではありませんが、そうしたものが企む善意や正義、愛を踏み潰すようなものを明確に分析して対処して、日本と国民を守り、世界に気骨のある発言をしていくのも国会議員の大きな使命だと思ってしまった前回の衆議院議員選挙でした。

 こうした意味では、日本は霧、モヤがかかっているような感じです。その見えない部分では心や身体が侵食されているのではないかとも夢想=霧想してしまいます。コロナ禍で被害妄想になった訳ではありませんが、光あれば影ありで、それらを効果的に生かすという写真目線では、こうした両面的な世間の見方もあながち間違いではないかもしれません。

 「霧を見ながら、世の闇も連想する」という、いささかへそ曲がりの面も書いておきます。霧の描写面積が多い ときは、善意や正義、愛を踏み潰すものへの霧のような無力な抵抗かもしれませんし、わずかに見える景色は仄かな希望を象徴しているかもしれません。

 (今までの世間話には政治や宗教の問題はタブーだったようですが、日常的に情報交換したり、意見を言い合うような土壌ができない限り、政治家は磨かれないし、馬鹿な政治家がのさばるだけです。つまり、政治家に騙され馬鹿にされている庶民であってはならないし、そんな政治家だからこそ海外の政治家に騙され馬鹿にされていると思うのです。デジタル庁が出来て、中央官庁や地方自治体の全情報のサーバーをアメリカの企業に任せるということが決まったのだそうです。日本企業も落札には参加しましたがダメだったのです。LINE情報が1部中国に流れていたようなことがあったのに、アメリカならいいのでしょうか。はたまた、日本でのシステム管理上=サイバー攻撃防衛やSpy防止法がないために防御できないと判断したのでしょうか。何か情けない感じです。)

 霧については、これくらいで終わります。次回の課題は、「古代人のこころと自然観」のようなことで、再度、日本や一部他国のアニミズム的なものをさぐってみたいと思っています。
 自然の全てのものに魂があるような、動物を神の使いとか、山や岩、木に神が宿るような見方や、そうした中での人との関係を探ってみたいと思います。

最大の濃霧

 いくら濃霧注意報とはいえ、いつもいく丘々は全く霧の中。日の出約1時間前に到着したが視界は2、30mだろうか。日の出近くなっても、その明るささえもわからない。国道を挟んだ両側の丘々が全くの霧の中ということで、あちらこちら移動して撮影できたのは、2時間以上も経ったあとになってしまった。最初の撮影が下の写真。ようやく霧の切れ目につくことができた。ここも標高は高いが、かなりの量の霧と想像できる。

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 そして、この先で撮ったのが次の写真。感覚的には美瑛の美沢方面だと思うですが、下界に見える光景はまさに雲海そのものでした。ここから戻って、1枚目の写真の場所へと行きましたが、3、40分ほど待ちましたが、霧が晴れる気配がなくて帰宅しました。

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順光での霧光景

 今日の濃霧注意報は、いつもとは違い旭川方面で大量発生となりました。従って、霧の中を美瑛へと向かうことになりました。到着すると上富良野方面からの流入は少なく、いい条件にはならなく、日の出以降は美瑛の北方面での撮影としました。

 北方面と言えば、三愛の丘や藤野の丘ということになり、太陽を背にしての撮影となりました。従って、紅葉にはしっかりと光が当たり印象的なものとなりました。霧の中に浮かび上がる紅葉も撮影したくてじっとまったり、移動して探しました。

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 そして、霧の中だけに見える紅葉も探しましたが、イマイチでした。相当に高度のある丘でないと難しいようです。さらに、白色が多くなると、その白さを出すと共に、霧の流れ、陰影が難しくなります。下のものはサイド光となります。
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 今日の午後に現像に入ったところ、Lightroomがバージョンアップされていました。しかも、アイコンが変わり、機能が増えていました。少し戸惑いましたが、いつもの機能は使えました。

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 パブリッシュコメントでは、Lightroom2以降最大のアップデートとのことで、新設計したとのことです。種々の機能がマスク機能ということで統合したせいか、以前は補正後にクルクル回って時間がかかるといったことがありましたが、それが軽減されるそうです。まあ、新しいエンジンを作って取り付けたという感じだそうです。マスク機能として追加されたのは、「被写体を選択」「空を選択」「輝度範囲」などというものが追加されました。

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 おいおい、わかりやすいノウハウ・ブログ等も出てくると思いますが、今のところはわかりにくいアドビのものだけです。開発の意図、内容などの概要は下記から。

 https://blog.adobe.com/jp/publish/2021/09/29/cc-photo-from-the-acr-team-masking-reimagined.html#gs.efrul3  

諸相、非相  その3

<諸相・非相を 皮相的に捉える>

 写真の表現として、ある考えや思想などのテーマやコンセプトを「諸相・非相」の考えから表現するのは、やはり多くの作品数が必要だと思います。

 しかし、どのようなものになるかは、1枚1枚の写真に見える部分と見えない部分(見えにくい部分)を入れること考えられます。つまり、極端なコントラストを生み出すような時間帯での撮影による作品です。

 過去の写真では以下のようなものでしょうか。

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 1つの表現方法としてはあり得ますが、「諸相・非相」の捉え方は、やはり皮相(うわべだけ)的です。光の関係で見える部分と見えないような部分があるだけのものですからね。光がより感じられる、コントラストのある写真というコンセプトの1つは見えますが、その先は見えません。

 しかしながら、撮り始めから数年のものと比べて、「光を描く=フォトグラフ=写真」の特長の1つが実現されているように思っています。より光を意識して自然事象を撮影してくるようになったからです。

 こうした撮影の変化の中で、霧を撮り続けていますが、下の写真もある程度コントラストがあるもので、水墨画を思わせるものがあると思います。モノクロ写真では霧の微妙な模様も描くことができます。

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 カラー版では、このようなボアっとしたものも好みです。これも絵画的、パステル画的と指摘されることがありますが、私的には水墨画的なものを見出すからです。ここで「非相」的なものは霧ですが、微かに見える部分から何が隠されているかは想像ができそうです。ここで何度か水墨画に触れましたが、これも霧に水墨画の要素を見るので撮る要因の1つかも知れません。

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 以上の写真から、暗い非相が白い非相に変わっていることがお分かりでしょうか。コントラストのある光の状態以外でも、白に近い霧をモチーフにすることによって「非相」部分を表すことができないものかと試行錯誤しているようです。本当はこのような「諸相・非相」ではないと思いますが、何か霧光景が語りかけてくるようなもの、そのためには私がその言葉を聴かなければならないのかと思います。
そして、それを聴くには、聴くことができるような自分へとステージアップしなくてはなりません。
 何か屁理屈でとも感じますが、写真撮影や写真での経験を見直しながら自分なりの意味づけ、意義づけをしてみたいと思います。そうして、心境的にはその時点、その時点での、「人事を尽くして天命に聴(まか)す」です。このことわざは、一般的には「〜待つ」ですが、本来は「聴(まか)す」だそうで、上記で書いたことを考えると「聴(まか)す」が適切かと思います。

 多くの私のようなアマチュアが美瑛の四季を撮ってはいますが、少し違うその先の光景も撮りたいのです。

降雪 秋と冬の狭間で

 <今年初の雪撮影>
 先週は平地にも降雪があったのですが、所用があって無撮影でした。そして、昨日は…。
  
 この雨が雪に変わるのを期待して、やや遅い早朝に出かける。暗い中に降雪場所についても光量が決定的に不足するので撮影には不向きと考えたからです。

 美瑛市街に入っても雨。そうなれば向かうところは山方面である。ビルケの森では雪が降っていたが、降雪量と明るさは不十分と判断して1時間ほど様子見する。

 ビルケの森駐車場には、キャンピングカー1台に、2台の乗用車。まだ舗装道路は暖かくて積雪には至らないが、笹や低木には雪が載ってきて久々の雪景色が新鮮に見える。


 青い池には4人ほど先客が。恒例のライトアップ準備のためのコードやちょっとした台がヤグラの上にあって、午前7時を過ぎる頃には、ライトアップ設置の作業員4、5名がやってきた。

 まだ落葉も多くはないので、湖面は綺麗な方である。久々に見ると、立ち枯れの木々がやけに近くにあると錯覚する。風も弱くて、雪粒がつくる波紋がわずかに見えるほど、静的なイメージにあう状況となりました。

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 もう1段回、淡くしてみるとこんな感じです。(30インチモニタで現像しています。画面が小さいと色が濃く出るので、こちらの方がいいかも知れません。)

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 今年も青い池は、台風もなく倒木はなかったようで、ひとまずは安心です。真夏の青い池もいいですが、それよりも紅葉が湖面の色を引き立たせます。そして、それ以上に、紅葉に積雪、降雪が入った光景が好みです。これからは、紅葉も終わって湖面が落ち葉で乱れますので、それを覆い隠すようなジャーベット状態から湖面が完全凍結する前まで、湖面に模様ができるのが楽しみです。とはいえ、駐車場が有料なので、ちょうどいい時期にタイミングよく撮影できるかが問題です。

 さてもう1枚は、降雪にポイントを当てて、少しカリッとしたものです。
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 撮影が終わって見ると、カメラも三脚もカメラバッグ、服もすっかり濡れていました。非常に溶けやすいのが今頃の雪です。気温の低下とともに、降雪と溶解が繰り返されていくうちに地面や水面が凍り付き、ついに溶けなくなる状態となって降り積もってくるのです。 
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