ウクライナ大統領の国会演説の日に記しました。

 同時通訳がウクライナの方なのか、よく内容が分かりませんでした。しかし、ウクライナ人としてのアイデンティティーを代表して「支持・支援」を訴えていると思いました。ドイツでの厳しい演説とは違って穏やかという感じも持ちました。

 Webで見たため書き込みには、辛辣な悪口もあり不愉快なものでした。特にアメリカ演説での「真珠湾攻撃」が日本人や天皇陛下に謝罪しろ!という言葉がありました。それも何度も繰り返しているのです。もしも、それが「日本人」であれば、まさに隣国思考そのままといういやらしさに嫌悪感も感じるほどでした。日本人であれば、そのような一方的で、否定的な見方をしていても、そのまま乱暴な言葉には表さないものだと思ったからです。大統領のあの『真珠湾攻撃』発言は、欧米や隣国での常識的な歴史観での発言でしょう。問題なのは、それを修正できえなかった日本政府やメディアなどの責任と言えます。日本の近代史への理解不足というか、日本学術会議、歴史学会、与党・野党という政治家が、偏狭な歴史観しか持ち得ないことに始まります。

 今回は、前回での「日本人としてのアイデンティティー」について少し触れます。

 私としては、写真の関係から古代人の宗教観について考えてきました。それはあくまでも、写真のテーマとして自分の立ち位置や観点の深さを探ったりするためでした。しかし、ウクライナ軍事侵攻から、ロシアの経緯、共産主義と考えてみるに従って、何らかの関係があるように感じてきました。マスコミや教育、知識人などへの違和感もあり批判してきました。日本人が、ウクライナを考える時たとえ
どんな歴史をたどって暗い部分があったとしても、ウクライナ人は歴史を背負いながら、歴史から得られた智恵や教訓をしっかりと持って、死をも辞さない、あるいは死を越えた貴いものをもって、毅然として自衛の戦争へと向かっていると感じました。そこには、ウクライナ人としての譲れないアイデンティティーがあることに重要な意味があるのだとも感じました。もちろんウクライナ人としての民族意識もあるでしょうが、そこには民族としての歴史観もあるでしょうし、民主主義や共産主義への考え方、人権への考え方などと共に、それらの実態などをどうとらえるのかというものも含めて、世界史的な観点でも、自らの独自性のある智恵と、世界史的な共通性のある智恵とが融合したようなものが、今後各国の人たちの「アイデンティティー」であれば、平和なる国と平和なる地球へと向かうのではないかと思うのです。

 それは過去にしっかりと向かい合うこと。たとえ闇の部分があってもしっかりと理解することや、誤ったものであればきちっと修正するという真摯さがなければならないと考えます。特に歴史で言えば、科学的と断定する非人道的な共産主義的な歴史観をもつものからの脱却が不可欠のように思います。さらに、人間の弱さを否定し、神や仏などの宗教を否定し、信教の自由もない、表現の自由も人権も無視した共産主義には嫌悪感を感じます。さらに、金欲、権威欲、支配欲などがギラギラした資本主義にもです。個人が数百、数千億という蓄財をもつことでさえ許す自由主義にでもです。グローバリズムというのも、闇の部分では結局のところ富の集中化をすすめる目的でしかないように思います。

 政府・大企業、国際的企業とは異なる一般の国民、人民、庶民は、穏やかで平和な愛ある優しい生活を求めています。困っている人がいれば募金もできたりボランティアができる余裕もあればいいです。悩みや苦しみを和らげるそれぞれの宗教や信条のもとに、死を見守り、死んでいきたいと願っています。〇〇主義は行きすぎれば、不幸となるのが国民、人民、庶民です。行きすぎた資本主義が共産主義を生み出しました。その共産主義も理想とするものがありながら避けることのできない根底的な欠陥をもっていました。(いずれの主義についても、論理的な証明、仮説的な論文も書けない自分ですが。その意味でマスメディアの公平性、中立性が報道の自由よりも重要です。)

 なによりも、「〇〇主義から目線ではない」立場からの議論・マスメディア、「都民ファーストやアメリカンファースト」のようなものでもないもの、国会議員候補でも「地元利益ばかりを言って地方遊説を行う」ようなものでもなく、しっかりと国政はどうかと関心をもって期待するような国民、人民、庶民であるようなことが必要です。

 ・政治家に騙されない賢さ。政党の甘い言葉や恫喝的な言動に引き込まれないへ警戒感。マスメディアに扇動されない智恵。特定の史観からものいう学者への警戒感。評論家ぶったり、庶民ぶったりする芸能人の発言への警戒感。そうなのです、何度も流される無料のテレビ報道は危ないのです。新聞にしても中立ではありませんので、警戒が必要です。欧米や隣国の政府が言うことだって、何かの企みや意図があるのです。見破るのは至難かもしれません。私たちは自らの生活を少しでも豊かにすることに精一杯ですから、情報の信憑性や隠された意図を見抜くのは困難です。しかし、〇〇党の主張を只信じるというのは大きな危険性を受け入れるかもしれません。

 だからこそ、報道のあるべき姿、教育のあるべき姿の根本だけは、大事にしなければならなと思うのです。コロナ禍でのマスク拒否運動、ワクチン一斉義務的接種への反対デモ、いわゆるウイルス人工説など、異なる動きも報道し、分析するような社説や論者の見解も報道できるようなマスメディアであってほしいと思うのです。欧米でのこうした運動がなぜ起こるかと考えると、それは「中立的な報道の自由」が少しでも確保されているからであり、全体主義や共産主義、はたまた、大国の覇権主義にたいしての教育機関での批判的な学習が確保されているからだと考えるのです。

 日本は古より、災害の多い風土の中で、それを乗り越えるために、自然と「辛いこと嫌なことを心の深いところに沈める」ということを学んで来たように思います。他人とのいざこざも、終われば「水に流して」、なかったように振る舞うのが美徳であるというようなことです。

 「水に流さないことで戒めとする」ことも必要ではないかとも思います。 


 アーノルド・トインビーという著名な歴史学者がいました。日本に対しても記している数少ない歴史学者です。 
 特に、「滅亡する民族の3つの共通点」として以下のことが述べられているのが意味深です。

 ・自国の歴史を忘れた民族は滅びる

 ・全ての価値を物やお金に置き換え 心の価値を見失った民族は滅びる
 ・理想を失った民族は滅びる


 また、次の2つは、日本人が世界史上に残したものについて記したものです。
 
・日本人が歴史上残した最大の業績は、世界を支配していた西洋人が「不敗の神」ではない事を示した点である。
・第二次世界大戦において、日本人は日本のためよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大な歴史を残した。それらの国々とは日本の掲げた短命な理想、大東亜共栄圏に含まれた国々である。

・人間はこれまで、技術面にかけては驚くほど豊かな才能を示し、総意も発揮してきましたが、こと政治にかけては逆に、驚くほど能力も創意も示していません。
・人間とは歴史に学ばない生き物である。
・あらゆる生物は本来、自己中心的であり、貪欲ですから、権力を握った人間は、その掌中にある人々の利益を犠牲にしても、なおその権力を己の利益のために乱用したいという強い誘惑にとらわれるものです。