相当長いシリーズになりました。シリーズとはいえ調べながらのものですので、隙間のあいたジグソーパズルのようです。
縄文時代中心のものですが、教科書で知ったようなイメージとは異なるものを得ました。
・人や動植物、あるいは無生物という物と、あらゆるものに霊魂が存在するという観念的な自然との一体感の中で、人や自然との協調を図って生きていた。
・自然に左右されながらも、霊魂を信じることで、豊かな収穫や再生、防災などを祈った。
・縄目の土器や蛇の造形から蛇信仰、女性土偶からは女神信仰、地母神信仰が中心だったと思われる。
しかし、現在神社にもある樹木や岩石、山などが神の依り代となることから、多くのものが祀られていたと推測される。
・狩猟漁労採集や土器・鏃等の生活の技術、埋葬・祭祀等を維持するために何らかの伝承がおこなわれていたことが想定される。
・それと共に、卓越した技術を持つ者や埋葬・祭祀を取り仕切る者、ムラを取り仕切る者、縄文文化を推進するような者などのリーダー的存在がいたことが想定されます。
国宝に指定された以外にも、重要文化財が多くあります。また、下図のような文様を見るときも、デザイン性や緻密性の高さを感じます。予想以上に高い精神性と知恵をもっていたことが充分にうかがい知ることができました。
新石器時代、縄文時代とはいえ、厳しい氷期が終える温暖化の中で自然の恵みに支えられながらも、現代日本と同じような地震や津波、はたまた台風による幾多の災害の中で立ち直りながら、共同性や忍耐性が培われ、優れた土器や土偶などを創り上げる芸術性をももっていました。また、あらゆるものに霊魂があるとしたような精神性は、弥生以後の現在までも神道的なものや厳密な教義をもつ仏教にも伝わってきていると思います。さらに世界的な一神教信者が人口の1%と極めて少なかったりするのも、縄文以来のアニミズム的な汎神論や先祖崇拝的なものが背景にあるのではないかと思っています。
やはり、西洋の一神教的世界においては、神、あるいは神と類似したものを信じるか信じないかが重要な問題なのですが、多神教的世界における日本にとっては、認知や理解と言ったものよりも、神々の気配(感性的な)を感じるか感じないかという「感じる宗教」ということが言われています。自然の恩恵や美、神秘さ、癒やしなどを感じたり、身近にある自然とのメンタルな結びつきが強いのが古代人であり、その心情をずっと受け継いできているような感じがします。
縄文時代中心のものですが、教科書で知ったようなイメージとは異なるものを得ました。
・人や動植物、あるいは無生物という物と、あらゆるものに霊魂が存在するという観念的な自然との一体感の中で、人や自然との協調を図って生きていた。
・自然に左右されながらも、霊魂を信じることで、豊かな収穫や再生、防災などを祈った。
・縄目の土器や蛇の造形から蛇信仰、女性土偶からは女神信仰、地母神信仰が中心だったと思われる。
しかし、現在神社にもある樹木や岩石、山などが神の依り代となることから、多くのものが祀られていたと推測される。
・狩猟漁労採集や土器・鏃等の生活の技術、埋葬・祭祀等を維持するために何らかの伝承がおこなわれていたことが想定される。
・それと共に、卓越した技術を持つ者や埋葬・祭祀を取り仕切る者、ムラを取り仕切る者、縄文文化を推進するような者などのリーダー的存在がいたことが想定されます。
国宝に指定された以外にも、重要文化財が多くあります。また、下図のような文様を見るときも、デザイン性や緻密性の高さを感じます。予想以上に高い精神性と知恵をもっていたことが充分にうかがい知ることができました。
新石器時代、縄文時代とはいえ、厳しい氷期が終える温暖化の中で自然の恵みに支えられながらも、現代日本と同じような地震や津波、はたまた台風による幾多の災害の中で立ち直りながら、共同性や忍耐性が培われ、優れた土器や土偶などを創り上げる芸術性をももっていました。また、あらゆるものに霊魂があるとしたような精神性は、弥生以後の現在までも神道的なものや厳密な教義をもつ仏教にも伝わってきていると思います。さらに世界的な一神教信者が人口の1%と極めて少なかったりするのも、縄文以来のアニミズム的な汎神論や先祖崇拝的なものが背景にあるのではないかと思っています。
やはり、西洋の一神教的世界においては、神、あるいは神と類似したものを信じるか信じないかが重要な問題なのですが、多神教的世界における日本にとっては、認知や理解と言ったものよりも、神々の気配(感性的な)を感じるか感じないかという「感じる宗教」ということが言われています。自然の恩恵や美、神秘さ、癒やしなどを感じたり、身近にある自然とのメンタルな結びつきが強いのが古代人であり、その心情をずっと受け継いできているような感じがします。