三内丸山遺跡の様子をみてきましたが、自然の中での居住性と生活利便性をうまく考えたムラ計画です。この回は、代表的な縄文集落と土壙墓の形態を見ていきます。


 縄文時代のムラ計画の中で一般的なのが、環状集落と呼ばれるものです。埼玉県嵐山町のHPからです。

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 上図は概念図ですが、環状に住居群があり、中央の空間が祭祀を行った場所と埋葬場所となります。何カ所か住居が密集しているのは同一家族や同一家系ではないかという研究も進んでいるようです。

 下図は岩手県の西田遺跡図ですが色分けされているように環状に建物があり中央部が墓が見いだされました。掘立柱住居は倉庫に使われたそうです。
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 この環状集落が東日本一体に分布し、居住域の直径は70~150m以上もあるそうです。この2図を見ると、確かに環状ではありますが、祭祀場所と土壙墓を中心にして集落が作られていると見ることができます。祭祀場所であるとの根拠としては、そこに環状列石があること(縄文後期には集落の外に移行)をあげているようです。他の場所から数百もの大きな石を運び込み(幾世代にもわたって?)、円形に設置して何らかのモニュメントを作り上げていくには、何らかの思想のもとに祭祀をおこなったと考えられているからです。

 さらに興味深いのは、上図の西田遺跡での埋葬の様子です。中央の十数体の土壙墓を中心に
放射状に頭を外側にして埋葬されていることです。

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 見事なまでの配列ですが、これを指示するようなリーダーがいたとしか考えられません。さらに当然にそのリーダーも世帯交代するわけですので、そのようなリーダーが中央に埋葬されていたと考えられます。それを中心に整然と埋葬されているのをみると、中央の埋葬者達は、ムラを守護したり、ムラ人の魂をあの世へと誘うような先祖神として崇められたように思います。

 さらに、放射状の埋葬では頭が少し高いということも考えると、この埋葬方法は平面的ではなく、中央の先祖神の霊魂の上昇経路やあの世を頂点として、それを見つめ各々の霊魂が上昇していくことで描かれる「霊魂上昇の円錐形」のようなものをイメージします。縄文世界は、水平面の同心的な空間と空の向こうの天までの垂直的空間の中で生活していたと考えることができます。

 このような先祖崇拝、先祖信仰は、後に、同じ系統の部族、あるいは、同じムラに住む人々の氏神(うじがみ)となっていったのかもしれません。