歴史上の古代とは飛鳥時代や古墳時代から始まるようですが、個人的には土器を使った縄文時代からというのが私のイメージです。道具作りはもちろんですが、葬儀や信仰、縄文晩期からの勾玉などを含めて精神的な文化を築いていたというのが理由の一つです。

 ・人間や他の動植物や自然にも霊魂があるということ。その中でも蛇信仰が盛んになってきたことで、不死・長寿・再生などを強く願ったのではないか。

 ・また、漁労狩猟採集と言う食生活では、より多くの獲得と収穫を願うことから、植物や動物信仰があったのではないか。

 ・火山や暴風雨、洪水などの自然災害という恐怖や畏怖から、山、巨木、太陽、雷などへの信仰も出てきたのではないか。人と同じような霊魂のあるものとして、人間と生物、無生物を行き交ったりして、災害防止や豊穣などを願うという信仰もあったのではないか。

 ・そうするならば、人間は共に霊魂のある自然界とともに生き、祈りの中で、平均寿命30歳という短い人生を生き抜いていたのではないだろうかと思うのです。


縄文11

 ちょっとしたイラストですが、当時の狩猟採集生活は、労働時間として3、4時間で1日の食料を得るほど、温暖化してきた縄文時代は豊かだったという説もあります。狩や漁労は男性、採集は女性中心だったでしょうか。ときには土器を作ったり、竪穴住居の補修だってあることでしょう。風雨などで狩猟採集に出かけられない日は、乾燥させたもので食事をしたでしょうし、晴天を祈ったかもしれません。狩猟がうまくいかない時は、山や木、動物の霊魂に祈ったことでしょう。

 こうして人口が増えてムラとなって、居住区域が広がって行ったでしょう。周囲は野原や樹林に、川や海があったかもしれませんが、無闇に食料をとったり伐採したりはしなかったでしょう。衣食住の全てが自然に委ねられている生活です。そして、衣食住のみの生活から、祭儀を行う場所と施設、共同的な墓地、はたまたヒスイなどの装身具を作るといった、心の深まりが生まれてきたと思います。縄文ではゆったりとした時間と豊かな自然の中で営まれと思います。

 実は、日本の新石器文化=縄文文化は、世界的には異質の文化なのです。西洋の歴史では農耕のない新石器文化はレベルが低い文化と今まで考えられてきたのです。しかし、西洋での農耕文化というのは、木々を伐採し野原を焼いたりして、自然を破壊して農地を広げることで経済的・文化的に進歩することです。日本の縄文時代にはそれがなかったということで、西欧とは異なった文化を醸成していたことが評価され、北海道・東北の縄文文化が世界遺産になったのです。
(西洋ではムギが主食ですがが、コメ比べるとその生産性は極めて低く、麦は連作障害があって同じような広さの休耕地や畑作地が必要です。コメは連作障害もなく生産性は数倍です。それで、西欧では畜産も盛んになり牧草地の確保が必要になり、牧草地や耕作地が拡大されていきます。)


 また、言語にもどるのですが、おそらく土器や石器、弓矢や槍、衣服などの作り方も狩猟採集の場所や他集落との交易などで、片言であったとしても共通的な縄文語というものがあって、手振り等も交えながら教え、伝えたのかもしれません。

 「日本語のルーツに関しては、アルタイ語(蒙古語・満州語・朝鮮語・トルコ語などが属するらしい)と似ていると言われているのですが、どうも、未だ答えがでてなくて、日本語は、世界の言語の中でも特異の存在(日本語が属する言語が世界にない)で、日本列島で長い間に形成された独特の特色を有しているようです。1998年5月に出版された言語学者故小泉保氏が「縄文語の発見」(青土社)が、縄文語の研究をまとめられているようです。

 日本語は弥生時代を起源とするとの主流の学説に対し、「はたして、縄文時代の言語は弥生時代の言語に駆逐され、消滅させられてしまったのであろうか。600年足らずの弥生期に弥生語は縄文語に完全に入れ替わったのであろうか。こうした弥生期における言語交替の証拠はどこにもない。」
                           斎藤成也 国立遺伝学研究所

 「縄文語」については、言語学会での非主流派です。例のタミル語語源説と同じようなものかもしれない。しかし、弥生の稲作文化という先進文明が入ったとしても、遥か1万年以上の歴史を破滅させ、言語をも駆逐することがあったのだろうかと思います。稲の遺伝子解析から、日本の稲は中国の長江文明が発祥だと解明されました。そして、黄河文明が南下して長江文明(14000年~1000年頃)が駆逐されることになるのですが、そこを逃れた人々が海路や陸路で日本に来て稲作を伝えたというのが今の定説です。日本語には中国語や韓国語の痕跡が非常に少ないというのも、いわゆる大量に人々がきたのではなく、長い年月をかけて移り住み、弥生時代へと変わっていったとかんがえられます。

 従って、稲作文化を伝えた人々の言語は、稲作技術や保存方法、あるいは中国や韓国での新信仰などには残るかもしれませんが、多くの日常言語は日本語であったと思います。

 日本語の源流を探る研究は、あまり進んではいないようです。何と言っても、記録された文字がありませんので、漢字が伝わった6世紀以降の文献から類推するしかないのですから、非常に困難なものでしょう。先にも書きましたが、日本語が世界でも特殊な言語ということでは、日本で生まれたものであるという仮説が有力であるのは非常に興味あるところです。やや異端的なインドのタミル語語源説やユダヤ語(ヘブライ語)語源説、擬音語などに重複される言葉は南方系であるなどと言われるのは、日本が古代においては他民族的な要素のある地域であったということで、複雑に混じり合ったのではないかと思われます。

 土器を作る。あるいは、石器を作る。はたまた、石器の原料となる黒曜石を数十キロも離れた島に船で採集しにいく。栗の木を育てる。必要な食料を取りに行く。などの生活が、全くの言葉なくしてできるものでしょうか。また、それらが全国的に広まっていく、代々と引き継がれていくことについても、言葉なしでは考えられないことです。