<蛇と天皇家>
天皇家となると、弥生時代にも入ってくるでしょうか。
弥生時代に蛇信仰がなくなったかどうかについては、未調査ですが、記紀神話(8世紀前半に編纂)をみると残っていたようです。
天皇家となると、弥生時代にも入ってくるでしょうか。
弥生時代に蛇信仰がなくなったかどうかについては、未調査ですが、記紀神話(8世紀前半に編纂)をみると残っていたようです。
記紀神話の中で、初代天皇は神武天皇です。天皇はアマテラスを信仰するので、いわば太陽信仰となります。しかし、神武天皇の家系をみると蛇信仰との影響を伺わせるものがあります。海神の娘である豊玉姫は蛇の姿になって「うがやふきあえずのみこと」を産み、その皇子とおばの玉依姫との間に産まれたのが神武天皇ということです。
神武天皇は太陽信仰一族なのですが、海神・龍蛇神=蛇信仰の者との間に産まれた子となります。その後、神武天皇の子々孫々が天皇になるので、蛇信仰を取込んだ形になります。戦前は皇紀2600年という時期がありましたが、ほぼ紀元前7世紀に神武天皇が即位されたとされます。弥生時代は過去には紀元前300年ほどと考えられていましたが、現在では紀元前10世紀までたどるということができるようですので、神武天皇即位は弥生時代中期に入る頃になります。縄文から弥生の土器の変化には、太陽信仰の覇権が起こって縄文土器がなくなり、蛇信仰の潜在化が行われたかもしれません。
<八百万の神>
神武天皇は太陽信仰一族なのですが、海神・龍蛇神=蛇信仰の者との間に産まれた子となります。その後、神武天皇の子々孫々が天皇になるので、蛇信仰を取込んだ形になります。戦前は皇紀2600年という時期がありましたが、ほぼ紀元前7世紀に神武天皇が即位されたとされます。弥生時代は過去には紀元前300年ほどと考えられていましたが、現在では紀元前10世紀までたどるということができるようですので、神武天皇即位は弥生時代中期に入る頃になります。縄文から弥生の土器の変化には、太陽信仰の覇権が起こって縄文土器がなくなり、蛇信仰の潜在化が行われたかもしれません。
潜在下というのは妙ですが、仏教布教に霊魂信仰が利用されたように。太陽信仰にしても、広く行き渡っていた、あるいは有力な部族的な集団の蛇信仰とが併存していたと思われます。それが神武天皇の出生逸話にあり、そして、数多くある神社に残っているということです。神社はすべて天照大神を祀るのではなくて、実は有名な神社には「蛇神」を祀るところがあるそうです。
縁結びで有名な島根県の「出雲大社」は、そのご神体を「竜蛇さま」と呼び、、神聖な浜に漂着したヘビを、とぐろを巻いた状態にして祀ります。また、奈良県の大神(おおみわ)神社は、三輪山を御神体とする神社で、祭神の「大物主」は蛇の姿をした神だと伝えられています。長野県の「諏訪大社」の祭神も本来は蛇の神だと伝えられ、「みしゃぐじ」とう土着の古代神の存在が有名だそうです。これをみると、太陽信仰である天孫系の天皇一族が、国譲りを要求した国津系は蛇信仰であることが分かります。ひょっとして縄文時代から続く蛇信仰を持ち続けた大きな勢力が本州にあったことを物語っているのではないかと思います。
<八百万の神>
また、多くの神社には「八百万の神」が祀られています。大まかに分けると、記紀神話に出てくる神であったり、その土地に古くから祀られている先祖や守り神、そして、元人間です。中には、記紀神話(天皇も含め)とその土地の先祖・守り神が合わさったものもあるようです。実は、全国で一番多いのが八幡神社で八幡さまというもので、これがこの合わさったものらしいです。
神社には「御神体」というのがあります。御神体というのは、神が宿るもので、神は普段は人間の住むこの世にはいなくて、いわゆる「常世」にいて、この世で祭りが行われるときに御神体に降りてきて民衆に祝福をもたらして、常世に帰っていくものとされています。従って、御神体にはいつも神がいるのではなくて、「依り代」「御霊代(みたましろ)」と呼ばれます。
一般的に御神体には山や岩、木、剣、勾玉、鏡、滝、男根、きのこ、髪、蛇、虎、犬、鶏、鹿、鳥、狼、狐、ムカデなどなど、様々です。このあたりは、それこそ古代の霊魂信仰からくるような自然、動植物信仰が神社にも取り入れられていると思います。さらに、岩や木などにも蛇を表すしめ縄があるようです。そして、元人間を祀った菅原道真や徳川家康の神社もあるので、先祖信仰が残っているという多様性のあるのが神社というか、神道的な考え方なのでしょうか。
一般的に御神体には山や岩、木、剣、勾玉、鏡、滝、男根、きのこ、髪、蛇、虎、犬、鶏、鹿、鳥、狼、狐、ムカデなどなど、様々です。このあたりは、それこそ古代の霊魂信仰からくるような自然、動植物信仰が神社にも取り入れられていると思います。さらに、岩や木などにも蛇を表すしめ縄があるようです。そして、元人間を祀った菅原道真や徳川家康の神社もあるので、先祖信仰が残っているという多様性のあるのが神社というか、神道的な考え方なのでしょうか。
天皇という最高権威者がいて太陽信仰をしていても、それを押し付けることなく、民衆にある様々な信仰を吸収していくというか、その存在を認め、共存していくというような「寛容さ」を精神の根底にもつのが倭人・古代人であり、それを引き継いでいるのが日本書紀以降の日本人(ヤマト人)なのかもしれません。ちなみに、異種の信仰を邪教として駆逐していくような闇の歴史をもった宗教が一神教にみられますが、日本でのこのような考えは全く異質なものであるにちがいありません。