幼児期に人形やおもちゃに話しかけることがありますが、あたかも命や意志があるものとして話しかける思考傾向を、擬人化されたアニミズム的思考といいます。我々現代人は、特に大人は科学的な知識が組み込まれていて、アニミズムも擬人化程度にしか想像できないのではと思っています。
 これが旧石器人や新石器人が生死をかけた生活を行っていた者が幼児の思考レベルだったのかについては疑問を持っています。生存に賭ける勇気や忍耐、人や仲間、動植物への情愛などは現代人を超えるものを持って暮らしていたと思われます。また、知識というのは生きる術であり、そのために自分を理解し、他者や外界の事象を理解してこそ、衣食住や楽しみ、癒しなどを手に入れて生き抜く術でもあります。

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 人間は猿からの進化とは言いますが、全身を覆う毛もなく、牙もなく、他の中型動物とは異なって、皮膚を露出させた裸の存在で生まれ成長します。まるで突然変異のようなか弱い生き物です。しかし、それが本能に隷属しない柔軟性のある脳機能を持って、事態を解決していく思考力を持っていたのです。
 動物のような力を得るために切れ味を高めた打製石器や磨製石器を考え、火をつかいました。骨から釣り針を作り漁労もします。更に船を作りました。装身具も作り、クリなどの栽培管理を行いました。黒曜石や翡翠などの原石は遠い地方からの交易で得ました。漆の栽培や漆塗りも1万年前からということも言われています。動物とはことなり、知恵で優れた生存能力を身に付け、動物並みの力を付けました。しかも、縄文時代には野生動物とは異なり、集団として自然を改善し定住生活と近隣に生活圏をつくりました、とはいえ、他の動物と同じように自然の恵みに依存する存在でした。

 そうした中で、目に見えぬであろう霊魂を信じ、自然や動植物に話かけたり、お願いをしたりしていたかもしれないのです。こうしたものが人類が初めに持った宗教的な考え方であったらしいです。擬人化が宗教へと昇華したとなると、今の私たちにおける「科学的な知識、科学的な信頼」あるいは「こころの救済や癒やし、希望=宗教」と同じような価値をもったものではなかったかと思うのです。

 霊魂の存在は、今の科学では証明はできてはいませんし、「信じる?」と聞かれれば、ほぼ信じないという意見が多いと思います。しかし、習慣や風習の中ではどうでしょうか。それはお盆に先祖の霊が帰ってくるというものですし、死んだのちも天国(草葉の陰)から見守っているというような考えです。仏教にしても魂は成仏して極楽や浄土にいくというのも、そうした古代からの宗教観が残っているかもしれないのです。輪廻転生というのも、命ある物全ての魂が再生を繰り返し、あるものは虫に、花にと生まれ変わり輪のように転生をするというアニミズム的な発想です。
 数年前に「千の風になって」という曲が流行りましたが、これは外国の詩です。亡くなった自分は風、雪、雨、星の光、花、全ての素敵なものの中にいるという詩です。まさしくアニミズムの内容ですが、90年代からアメリカやイギリスで読まれてきたという経緯があります。日本でも癒しや不思議な力を感じさせるものとして、共感をもって受け入れられたと思われます。アニミズムの癒し効果とでもいうのでしょうか。

 自然は時には恐ろしいこともあります。自然災害や病気、動植物による死などです。そうなると、霊魂は悪い一面もあるかもしれないということです。自然の凶暴さにうろたえたことや家族隣人が滅ぼされることもあるのが人の世です。同じような霊魂に善と悪があると考えたのなら、アニミズムはどう捉えたのでしょうか。祈りや儀式という形で悪霊を封じ込めたり、善なる霊を招来するという方法を取ったかもしれません。そして、その中心となっていく古老や、霊魂の声をきいたり、悪霊を追い払うシャーマンが登場してくるのではと思います。