<死とアニミズム>
死に対しては、理解しがたいような深い悲しみなど、何らかの強い感情を生み出します。そして、その死を受け入れがたいからこそ、それを乗り越える様々な解決方法をあみだしていくのが人間でしょうか(宗教的な祈りや救い、希望‥‥)。
死者を放っておけばウジがわき腐乱して気持ち悪く、不吉な気配もするでしょう。それを避ける意味で、土に返すという埋葬法を考えたのでしょう。「土に返す」というのも飛躍的な表現かもしれませんが、自然は生き物の盛衰や生死の場所であり、人もまた大地に眠るものであるということかもしれません。(他に、川に流す水葬、死骸を鳥に食べさせる鳥葬もあります)
太陽は東西を行き来しますが、それは太陽の日々の生死であるかもしれません。草木や動物の生死もそうした自然の摂理の1つです。あるいは、諸々の生死はそのものの状態から、自然は死を乗り越える再生をも人間に見せたのかもしれません。季節が変われば、また再び実らせる木々、いなくなった虫たちがまた訪れること。自然界は「死と再生」に満ち溢れ、今以上にそれを感じることのできる時代だったかもしれません。そして、死の悲しみや不安を乗り越える方法として、再生と肉体とは別の霊魂というものを考え出したのだと思います。
アニミズムという概念がありますが、今から6〜3万年前に人類が持ち得た考え方だといいます(認知考古学=心理学+考古学で)。人間は移動しながら様々な事物を見、採集等の経験を通して、その事物に人間と同じような性質を見出し、その関係性をより深めたりする中で、事象にも人と同じ様な意思や意識、祈りや願い=魂があるのだということです。
ここで重要なのは、人間の内面を外界に投影したのがアニミズムと言われていたのですが(人間と非人間との断絶:人類学者タイラー)、そうではなくて、元々内面性を持っていた人間・非人間との「共通性、共存性、流動性」というものがアニミズムであるという見方もあるようです。ここでの共通性や共存性については、人間、動植物、自然の霊魂が同等であること、流動性というのは、おそらくは魂=霊魂が行き来するのは人間、動植物等の区別なく宿ったりする様なことを指すのかもしれません。
そうなれば、身体(物)と霊魂が離れていくというような考え方、すなわち、死は身体から霊魂が離れること、生は身体に霊魂が宿ること、という考えにもなります。太陽の生死、再生も大いなる霊魂が太陽を再生させるとも考えるのです。この世には様々な霊魂があり事象とともに生死と再生を繰り返すという循環的な自然観です。梅原猛氏がアニミズムの中で、樹木崇拝や動物崇拝にも触れていますが、長寿である樹木、優れて特異な能力を持つ動物への憧れから、崇拝という祈り・願いからその霊魂を取り入れようとすることである様なことをいっています。様々な霊魂が生を生み出すと共に、特定の霊魂を取り入れようとする信仰もまたアニミズムなのかもしれません。

死者を放っておけばウジがわき腐乱して気持ち悪く、不吉な気配もするでしょう。それを避ける意味で、土に返すという埋葬法を考えたのでしょう。「土に返す」というのも飛躍的な表現かもしれませんが、自然は生き物の盛衰や生死の場所であり、人もまた大地に眠るものであるということかもしれません。(他に、川に流す水葬、死骸を鳥に食べさせる鳥葬もあります)
太陽は東西を行き来しますが、それは太陽の日々の生死であるかもしれません。草木や動物の生死もそうした自然の摂理の1つです。あるいは、諸々の生死はそのものの状態から、自然は死を乗り越える再生をも人間に見せたのかもしれません。季節が変われば、また再び実らせる木々、いなくなった虫たちがまた訪れること。自然界は「死と再生」に満ち溢れ、今以上にそれを感じることのできる時代だったかもしれません。そして、死の悲しみや不安を乗り越える方法として、再生と肉体とは別の霊魂というものを考え出したのだと思います。

ここで重要なのは、人間の内面を外界に投影したのがアニミズムと言われていたのですが(人間と非人間との断絶:人類学者タイラー)、そうではなくて、元々内面性を持っていた人間・非人間との「共通性、共存性、流動性」というものがアニミズムであるという見方もあるようです。ここでの共通性や共存性については、人間、動植物、自然の霊魂が同等であること、流動性というのは、おそらくは魂=霊魂が行き来するのは人間、動植物等の区別なく宿ったりする様なことを指すのかもしれません。
そうなれば、身体(物)と霊魂が離れていくというような考え方、すなわち、死は身体から霊魂が離れること、生は身体に霊魂が宿ること、という考えにもなります。太陽の生死、再生も大いなる霊魂が太陽を再生させるとも考えるのです。この世には様々な霊魂があり事象とともに生死と再生を繰り返すという循環的な自然観です。梅原猛氏がアニミズムの中で、樹木崇拝や動物崇拝にも触れていますが、長寿である樹木、優れて特異な能力を持つ動物への憧れから、崇拝という祈り・願いからその霊魂を取り入れようとすることである様なことをいっています。様々な霊魂が生を生み出すと共に、特定の霊魂を取り入れようとする信仰もまたアニミズムなのかもしれません。