日の出時刻がやっと4時以後になってきました。今朝は2、3時間の睡眠後に起きて出発。撮影がひと段落すると睡魔が襲ってきて、子ギツネを待っている間に寝てしまいました。

 今日は霧が2度ほど時間差でやってきた感じです。勿論、流れる場所は異なるので、もう霧がなくなるということでキツネを追いかけるのですが、また、逆戻りしたり、流れる方向へと移動したりと、霧を追ってみました。


 今回は霧情景なのですが、「光芒」を取りあげました。


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 光芒はモノクロの方がよくわかります。逆光気味の撮影なので霧に反射する光をよく表現することができるように思うからです。これは霧も霧散していく前で、陽も高くなってきて気温が上がり、霧も上昇しかけています。


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 これは太陽を入れてみたカラーです。光芒という光線よりも、樹影という印象のものです。美幌峠の上川地方への道路で見かけそうな光景です。次は少し妙なものです。

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 上部の霧だけに色が付いているものです。どのような原理なのかはわかりませんが、何か神秘的な感じがします。

 noteと同じ投稿写真で、この神秘さを感じるものとして、自分の中にあるアミニズム的な精神作用に触れました。アミニズムは生物や無生物にも神聖なものがあると言うことです。日本ではいわゆる「神道」と言う形で、アミニズムが神社に残っています。神社ですので、天照大神などがご神体ですが、神道以前の古来から崇められてきた木や岩、あるいは山をも祭っています。動物では、狼は神の使いでもあると同時に「大神」であることから狼信仰があったようで、これが名称の由来だそうです。アイヌの熊送り(熊祭り)というのがありましたが、アイヌの神であるカムイが熊の姿でこの地上に遊びに来たのを、再び天に返す儀式です。

 遙かなる縄文 
 アイヌが縄文人かどうかは別として、日本列島には3万8千年前から人が住み、あの有名な縄文式土器を創った縄文人は1万6500年前から3000年前にいたといわれています。実用性の薄く、恐らく祭儀用かと思われる土器は、死者を送ったり祭ったり、自然災害を鎮めたりするために創られたのではないかとされます。今の野生動物がそうであるように、食料確保や生産だけに追われる生活から、食料の余剰と蓄積ができ、固い石を鏃にするような専門的な分業なども可能になったり、祭儀のような精神的な高まり=文化ができあがったきた時期でもあるかと思います。1万年以上もかけて同じような文化が続いてきたのは驚異的だそうです。しかも、縄文人は生産性の豊かさから多くの人口を築き上げた珍しい「種族?」だそうです。この時代に、先のアミニズムの形ができたのではないでしょうか。

 次ぎに続く「弥生時代」は、中国や朝鮮半島軽油などで来た稲作文化をもった人々がきて、狩猟採集文化から稲作農耕文化へと変化したと学校で習いました。縄文人はどうなったのかは習わなかったようですが、現在の遺伝子解析によって、混血していって現在につながっているということです。なぜなら、遺伝子のY染色体の全世界的解析によって、日本人に特有の遺伝子が見つかったからです。それも、中国大陸人にもなく、アフリカから人類が進出してから早い時期に分かれていったD系統のものを持つというのです。これは6~7万年以上も前に分岐されたものが縄文人にあったからといわれています。中国大陸からはO系統のグループで、これも現代人がもっているものですが、D系統もあるということでは混血があり、弥生人によって淘汰、駆逐されたのではないということになります。

 さて、食料確保という点では稲作や畑作の方が生産性は高いです。しかし、彼らのもってきた文化はどうなのでしょうか。大陸から来た人々の言語や祭儀的なもののレベルは上だったのでしょうか。日本語の起源や系統は今のところ不明で、世界的には孤立的な位置にあります。もし大陸系ならばウラル、アルタイ、シナ・チベットなどの系統がもちこまれるはずですが、そうではないようです。つまり、1万年以上もかけて作り上げられた縄文的な精神が引き継がれることになったと考えます。日常の言語や祭祀系は縄文系であったと思われます。この辺りは、飛鳥時代等での渡来人や帰化人が大勢きたようですが、また、天孫降臨やヤマト朝廷が外国系であるとも言われることがありますが、言語的には縄文系のものが引き継がれています。それが大和言葉ではないかと思います(多少の影響はあったでしょうが)。

 日本人の誕生については、世界的にも東アジア的にも遺伝子解析、ゲノム解析が進んでいて、縄文人や弥生人も解析が進んでいるようです。20万年まえにアフリカで誕生したサピエンスが、10万年前にアフリカを出始め、D系統の遺伝子を持つものが7万年前にわかれて日本にたどり着いたらしいです。3万8千年前の人骨からはDNAの抽出が皆無なので、どういった遺伝子系統化は不明ですが、数少ない縄文人ではD系統があることから、1万8千年前の寒冷期に朝鮮半島とも陸続きであった時代に日本にきたのではないでしょうか。そうなると、約5万年もかけて、海沿いか、大陸の川沿いなどで日本にたどり着いたのだと考えると、「逞しきかな人類!」と言えるでしょう。