ある写真家の方が表現における主観と客観について述べていたので少し考えたいと思います。わずかなヒントしかないので、単なる想像かもしれませんが何らかのインスパイアーが得られるかもしれませんので。
 詳しい内容は写真講座ということで今年4月から開講されますが、受講しないのであれこれと考えたいと思います。彼の写真講座項目だけですが、「写真の歴史」「日本画と構図」「アートからの考える写真表現」なども参考にはなるかと思います。
 
 主観というのは、「独りよがりの考え、見方」というのが一般的であまりよくない印象をもちます。客観性のある方が好まれるのが一般社会です。
 しかし、生育歴や経験も異なる中で育ってきた個人というのは、主観で物事を捉えてきて、時には他の意見(他の主観や一般常識という客観)を受け入れながら生きてきたのですから、主観と客観を適時使いこなして、主体的に生きるという基盤にあるのが主観だと思うのです。それを誰に出すか出さないかの判断は各個人です。
 
 表現における主観と客観

<一般的には芸術は主観>
 さて、芸術となるとどうでしょうか。客観性は一見非個性、非独創性となり、主観が最も重要だと思ってしまいます。主観は個性であり、その美意識や感情などを独創的、創造的に産み出すということです。これが一般的な捉え方でしょう。主観で作った作品を見る人の主観で鑑賞し、それぞれに違う印象を持つということです。よく聞く音楽や歌詞もそうしたものでしょうし、歌う歌手も個性的な衣装をまとっています。主観は心のうちの個性でそれを表現するのが芸術という見方が一般的だろうと思います。これを「主観芸術」という人もいるようです。(その対極が「客観芸術」という概念です。)
 
 従って、表現を考える基盤は「主観」だと考えるのです。今までもそう思い現像してきました。何度も言いますが、特に写真では絵画とは違って現実を忠実に記録するという特徴があるので、どんな表現があるかといえば、

 ・肉眼に近づけて忠実性を求める表現
 ・肉眼でも捉えられない事物の諸層の表現
 ・主観的な印象を求める表現

 1点目は、肉眼の性能がないカメラの忠実性を埋めるもの。再現がどれくらいできるかは個人の記憶であり、若干の印象(主観)が入る可能性はあるでしょうが。
 2点目は、レンズ等性能を利用したもので、望遠効果と呼ばれる圧縮効果やマクロレンズでの拡大。更には偏光フィルター等の利用で異なった肉眼とは異なった諸相を表すもの。
 3点目は、それこそカメラデータを元に、自らの印象を加え、表現する主題などを強調したりすること。

 (自然)風景写真では、写された現実の山川草木あるいは人工物に変化を与えることは基本的にはできません(過度な加工でグラフィックとなる)。従って、色彩、色相、明暗等の修正が主となります。また、そしたものに加えて、被写体の特殊性が求められるようです。日常目にすることのできない希少性、非日常性。日常的に記憶にも残らないような中での再発見的なもの。ある作家は、いい風景写真のほとんどは場所・被写体の選択だと言うくらい被写体の特殊性が要ということです。従って、未開の地や人が滅多に訪れない場所、そして、珍しい気象現象との組み合わせなど、あえて特殊性を求めて撮影に行くことになります。これについては、いろいろな写真情報を集めますが、自分の好みや写真家としての特異性を求める上での判断等で、写真家それぞれの方向が決定されると思います。客観的な情報収集でも判断は客観・主観の入り混じった中で、撮影時にも被写体の選択は主観的なものが多いのではないでしょうか。