「viewーsceneーessence」を考えて来ましたが、重要なのは、視覚的に「見ること」以上に、撮影者それぞれが風景についての様々な解釈や独自の解釈を持つことだと思います。
 私がこれまで色々と調べてきたこともそうですし、考えたこともその解釈の仕方を深めたり、広げたりするためです。とにかく、文章にすれば記録に残って、振り返ることで、改めて分かったり、やはり分からないことが分かってくる、ということができるからです。


 端的に「美」としても、自分にとって、あえてなぜ美しいのかを問い直すことや、どんな要素で美しいのかを分析してみるのです。また、どんな事象に自分が惹かれるのか、それはどのように説明できるのか、にもなるかもしれません。この意味では自己理解です。

 また、プロがよく言うのはいい写真や絵画を見なさいということです。これも「見る」なんですが、実は「読み解く」=どう「解釈」するかということです。
 写真だとしたら当然に焦点距離とか構図など技術的なものもあるのでしょうが、どう感じるのか、それはなぜか、撮影者(作者)は何を感じて撮影し、どう表現しているのか。タイトルがあるとすれば、それは何を見せよう感じさせよう、考えさせようとしているのかを解釈することです。この意味で他者の作品についての理解を自分なりに深めることです。(この「読み解き」も少しは説明できればと思います)

 それらは、多くフィールドへ出て写真を撮って考えることでもあります。「量から質」とは言いますが、1枚1枚が試行錯誤・思考でなければ、質への転換はないと思います。さらに、フィールドへの時間をかけられない週末カメラマンにとっては、貴重な撮影時間です。固定したアングルや設定を少しでも自由にして撮影し、現像時に思い起こしながら、自分の写真を解釈しながら見つめ直すことが大切ではないかと思うのです。そして、次回に、それを生かすような撮影に没頭することです。これが日々鍛錬、日々修行の意味だと思います。「何を撮る」ではなくて、「何がどう撮れるか」です。

 「感覚的にシャッターを切るセンスもない」「写真の才能(?)もない」ような凡人が、唯一鍛えられるのはこうした知的作業(意識改革)を通してのみです。凡人の感覚的にも捉えた「scene」が、一際輝く「essence」になるのを願いながら、その感覚と知的作業を楽しむような撮影スタイルを身につけたいものです。

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 タイトルは、『稜線を駆け、いざ頂上へ』にでもしましょう。
 湧き立つような意欲をもち続ける。私みたいに休止しても、さらに燃やし続けるものを見出そうとすれば、「essence」へとたどり着けるのではないかと…。