
網膜での視覚情報の多くは明暗(モノクロ)で,網膜の一部である中心窩での情報が色彩もあるということですが,実際に見えているのはオールカラーで,周辺がボケている光景が見えています。この差が,脳による情報処理の素晴らしさであるかもしれません。
さらに,「あそこに椅子がある」「その奥には,旅行に行った時の写真がある」という認識も与えてくれます。写真に凝視すれば,その時の記憶や感情が蘇ってきます。近くのテーブルにはコーヒーカップがあって,飲もうとすれば,間違いなくカップをとることもできます。視覚から認識へ,認識は過去の記憶も呼び覚ましますし,認識から行動へとスムーズにつながります。さらに,視覚情報が単なる画像・映像というよりも,物の認識(そのものがなんという名称か,何の目的に活用されるかなど)の完成したジグソーパズルなのかもしれません。

図を見ると、視覚とはいっても,脳では多くの情報とむすびついているわけです。さらに,意思や興味によって,単なる光景から必要な物を見分けたり,見出したりすこともできというフィルターのようなものもあります(有意注意とかいうのでしょうか)ので,アクティブなものです。肉眼からの情報を即座に処理しながら、処理された光景を見させているのが脳ということになります。

・まずは、視神経からのRAWデータを、視覚野で画像処理したものが、あたかも肉眼で見ているかのような錯覚を起こさせているというのが本質でしょうか。
・ 構図やフレーミングという点では,側頭葉の言語理解に近接する「線,図形,文字」の領域で処理されて、撮影していることになるでしょうか。風景の中に,構図の基本となる,線や図形を見出せるかどうかは、この神経系や脳の領域になるでしょうか。さらに知識・記憶領域にも近接しているので,「学習」というのが、構図やフレーミングの上達には効果がありそうです。文字というのは,おそらく文字のような複雑な形ということですので,複雑な線や図形の組み合わせも識別できるということでしょう。
・ピント合わせ,絞り(被写界深度)設定といえば,頭頂葉の領域になろうかと思います。これも知識・記憶領域を呼び覚ましながら,どこにピントをおいて,被写界深度をどうするか,絞りの値を決めるということになろうかと思います。フレーミングもこのカメラ設定も操作・動作に直結するので、随意運動・運動の統合という領域から、身体の動きへとつながるということでしょうか。

RAWデータは視神経からの情報で,脳の視覚野でRAW現像して初めて画像になると考えたらどうでしょうか、現像・補正によって、遠近感を補正したり、撮影現場での記憶や過去の記憶、あるいは、前頭野での作風、処理の仕方のセオリーなどで補正していくのだと思います。カメラという機械・電子機器の画像データを、自己の脳で映像化するように、パソコンを操作しRAW現像すること、あるいは補正することは、ある意味で自然の流れかもしれません。 〜 という「こじつけ」となります。
<補正の2つの方向 以前にも触れましたが>
・カメラが,肉眼で見,脳で処理された光景のように忠実には写せないという特性があるならば,それを回復処理するのがRAW現像となります。これは,視覚的に同様のものを忠実処理することになります。
・もう一つは,その忠実処理を超えたところで,意味合いを込めたり、創造的に処理するものです。明るさでいえば,ハイキー調やローキー調です。色でいえば,モノクロ,セピアなどなどでしょうか。質感も色調,色相,粒子感などでかえることができますし,テーマ・主題に沿った補正となると,様々な手法がでてくるのかと思いますので,より被写体らしく,その本質を描き出すことや、個性的な画像、作品へと繋がってくるかもしれません。