


写真における「記録性」と「表現性」について考えているところですが,どうも境目をつけることができなくなりました。それは撮影者の意図もあるようですが,鑑賞者の判断にも関わってくるもので,記録としての写真と表現物である写真との「境目が揺れる」ということもあるからです。また,以前から述べているように,その記録性そのものに表現性を認めるということです。レンズやカメラの性能にまかせて撮ったとしても,現実世界を切り取ること自体に撮影者の意図が含まれるからで,その切り取り方,空間や時間の断片化の仕方で,より表現性があるかどうかが判断されるものかとも思います。また一方,レンズやカメラの性能の向上も,細部での描写力をもとに写実性を高める高画質化をめざしつつあり,それが記録性を高めて,表現力を高めようともしているようです。写真という領域では,写実性や記録性の向上と表現性の向上には深い関係があるかと思います。 そして,表現性の高いものは芸術性があると思いますが,そこまで述べることは,芸術素人ですので無理です。
今回は,記録性も表現性に結びつけたのはそのような意味です。さらに,今回は絵画的な意味合いはないのですが,「描画性」というのを入れてみました。撮って出しという人もいるようですが,RAW撮影での現像・補正は,色彩や明暗,コントラスト等を変えますので,まさに描画的な行為です,さらに,カメラに内蔵する自動的な画像処理エンジンに任せるのではなくて,撮影者の考えと判断によって写真をつくる,仕上げるという創作的な行為になるのだと思います。例え,見た目に近づけるような現像であっても,画像データをもとに描画していくという作業になるかと思います。現像ソフトでの各スライダーは絵筆であるかもしれません。

風景写真では,表現方法・現像補正・修正が過度になると「嘘=虚映像」となったり,絵画のようになりますが,この境目についても個々の判断の範疇でしょうか。

そうしたもろもろのことも知ってみたい,知っても写真は変わらないかもしれない,もしかして変わる? というような「写真についての思い」です。