PHOTO MEMO by FES

写真についての個人的メモ

写真についての個人的なメモです!

写真考(3)時刻

・日の出が早朝4時頃と、1年で一番早いのが今頃。撮影にはかなりの気合いがいる時期である。少なくても3時前には起床して出発しないと、ブルーアワーからの撮影はできないからである。過日は気合いを入れて起き、出発はしてみたものの、あいにくの曇り。西空のわずかな雲間を期待して現地着だったが、その雲間も薄いだけで、光は射してこなかった。また(最近は曇りが多い)、空のない麦畑を撮影して退散する。そして、たまたま無風状態なので、水辺の映り込みをめざして隣り町へ移動。そこは案の定、光が差し込まない分、波の反射は極めて少なかった。水鳥の航跡?もいい感じである。しばらく、眺め、撮影すると、小雨になる。雨の波紋にも期待したが、小雨だけで終わる。次はどこに?  こんな感じの撮影と移動である。
・この時期のもう一つの特徴は、日没時間も遅いということである。ピークは6月末だから、早めの夕食をとると充分に間に合うことになる。会社帰りにもいいということにもなる。
・ほとんどの撮影は、日の出や日没前後の時間帯である。光や色彩の変化、影の変化の一瞬一瞬に目が離せない。カメラ設置も時刻に合わせて変えていくので、撮影と合わせるとかなり忙しくもあり、充実した感覚になる。それ以外の時間帯では、雲間からの光芒や虹待ちぐらいなものである。早朝からの撮影は、遅くても9時までである。
光の関係もあるが、眠いのが第一かもしれない。その後は、偵察を兼ねての定点観察で一時間程うろうろしながら帰宅することになる。

清風

017A3254s

林をぬける西日とともに、心地よい風が吹く。青空に白い雲も流れて、肌と目にやさしい午後のひととき。

写真考(2)…声?

 川霧を撮りに行った後のことである。帰りがけ、何かの「声に呼び止められるよう」にフッと振り返り、しゃがんで見ると、朝露に耐えるかのようなトンボが、土手の斜面の草に止まっていた。
 羽にも眼にもいくつもの朝露の雫がついていた。北国の初秋で、朝は寒かったが、草の色は鮮やかであった。思わずしまいがけのカメラを構えて撮る。トンボは、生きているのか、そのまま息絶えているのかは分からない。十数枚は撮っただろうか。そして、撮り終え去ろうとして2,3歩行ったところで、フッと振り向いて、「ありがとう」とつぶやいてしまった。
 何をかんじたのだろうか。どんな気持ちがそうさせたのか。死を迎えるトンボ、すでに死んだトンボを撮らせてもらった感謝だったのだろう。後で思うと、何かドキドキとして、不思議な体験であった。これ以来、声を聞くことができるような姿勢に心がけるようになった。
 ある情景を撮りたい、撮ってやろうという欲はある。そのために、日の出や日没時刻、それらの方角の一年間のグラフをつくったり、主な撮影地毎にそれらをプロットしたりした。撮影に出かけるときは、前日に撮影地を決めておくが、いざ出発すると空模様等を見ながら、目的地や撮影コースを決めてむかうことにしている。しかし、自然は自然で気ままに、私の勝手とは無関係に移っていくものである。思った情景にはなかなか出会えないことが多いが、そんな状況でも、一呼吸おいて声を聞こうとすると、新たな発見をさせてくれるものである。
 

 

西日

017A3252s 本当に久しぶりに夕陽を撮りに。

 途中、西日に写し出されたような光景に出会う。いつも目的地の光景は予想しながらの移動だが、こんな出合いは嬉しい。西日とはいえ、まだ赤みがかる前。この後、この丘の向こうが赤みを浴びてくる。やや赤く染まりゆく雲。遠景の山麓には、上昇していくビーナスライン…。
 光の微妙な変化はいつ見ても新鮮である。

 

Maild
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