春への夜明けss

 赤い屋根の家 3月中旬撮影 今は土も出てきて、寒くて長い冬が終わろうとしています。光景としては、汚れた雪や、緑のない土なので、撮影時期ではないのかもしれません。市街地の庭には、フクジュソウの黄色、日光に当たった黄金色が見え始めています。花咲く春は、もう少し待たなくてはならないようです。
 雪がなくなるのも少し寂しいような感じもしています。雪のホワイトバランス調整からも開放されるのも‥です。とはいえ、そうしたことが、これからの現像にどういかされるのかたのしみなところでもあります。

 さて、また、写真考です。現像方法も触れていきたいのですが、もう少し、お付き合いください。

 写真は、スマホになってSNSとの連携もよく、新聞や週刊誌、写真集以上に、膨張しているようです。私の写真をSNSに投稿しても、次々と投稿が続き、忘れ去られるものとなっています。写真を公表するということは、ある面、実に刹那的です。それゆえに、私の写真になにがしらの共感をいただいて、お気に入りやコメントをいただくのは、この小さな心に心許ない存在感を与えてくれる貴重なものとなっているのも確かです。
 しかし、この写真が心を満たし、新たな課題と思考を生み出すとしたら、「生き甲斐」の重要な部分を占めていることは否めない事実です。そこで何を求め、精神的な充足・満足を得るのかが、こうした思いや考えを巡らせる要因でもあるでしょう。
 意外と面倒くさい自分がいるようです。しかし、普段はそうではありません。一日に、自分以外の写真を200枚以上見ていますが、「いい!」と判断するのは一瞬で、その後、数十秒ほどかけて(?)、部分的に見回し、また全体を見て終わりという感じです。つまり、長い時間をかけて分析・批評・評価をしている訳ではありません。どちらかというと「好み」主体で、色彩、色調、意外性‥で判断しているようです。
 そうした繰り返しの日々ですが、こうしたことをあらためて考えること‥分析・批評らしきこと‥から、自分にとっての「写真」が見え、将来の「写真」が拓けてくるのではないかと思っています。例えば、気楽に「美しい」だけもいいということもありますが、その「美しさ」は、どんな要素をもって、自分が美しいと感じているのかを分析してみることで、今感じている美しさが分かり、これから撮ろうとする美しさが見えてくるかも知れないと考えるのです。まるで自分探し・見つけのようです。これも写真へのモチベーションを高める1つの要素でもあるかのようです。

 「写真が上手くなりたい」は、撮影技術的なものもありますが、撮影する時の「印象」をどう反映(フレーミングや現像)させ、どう現像するかというのもあるかと思います。また、シャッターを切らせる「感性」の範疇にある心の眼も必要でしょう。それらが上手く高まってかみ合っていくようなところに「上手く」が達成されていくように思います。写真表現は、撮す前から撮した後まで続き、完成写真として結実していくものだと思っています。しかも、その中で見えてくる課題が次の写真表現の種子となるかも知れないのです。

  ・カメラ設定で、ある程度見た目に近い撮影できる。
        これはホワイトバランスをケルビン値でやると、もっとも近くなります。 
  ・フレーミングや構図を工夫し、印象が強まるように撮影できる。
     これは、多くの写真、それもプロの写真がいいかもしれません。
  ・印象が強まるようなレンズを選び撮影できる(レンズ味の活用)
                      ※これは機材選びで費用もかかりますので、私はなしです。
  ・同じ被写体でも、焦点距離やアングルを変えて撮影できる。  
  ・現像で、印象を強めた調整ができる。(RAW現像ソフトの機能を理解、活用できる)
  ・多くの写真を見る。
  ・写真について考える時間をつくる。
  ・自分の写真をSNSなどで公表し、見てもらう。
  ・そして、プリントアウトへ。これもまた新たな技術領域かと。機種と印刷用紙選びで躊躇している今。おそらく、エプソンの顔料系で、アート紙系でしょうか。このあたりは、プロ、ハイエンドアマチュア並に背を伸ばそうかとおもいます。