PHOTO MEMO by FES

写真についての個人的メモ

表現

写真とは? ‥性懲りもなく

写真の表現性
 写真をめぐる特徴 以前のものと少々違います

 また性懲りもなく,という感じですがお付き合いください。
 写真における「記録性」と「表現性」について考えているところですが,どうも境目をつけることができなくなりました。それは撮影者の意図もあるようですが,鑑賞者の判断にも関わってくるもので,記録としての写真と表現物である写真との「境目が揺れる」ということもあるからです。また,以前から述べているように,その記録性そのものに表現性を認めるということです。レンズやカメラの性能にまかせて撮ったとしても,現実世界を切り取ること自体に撮影者の意図が含まれるからで,その切り取り方,空間や時間の断片化の仕方で,より表現性があるかどうかが判断されるものかとも思います。また一方,レンズやカメラの性能の向上も,細部での描写力をもとに写実性を高める高画質化をめざしつつあり,それが記録性を高めて,表現力を高めようともしているようです。写真という領域では,写実性や記録性の向上と表現性の向上には深い関係があるかと思います。 そして,表現性の高いものは芸術性があると思いますが,そこまで述べることは,芸術素人ですので無理です。
 今回は,記録性も表現性に結びつけたのはそのような意味です。さらに,今回は絵画的な意味合いはないのですが,「描画性」というのを入れてみました。撮って出しという人もいるようですが,RAW撮影での現像・補正は,色彩や明暗,コントラスト等を変えますので,まさに描画的な行為です,さらに,カメラに内蔵する自動的な画像処理エンジンに任せるのではなくて,撮影者の考えと判断によって写真をつくる,仕上げるという創作的な行為になるのだと思います。例え,見た目に近づけるような現像であっても,画像データをもとに描画していくという作業になるかと思います。現像ソフトでの各スライダーは絵筆であるかもしれません。
 
  だた,「表現性が高い」とは,そうした現像処理の技術が高いということもあるかもしれませんが,写し撮られた被写体が何であり,どんな状況で,どのような状態が切り取られたのかということが,写実性(記録性)を基盤にする風景写真では重要かと思います。写し撮られたものを見た目に近づけたり,被写体や表現したい主題等をより引き立たせるような手段として表現方法がくるのだと思います。
風景写真では,表現方法・現像補正・修正が過度になると「嘘=虚映像」となったり,絵画のようになりますが,この境目についても個々の判断の範疇でしょうか。
  色彩を取り除いたモノクロという表現方法もありますが,どのような意味合いをもって,何を伝えるのに効果的なのでしょうか。これも写実性はありながらも,現実とは異なった一部「嘘」の「虚映像」になるのですが,そこから何をひきださせようとしているのでしょうか。はたまた,表現の方向性について考えているのですが,それは,写実性からくる「現実性・現実感という意味でのリアリティ」の追求であったり,モノクロに例えられるような「虚」から,被写体や写したかったものやこと,印象などの核心に触れるような,「本質性・真実性という意味でのリアリティ」の追求であるかもしれません。
 そうしたもろもろのことも知ってみたい,知っても写真は変わらないかもしれない,もしかして変わる? というような「写真についての思い」です。 

写真上達?

上達0703


 いろいろと思い悩む「写真」です。以前は写真上達のためにと、概念図的に考えてみましたが、テーマや写真の自己評価チャートなどを考えているうちに、見直してみました。
 あまり変わらないようですが、以下のような点で考え直してみました。

・感性的にいいなという被写体があっても、写真的にどうかの「フォトジェニック」の判断が入りそうということ。
・「カメラ」は機械ながらも、カメラマンにとっては、「目」そのものという考え。ファインダーも肉眼で見ますし、肉眼以上にマクロや望遠もききますので、ある面肉眼以上の力をもつことにもなります。
・カメラ設定においても、脳による判断であること。
・さらに、パソコンによるRAW現像の各種操作や判断も脳による判断ということ。
・すなわち、大枠で囲んでいることが、私自身として一体的にあるということ。
・黒矢印をループとしてみたこと。これにより、それぞれのわずかな上達でも、次の段階や前の段階に影響を与えていくのではないかという予想をたてました。また、<課題群>に最近考えている「テーマ」を加えて、頭脳=思考に関連付け、「自己評価(=チャート)」ループ内に加えてみました。
・「場所や時刻‥」も判断事項なので、枠内、そしてループ上ということ。
・自分と外の世界である風景が、被写体となり撮影されることは、目や脳の代わりに映像が記録されること、更に脳内の記憶をつてに、あるいは、強調や工夫をくわえながら現像をおこなって、データを再加工し、アウトプットしているという概念になります。

 それと、写真上達とは何かということになります。カメラ操作や設定のノウハウの上達だけではなくて、元データの現像、補正や加工も加わります。ここまでが写真上達とされてノウハウ本が多く出版されているようです。
 しかし、そうした、ノウハウ上の上達だけで、納得できる複数の写真が撮れても、写真を撮り続ける原動力になるのかはわかりません。少なくても、私にとっては、そのへんが引っかかっています。
 自己評価チャート作成を通して、どんな写真を撮りたいのかは、おおよそ道が開けたようですが、溜まっていく写真を見直してみると、何を表現したかったのか、何を追究してきたのか、などがほしいと思っています。これが「テーマ」ということです。例えば「美瑛の丘」といえば被写体ですし、もっと内面なことはないのかという感じです。美瑛の丘などを通して、何を感じて、表現したいのかというものです。これは一筋縄でいかないようです。これを求めつつ、撮影を続けていくということもありうる課題なのかもしれないとも思っています。

 こうなると「写真上達の道」というよりは、撮影から現像、そして表現‥テーマまで含めた、「写真の道」 というこになるでしょうか。昔は、趣味のことを「道楽」といったようです。楽しい道と言うよりも、道を歩むのを楽しむということでしょうか。健康であればこその歩みですので、楽しんだり悩んだりと一喜一憂の人生の一部なのでしょう。
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