PHOTO MEMO by FES

写真についての個人的メモ

上達

写真上達?

上達0703


 いろいろと思い悩む「写真」です。以前は写真上達のためにと、概念図的に考えてみましたが、テーマや写真の自己評価チャートなどを考えているうちに、見直してみました。
 あまり変わらないようですが、以下のような点で考え直してみました。

・感性的にいいなという被写体があっても、写真的にどうかの「フォトジェニック」の判断が入りそうということ。
・「カメラ」は機械ながらも、カメラマンにとっては、「目」そのものという考え。ファインダーも肉眼で見ますし、肉眼以上にマクロや望遠もききますので、ある面肉眼以上の力をもつことにもなります。
・カメラ設定においても、脳による判断であること。
・さらに、パソコンによるRAW現像の各種操作や判断も脳による判断ということ。
・すなわち、大枠で囲んでいることが、私自身として一体的にあるということ。
・黒矢印をループとしてみたこと。これにより、それぞれのわずかな上達でも、次の段階や前の段階に影響を与えていくのではないかという予想をたてました。また、<課題群>に最近考えている「テーマ」を加えて、頭脳=思考に関連付け、「自己評価(=チャート)」ループ内に加えてみました。
・「場所や時刻‥」も判断事項なので、枠内、そしてループ上ということ。
・自分と外の世界である風景が、被写体となり撮影されることは、目や脳の代わりに映像が記録されること、更に脳内の記憶をつてに、あるいは、強調や工夫をくわえながら現像をおこなって、データを再加工し、アウトプットしているという概念になります。

 それと、写真上達とは何かということになります。カメラ操作や設定のノウハウの上達だけではなくて、元データの現像、補正や加工も加わります。ここまでが写真上達とされてノウハウ本が多く出版されているようです。
 しかし、そうした、ノウハウ上の上達だけで、納得できる複数の写真が撮れても、写真を撮り続ける原動力になるのかはわかりません。少なくても、私にとっては、そのへんが引っかかっています。
 自己評価チャート作成を通して、どんな写真を撮りたいのかは、おおよそ道が開けたようですが、溜まっていく写真を見直してみると、何を表現したかったのか、何を追究してきたのか、などがほしいと思っています。これが「テーマ」ということです。例えば「美瑛の丘」といえば被写体ですし、もっと内面なことはないのかという感じです。美瑛の丘などを通して、何を感じて、表現したいのかというものです。これは一筋縄でいかないようです。これを求めつつ、撮影を続けていくということもありうる課題なのかもしれないとも思っています。

 こうなると「写真上達の道」というよりは、撮影から現像、そして表現‥テーマまで含めた、「写真の道」 というこになるでしょうか。昔は、趣味のことを「道楽」といったようです。楽しい道と言うよりも、道を歩むのを楽しむということでしょうか。健康であればこその歩みですので、楽しんだり悩んだりと一喜一憂の人生の一部なのでしょう。

写真の膨張…の中で

春への夜明けss

 赤い屋根の家 3月中旬撮影 今は土も出てきて、寒くて長い冬が終わろうとしています。光景としては、汚れた雪や、緑のない土なので、撮影時期ではないのかもしれません。市街地の庭には、フクジュソウの黄色、日光に当たった黄金色が見え始めています。花咲く春は、もう少し待たなくてはならないようです。
 雪がなくなるのも少し寂しいような感じもしています。雪のホワイトバランス調整からも開放されるのも‥です。とはいえ、そうしたことが、これからの現像にどういかされるのかたのしみなところでもあります。

 さて、また、写真考です。現像方法も触れていきたいのですが、もう少し、お付き合いください。

 写真は、スマホになってSNSとの連携もよく、新聞や週刊誌、写真集以上に、膨張しているようです。私の写真をSNSに投稿しても、次々と投稿が続き、忘れ去られるものとなっています。写真を公表するということは、ある面、実に刹那的です。それゆえに、私の写真になにがしらの共感をいただいて、お気に入りやコメントをいただくのは、この小さな心に心許ない存在感を与えてくれる貴重なものとなっているのも確かです。
 しかし、この写真が心を満たし、新たな課題と思考を生み出すとしたら、「生き甲斐」の重要な部分を占めていることは否めない事実です。そこで何を求め、精神的な充足・満足を得るのかが、こうした思いや考えを巡らせる要因でもあるでしょう。
 意外と面倒くさい自分がいるようです。しかし、普段はそうではありません。一日に、自分以外の写真を200枚以上見ていますが、「いい!」と判断するのは一瞬で、その後、数十秒ほどかけて(?)、部分的に見回し、また全体を見て終わりという感じです。つまり、長い時間をかけて分析・批評・評価をしている訳ではありません。どちらかというと「好み」主体で、色彩、色調、意外性‥で判断しているようです。
 そうした繰り返しの日々ですが、こうしたことをあらためて考えること‥分析・批評らしきこと‥から、自分にとっての「写真」が見え、将来の「写真」が拓けてくるのではないかと思っています。例えば、気楽に「美しい」だけもいいということもありますが、その「美しさ」は、どんな要素をもって、自分が美しいと感じているのかを分析してみることで、今感じている美しさが分かり、これから撮ろうとする美しさが見えてくるかも知れないと考えるのです。まるで自分探し・見つけのようです。これも写真へのモチベーションを高める1つの要素でもあるかのようです。

 「写真が上手くなりたい」は、撮影技術的なものもありますが、撮影する時の「印象」をどう反映(フレーミングや現像)させ、どう現像するかというのもあるかと思います。また、シャッターを切らせる「感性」の範疇にある心の眼も必要でしょう。それらが上手く高まってかみ合っていくようなところに「上手く」が達成されていくように思います。写真表現は、撮す前から撮した後まで続き、完成写真として結実していくものだと思っています。しかも、その中で見えてくる課題が次の写真表現の種子となるかも知れないのです。

  ・カメラ設定で、ある程度見た目に近い撮影できる。
        これはホワイトバランスをケルビン値でやると、もっとも近くなります。 
  ・フレーミングや構図を工夫し、印象が強まるように撮影できる。
     これは、多くの写真、それもプロの写真がいいかもしれません。
  ・印象が強まるようなレンズを選び撮影できる(レンズ味の活用)
                      ※これは機材選びで費用もかかりますので、私はなしです。
  ・同じ被写体でも、焦点距離やアングルを変えて撮影できる。  
  ・現像で、印象を強めた調整ができる。(RAW現像ソフトの機能を理解、活用できる)
  ・多くの写真を見る。
  ・写真について考える時間をつくる。
  ・自分の写真をSNSなどで公表し、見てもらう。
  ・そして、プリントアウトへ。これもまた新たな技術領域かと。機種と印刷用紙選びで躊躇している今。おそらく、エプソンの顔料系で、アート紙系でしょうか。このあたりは、プロ、ハイエンドアマチュア並に背を伸ばそうかとおもいます。

 
 
 
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