PHOTO MEMO by FES

写真についての個人的メモ

フォトジェニック

絶景・考

 以前,「世界の絶景」とか「死ぬまでに・・・絶景」のような文言の写真集やネット上の特集を見かけました。


 絶景とは「素晴らしい景色」「優れた景色」と言う意味です。さらに付け加えると,「見慣れた光景ではない」「ありきたりな光景ではない」という面からみると,身近ではない遠隔地であり,人里離れ行くのに苦労する場所といった場所・光景かとも考えられます。


 そして,絶景には,その「場所」以外の要素として,季節や時間も忘れてはならないでしょう。緑萌える春,新緑の夏,紅葉の秋,白銀の冬と季節ごとの変化も見逃せません。京都には4度ほど行きましたが,雪の京都なんて滅多に見ることができなくていいですね。そして,更なる要素は時間です。これは何度も書いているように,早朝の黎明から日の出,日没前後です。普段,なかなか見られないと言う意味では,なにも遠隔地ではなくて身近だけれども,これも絶景の要素の1つとなると思います。

  さらに付け加えると,天気・自然現象もあげられるかと思います。雲,雨,風,降雪,虹,光芒などの現象です。そして,上記の組み合わせでは,誰も気付かないような,目にしたことのない一瞬というのも「絶景」と言われるものに含めたいと思います。


 私としての<絶景の公式>とは,次のようなものになります。


  絶景 = 場所 × 季節 × 時間帯 × 自然現象  ⇨ 目新しさ(珍しさ)=New


 写真では,こうしたことを一般的には「フォトジェニック」というのではないでしょうか。私の言葉では,例の「Scene」の中でも,珍しさが多く詰まった「Essence」に当たるかと思います。
 まずは,自分個人として初めて見る「絶景さがし」から始めて,やがて,周囲も認める「絶景」に出会えるような方向へと進んでいきたいものです。

 今回は最後に写真です。綺麗というよりも光の不思議さです。これでもダイヤモンドダストです。どんな状況での撮影だったのかは,内緒です。タイトルは,「極寒の妖舞」といいます。

極寒の妖舞2

 

フォトジェニック

DSC06915

 麦成長 やや黄緑がかった穂が印象的だった 赤い屋根の小屋で 

 美瑛とその周辺の自然・田園風景にすっかりはまってしまって数年。自分にとっては,まだ,未開な地区や未知の光景がありますが,日の出時刻がもっとも早いこの時期と,天候の悪さには少々まいってしまいます。
 
 美瑛を走り回る時は、太陽の位置や曇、畑などの様子を見ながら被写体を探しています。写真になるかならないか 、あるいは、記録として撮っておくかおかないか、などを評価・判断していることになります。とっさの評価・判断ということですので、ある意味「感性的」であるかもしれません。しかし、この数年で少し変わってきていることから、いろいろな写真を見たり、写真についての学習の経験、あるいは、自分が写してみたい光景への願望などがその変化の底にあるのではないかと思うようになっています。感性を磨いているのかどうかは別として、少なくても、自分なりのものになっているのではないかと思っています。
 感性は直感的、無意識的だと言いますが、興味・関心で変わる、磨かれる可能性を持っているということだと思います。またたまに、ドキュメンタリー系の写真も見ますが、ある問題点、思想などの意図・意思のもとに撮影するわけですから、被写体の範囲を限定したり、その渦中に撮影者が入り込み、思考していくときには、感性をより鋭敏にしていくことができるような印象を持っています。何かにこだわって撮影することも大切ではないかと思います。この辺に、テーマを持って撮影するという意義もあるかのように思うのです。

 さて、写真撮影の評価・判断としては 、いい被写体かどうか、別なことでは、自分にとって「フォトジェニック」かどうかに関わっています。
 その言葉は「写真写りがいい、写真に適している」という意味です。前回に書いたように、その1つが、「光のあり方」で、順光よりは斜光、逆光、スポットライト。そして、朝焼けやブルーアワーなどの色のある光がいいと思っています。

 さらに付け加えていきます。感性的にという点では、やはり自分が美しいと感動する感情や情緒的なものとなります。
 実はこれが難しいです。美的感覚は、必ずしも万人が美しいと思うものに限りません。退廃とか枯れていくさいの美というのもあります。共感性と共に、個人個人独自なもの、社会文化的なものもあると思います。個人的には、強い色彩のない、地味で曖昧な霧の風景も美しいと感じています。
 また、美瑛に通っていて時々目にする廃屋が気になってい流のですが、まだ、写真として切り取る時期ではないような感覚で、ある種の感情や情緒ではありながらも、意図や思想というのが必要なのかもしれないと感じています。時期尚早なのか、取りきれない被写体なのかもしれません。

 こうした点では、感情や情緒的な面以外では、意図や思想的な背景もまた、フォトジェニックなものを決める大枠があるのかもしれません。私が言うテーマやコンセプトは、そこまではいかないとしても、全くの感性的でその場その場の感情や情緒的な撮影よりも、ほんの少し意図的であればと思うのです。今年は雪解け期も撮影したり、春からの天候も芳しくない時期に、トラクターを撮影することが多くなりました。美瑛の丘というものは、農家の人たちが作り上げたものという認識や、その営みがあってこその田園光景という事での「感謝」をも含めて撮影していることです。もちろん、これも偶然に出会うことですので、必ずしもいいものが撮れるというものでもなく、今のフォトジェニック感覚から言うと、畝の鮮やかな模様や逆光というのがベストとなっています。

 感性が直感的、情緒的でありながらも、それが、興味・関心と関わり、意図・思想的な面かも変わりうるのではないか。それによって、フォトジェニックな物への視点が深まったり、広がったりして、被写体についての感受性のアンテナが良くなり、気づきがよくなり 、見つけ出す力も高まるのではないかと思います。感性的なこともあり、まだまだ「自分のフォトジェニック」は理解不足だと思いますが、撮影とともに現像もしながら、さらに考えることで、徐々に補われてくるのではないかと思っています。 
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